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和田義彦をさんざん持ち上げて賞まで与えていた美術評論家 米倉守は、朝日新聞記者時代、加藤諦三氏の文章を盗用し、クビになっていた。

そんな人間をが、松本美術館の館長をしている。

泥棒に館長をさせている松本市、恥を知りなさい。
2006.06.08[Thu]  投稿者:松本市民  編集  Top▲

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和田義彦を弁護する その②

 和田は、自分には絹谷のような才能がないと自覚したときから、模写をやめて模倣剽窃へと変わっていったのだ。

 毛利伊知郎によれば、和田は「一つのスタイルに留まることをなく、常に新しい表現を求めて変化を続けることが極めて重要である」と常々かたっていたそうだが、これも、和田の真理探究の情熱ではなく、たんにモチーフの欠如を示しているにすぎない。
 もっと、率直にいえば、これは和田が盗作疑惑を暗に否定するために言っているとも思える。 *

 じつは、昨日のブログに「毛利はあたかも和田の盗作を知っていたかのようだ」と書いたのだが、証拠もないのに、ちょっとまずいかと消したのだ。とこらが、今朝、ネットをチェックすると、じつは関係者はみんな和田の盗作疑惑のことを知っていたのだ。彼の「食べる人」シリーズがアルベルト・スーギの盗作だという疑いをかけられ、今回の展示では、スーギ氏オマージュのキャプションを付けていたというのだ。

 わたしは和田義彦の展覧会は見ていないのだが、このスパゲッティを食べている人の絵は、週刊誌のグラビアで見て、憶えている。ネットで検索してもヒットしないのだが、たしか、正装した男女が、スパゲッティを食べるのに悪戦苦闘している図で、スパゲッティのお皿がテーブルから浮かんでいたような気がする。面白い絵だったのでおぼえているのだが、ただ、なぜ、日本人がそんな漫画的な絵を描くのか不思議に思った。
 日本人がスパゲッティに悪戦苦闘するというのはポピュラー・アートの定番だろうに、それを正装したイタリア人にやらせるところが、味噌なのだろうと当時は感心したものだ。(これは記憶違いと思われる。探したが確認できなかった'07.3.20)

 週刊誌のグラビアに載ったぐらいだから、ずいぶん話題になった作品なのだろうし、その作品に盗作の噂があったとすれば、美術関係者が知らないわけがない。
 そう思って、毛利伊知郎の「ドラマとポエジーの世界」を読み返すと、毛利の逃げ腰が目に付く。語尾がどれも推量だったり、伝聞だったりするのだ。
 もちろん、和田に取材をして、それをまとめているのだから、仕方ないと言えば、仕方ないのだが。

 なかでも、気になったのは、以下の部分である。長いけれど、そのまま引用する。

「今回の展覧会はこの受賞記念展(「―煌く刻―和田義彦展」のこと)をベースにしている。しかし、同展開催後いまだ2年半しか経過していないことから、本展開催に当たっては、受賞記念展との差異化を図るとともに、現在進行形である画家の姿を紹介したいと考えて、未発表の新作をなるべく多く出品したい旨を画家に伝えて準備を進めてきた。これに応えて画家自身も、寸暇を惜しんで制作に力を注いできたのである。
 これまでの和田作品と比べるとかなり異色に見える《鳥》(no.1-46)や《大陸の空》(no.1-47)などの新作は、こうした画家と関係者の意図に基づいて出品されることになったものである。しかし、こうした展覧会組織上の意図だけが新作発表を画家に促した理由ではない。
 和田は一つのスタイルに留まることなく、常に新しい表現を求めて変化を続けることが極めて重要であると常々語っている。そうした制作に対する和田の基本姿勢も、上記の新しいスタイルの作品が発表されることになった要因として忘れることができない。
 そうした画家であってみれば、将来さらに新しい展開が提示される可能性は十分考えられるが、先ずはその生い立ちに遡ってこれまでの足跡を見て行こう。」

 キューレーターが新作を欲しがるのは、通常のことではあるが、この何とも弁解じみた、ちぐはぐな文章は、ちょっとめずらしいのではないか。
 わたしの推察では、キューレーターは(毛利氏?)できれば、盗作の疑い、あるいはスーギー氏の作風に似ているものは、出品させたくなかったのではないか。
 それに対して、和田氏はどうしてもイタリアものを出品したかった。明るいヴェネツィアの絹谷に対して、暗いローマのナイト・ライフの世界はどうしても和田には必要だったのだ。
 キューレーターも和田も、この展覧会が賞狙いのためのものであることは理解していたはずだ。
 たしかに、佐伯祐三の贋作事件や東郷青児の代作事件でもわかるとおり、美術界は腐敗している。和田は次第に鈍感になっていく。今回の盗作は、写真を撮って、それをそのまま複写するというあっけにとられるような手口だ。でも、大丈夫だ、みんなやってる。前回も噂になったが、何事もなかった。

 でも、イタリアものを薄めた方がいいだろう。常にスタイルを変え、真理を探究する画家のイメージで、あらゆるものに手を出す。いわば、目くらましの作戦だ。その作品のできばえは知らない。しかし、「ドラマとポエジーの世界」を読めば、もはや支離滅裂としかいいようのない世界だ。ドラマとポエジーだなんて欲張りだ、どっちかにしてもらいたい。なんでもありのごったまぜの世界だというのか。(なんどもいうが、わたしはこの展覧会をみていない。ただ、毛利氏の文章から推察しているだけだ)

 イタリアの古典絵画の技法、パリの体験、《戦火のこどもたち》など社会性のある主題、中国旅行から着想された《大陸の空》、ついでに、そして、ごたぶんにもれず、最近は日本・東洋への回帰だそうだが、忙しいこと。しまいに、墨と筆で書かれた書簡が優れた表現になっていると褒めるのだ。
 最後の方はほとんど投げやりになっているようなきもしないではないが、すくなくとも、なぜ、和田が盗作をしたのかの理由がこの文章には、すべてはっきりと書かれている。ただし、和田の絹谷に対する憎悪以外は。

 この事件は、私の美術展評の範囲内のことで、大家度と目立ち度の二つの項目で理解できる出来事である。

 目立つ絵が描けなかった画家が大家になり損ねたということなのだ。大家とは、他人の絵ではなく、自分の絵を盗む(マンネリ化した)画家のことで、盗むには自分のスタイルを確立して(目立って)いなければならない。
 
 和田を弁護するなんていったが、それは無理な話で、情状酌量をおねがいするだけである。
 といっても、腐敗した美術界だもの、いつのまにやら画壇に復帰しているかもしれないし、わたしは美術界の事情に暗いのでよく分からないが、もし、和田に少しの画家魂が残っているなら(テレビで見る限り画家魂なんかないようだけれど)、すぐに三重県に帰って、展覧会などやらずに好きな絵を描いて、絵かき度が5の画家として、生涯を全うすることだ。
 絵かきになるにはしっかりした女房が必要なのだが、彼は女房に先立たれているらしいから、それも難しい。愛人がいるとしても、糟糠の妻の代わりにはならない。可哀想な和田義彦さん、やっぱり、政治力を使って画壇復活をめざしますか。
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2006.05.31[Wed] Post 11:49  CO:1  TB:0  和田盗作事件  Top▲

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