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川俣正 [通路]★★★★☆

川俣正は名前は知っていたが、作品のことは何も知らなかった。現代美術館のホールに入ると、ベニヤ板で囲って通路のようなものが作ってある。展示場に入るとき、「これも作品ですか」ときくと「そうです」の返事。おかしなものを見に来たのではないかと、ちょっと躊躇した。

ところが、そのベニヤ板の通路の中を歩くと、妙に落ち着くのだ。落ち着くというよりわくわくしてくる。なにか子供のころ、大掃除で立て掛けた畳の下で遊んだころの感覚が戻ってくる。この原初的な感覚は田中功起の『出来事』の感覚に似ている。

川俣の作品は、インスタレーションと建築の境界にまたがるプロジェクトだという。たしかに、そうだろう。会場で購入した川俣の『通路』を読むとたくさんの二項対立風な言葉がならんでいる。「解体と構築」「オブジェと関係性」「歴史性と現存性」などなど。しかし、これはコンセプチャルアートではない。ここには見ることによって生じるイリュージョンがある。

川俣は自分の作品はオブジェではないという。しかし、これはハプニングでもプロセス・アートでもなく、まぎれもなく立体作品だ。ただ、出来事に見えるのは、建築中の建物にみえるからだ。しかしこれは未完成なわけではない。普請中の家ではなく、材木で空間に描いた立体デッサンなのだ。今回の通路ではなく、ヨーロッパで作った足場のような作品はとくにそうだ。デッサンを未完成の下絵ではなく、それ自体を作品として鑑賞するのと似ている。

セザンヌが四角い平面でやったことを、川俣は立体で行なったのだ。どちらにも堅牢な空間のイリュージョンがある。何度でも言う。これはインスタレーションでも、コンセプチャルアートでも、プロセスアートでもない。一枚の優れたタブローなのだ。

つまらないワークショップがあったので星半分マイナスして、星四つ半★★★★☆

以上の文は、東京都現代美術館の『通路』を見たあと、途中まで書いて放り出してあったものだ。川俣の作品は平面と立体とアートが混じり合っているので、うまく分析できなかった。川俣の絵画的な作品は素晴らしいけれど、他はダメだ。
川俣正は2005年の横浜トリエンナーレの総合ディレクターだったそうだが、気が付かなかった。あれは、いま考えると、川俣のつまらない類似品を集めたような展覧会だったのだ。また、横浜トリエンナーレの時期がやって来た。行くかどうかは評判を聞いてから。
2008.09.09[Tue] Post 19:53  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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