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山内崇嗣×蔵屋美香

今回、東京に行ったのは、赤坂のCOEXISTに『山内崇嗣展』をみるためだった。めずらしくニョウボが自分から行く気になった。オペラシティのprojectN27ではあんなに文句を言っていたのに、どういう心境の変化か分からない。それは、ともかく、ニョウボは山内の新作が気に入ったようで、ひとまずホッとした。
 帰り際に、ニョウボは、山内崇嗣が今度のVOCA展に推薦されており、その推薦人が山内崇嗣とトークショーをすると教えられたのだ、それが誰なのかニョウボは憶えていなかった。あとで、それが蔵屋美香だと知って、驚くとともに、翌日のトークショーに行かなかったのを残念に思った。
 蔵屋美香は、『藤田嗣治展』(東京国立近代美術館)で、いい加減なカタログ解説を書いた学芸員だ。もちろん、それまで藤田をどう評価してよいのか分からなかったのが、この展覧会ではじめて藤田を理解できたのだから、その意味では学芸員として立派な仕事だったのだ。なかでも戦争中に藤田が監督したという宣伝フィルムはとても藤田理解に役立った。ただ、カタログ解説が美術史とフォーマリズムと精神分析をつぎはぎした批評で、蔵屋自身がいったい藤田をどう評価しているのかいっこうに分からない批評だった。わたしにはこの展覧会の藤田嗣治が凡庸な挿絵画家としか思えなかったのだ。
 だから、その蔵屋美香が山内崇嗣をどんなふうに批評しているのか興味がある。さいわい、VOCA展のカタログには推薦文が掲載されるはずだから、蔵屋美香の批評が読めるはずだ。(見に行けるかどうか判らないが、カタログは手に入れるつもりだ。)
 私の山内崇嗣論は比較的よく書けていると思うのだが、その割にはGoogleのランクが低い。Wikiには「キャンバスと絵の具と図形と図像の問題を探求した作品が多い」と書いてあるが、これは、私の山内論の「キャンバスと絵の具と図形と図像の問題を探求しているのだ」と同じだ。これは近代絵画では常識的なことなのだが、わたしの絵画論はフッサールの図像の三層構造(物理的図像、図像客観、図像主題)をもとにしていることに留意してほしい。図形(図像客観)はその自然的具象性によって図像(図像主題)になるということだ。
 私が図形と言っているのは、抽象的な円や三角や四角のことだけではない。子供のモノクロ写真が身長5センチで灰色の肌をしているのは、あくまで子供の形をした図形(図像客観)であり、120センチのピンクの肌色をした子供に見えるのが図像主題なのだ。もちろん、モノクロ写真におけるほど、現代絵画の図像客観と図像主題の関係は単純なものではない。
 深瀬鋭一郎が、山内は「抽象を具象として描く」(『絵画展』パンフレット)という表現は、レトリックとしては面白いけれど、その意味は明確ではない。もちろん批評している作品が異なるのだから、なんともいえないが、山内の作品には抽象と具象の対立があることは確かだ。
 オニグルミの葉痕や冬芽のシリーズは、植物の一部を拡大して描いたものであり、我々の目には自然的な具象性を持っていない。したがって立体的に描かれてはいるが、その具体的な大きさが分からない。植物の一部を拡大すると、おかしな言い方になるが、生物でも無生物でもなく、具体でも抽象でもない中間領域にそんざいするような奇妙な感覚が生ずる。色も植物にかかわらず、土のような無機質に見える。さらに、葉痕には動物の顔のようなものが隠されているが、これは動物ではなく、動物のように見えるだけであり、具象性よりもむしろ抽象性を強めるという逆説的な結果になっている。
 以上のような手法は、それだけでは、ただの知的なゲームでしかない。それはprojectN27で山内が思う存分やって見せたことだ。問題はそんな理屈ではない。そうではなく、そういった(図)像の三層構造のあいだの弁証法的緊張がどのような絵画的感動をわれわれに与えてくれるかなのだ。図像の三層構造を露呈させるだけでは、絵画の破壊であって、絵画の真理とはいえない。
 そんなことで、今回のCOEXISTの作品を見ると、オペラシティほどの痛快さはないが、本来の絵画的真理に接近してきたような気がする。カンディンスキーのように具象が抽象化されていくのでもなく、クレーのように抽象と具象が戯れるのでもなく、ロスコのように抽象の究極に具象が現れるのでもなく、なにか別の方法を発見したような予感がする。確かなことは、このわずかな作品だけではわからない。VOCA展を期待することにしよう。

『ドマシーと蔵屋美香』へ
2008.03.07[Fri] Post 10:55  CO:0  TB:0  -山内崇嗣  Top▲

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