『われらの時代に』 宮台真司・宮崎哲弥東京から静岡県に住民票を移したついでに、御殿場市の図書館で貸出カードを作った。住民票を移したのは、東京の駐車場を借りておくのが負担になったからだが、図書館もこちらのほうが便利である。蔵書の数は少ないのだが、すいているし、駐車場もあるし、だいいち雑誌のバック・ナンバーが月遅れで借りられる。品川の図書館も同じシステムなのだが、月遅れの『美術手帖』が借りられたためしがない。ところがこっちではすぐに借りることができた。『美術手帖』の会田誠特集号が借りられたので、そのうち感想文を書く。 今回は宮台・宮崎の『われらの時代に』の感想を述べる。宮崎はテレビのコメンテーターとしてそこら中に顔を出しているが、宮台のことは援助交際評論家だと言うことぐらいしかしらなかったので、借りて読んでみた。 あまりおもしろくなかった。たとえば、援助交際はじつは自意識というかっこわるい問題で、そのカッコ悪いということがバレちゃって、だから若者が援交から離れていったというけれど、小林秀雄じゃあるまいしこんなところに自意識持ち出されてもこまるし、若者を理解しているという身振りがおじさん的日常まるだしではないか。 サブカルばかりではなく、天皇、国家、官僚、政治なども論じるのだが、宮崎も宮台も社会学者だから、基本的には学説類型パターンを当てはめてあれこれ品定めしているだけのように思える。たとえば、ふたりとも右翼でも左翼でもないスタンスを保とうとしているのはいいとして、西部邁や小林よしのりを自然共同体と国家を区別できないバカだとののしるのだが、その区別が西部や小林の考えの中で、あるいは宮台の思想の中でどう位置づけられるのか、いっこうにわからないのだ。そもそも、わたしには社会学や政治学というものがちっとも理解できない。こういう風に論争相手の議論を社会類型や心理パターンに当てはめて、だからおまえらはバカだというような議論を得意とするサヨク学者に、とおくには丸山真男ちかくには姜尚中がいる。 わたしがよく憶えているのは、中根千枝のタテ社会とヨコ社会で、こんな粗雑な枠組みで何でもかんでも都合よく説明するのに呆気にとられたことがある。文化人類学というが、あれはカルチュラル・スタディのハシリではなかったのか。でも「タテ社会とヨコ社会」は中根のオリジナル・ブランドだけれど、宮台のオリジナル・ブランドは何だろう。 ともかく『M2われらの時代に』がどんな本か、「『an・an』的セックスの彼岸」と「スワッパーの憂鬱」のセックスに関する二つの章を読むと良い。レヴィ・ストロースの財の交換とか吉本隆明の対幻想論とか、そのほかオージーは欲情志向でスワップは関係志向だとか二人オナニーとか、いろいろ理屈は言っているが、中味はおやじの自慢話とかわりない。オナニーの蘊蓄なら野坂 昭如の『エロトピア』にとどめをさす。 たぶんほかの対談の中味も同じようなものなのだろう。2ちゃんねるなどでは、ずいぶんと崇拝者がいるようだけれど、そんなひとは是非この二つの章を読んだらいい。マインド・コントロールがとけるでしょう。
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