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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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『美しい諍い女』★★★★☆

 この映画は以前に劇場公開版を見て、途中でやめたことがある。ゴダールの「軽蔑」を思い出したが、どうも要領の得ない退屈な映画だった。今回見た無修正版は4時間という長さだが、少しも退屈しなかった。たぶん、二組のカップルの人間関係(画商を入れて五画関係)ではなく、公開版では削られた画家とモデルの単調な描写が、むしろこの映画の見所なのだろう。
 ニョウボはペンでかりかりとドローイングをする音が嫌だというが、たしかに初めはひどく不快な音におもえたけれど、我慢して見ていると、十年間眠っていた画家の魂の叫びのように聞こえてくる。画家はなかなか描き始めることが出来ず、キャンバスをひっくり返したり、机を片づけたりするところは、芸術家の陳腐な描写にも拘わらず観客を引きつけ、画家にアイデンティファイする感情が容易にうまれる。ペンをカリカリさせる音は、木炭や鉛筆がキャンバスを擦る音に替わっていくのだが、たぶん本職の画家が描いているのだろう、手の動きがキャンバス上に残す線を見ていると、まるで自分で描いているような錯覚が生まれてくる。
 同じことが、モデルのポーズにもいえる。モデルの裸を正面から誤魔化さずに撮っていて、陰毛は付髭のようでちょっとコミカルで、猥褻なものはなにもない。画家はモデルを解体しバラバラにしてカオスにするのだといって、モデルの手足を無理矢理不自然な位置におき、また、モデルのほうも画家の挑発に負けずにそれこたえる。画家とモデルの戦いなのだ。
 ミシェル・ピコリはまるでロダンのような不自然なポーズをモデルに強要する。ロダンのモデルをしたイサドラ・ダンカンは、ポーズをつけるロダンの手が誘惑の仕草をしたというが、ミッシェル・ピコリはただベアールの肉体を解体しようとするだけで、そこにはエロティックなものはなにもない。そしてわれわれも、また、画家のようにベアールのヌードをモノとして見始めるのだ。
 画家を主人公にした舞台や映画はたくさんある。それはたいていは芸術家の苦悩や情熱を描いたものだ。しかし芸術家ではなく絵を描くことそのものの魅力をこれほど見事に表現しえた映画は「美しい諍い女」がはじめてだ。
 絵を描くことの秘密を教えてくれたので特別に★四つ半
2008.01.17[Thu] Post 01:02  CO:0  TB:0  映画  Top▲

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