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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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これから画廊をオープンさせる者ですが・・・
最近、私の絵画をみる感覚というか、
自身が仕入れをしている為、扱ってる作品に対する
評価が甘い感じがあります。
そこで 是非 私の扱っている画家を評論して頂きたいのですが?如何でしょうか?
2006.05.14[Sun]  投稿者:kush  編集  Top▲

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上田高弘「モダニストの物言い」を読む(3)

 最初に訂正:VOCAで触れた写真とエッチングを使った作品は受賞作ではありませんでした。最初に飾ってあったことと、展示作品の中で唯一美術度が高かったので、そう思いこんでしまいました。また、第一生命が買い上げるのは受賞作品だけです。

 さて、川村記念美術館のロスコに戻ろう。
 ロスコの「シーグラム壁画」には図形も図像も書かれてはいない。その意味ではこれは壁画ではなく、文字通り壁となってわれわれを取り囲むことになる。

 しかも、何も描かれていないため、われわれは何処に立って何を見ればよいのか迷うことになる。小豆色に塗られた平面は明度差が少なく、しかも部屋を暗くしているので、なおさら明度差がなくなり、キャンバスをはっきりと知覚することができなくなる。モヤッとしているのだ。

 明度差がない広がりをはっきりと見ることができないのは、知覚心理学上の事実だし、物をはっきりと視知覚できなければ、われわれの身体感覚が崩壊してしまうのも事実だ。(これが没入や演劇性と関係があるのかどうかはわからない)
 
 中村一美の「連差ー破房XI(斜傾精神)2002年」は明度差もあるし模様図形もあるので、絵を見る位置に困ることはない。(川村美術館のロスコの部屋は小さいので、絵からそんなに離れて見ることはできないようになっている)

 上田高弘も、何がどのくらいの大きさで書かれているかによって、絵を見る距離は変わるし、抽象画のばあいでも、少なくとも四隅が見えるぐらいの距離を推薦しているのだから、わたしの見る位置もそんなに間違ってはいなかったことになる。

 さて、中村一美の絵そのものに関してだが、上田は具体的なことも言っている。絵の具を筆で支持体に塗ることによって時熟するマチエールという、ミニマル・アートが忘れた絵画の伝統が、不定形絵画を描いた朝比奈とは違うカタチで中村一美に生きているというのだ。

 それが中村の直線的奔放さを持つ運筆の速度だとういう。平面を這う線という絵画が持っている不自由さを圧倒するためにこそ、中村は「身体性を逸脱するがごとき制作の規模と速度を必要とする」と上田高弘はいうのだ。

 これは、私が「連差ー破房XI(斜傾精神)2002年」の白いくさび形のフデアト(筆跡)に具象性を見たのと、理屈づけは異なるものの、おそらくは同じことを指しているのではないだろうか。

 もちろん私が中村一美の面白さをフデアトの具象性と考えたのは、私が図像主義者としての偏見があるからだろう。この具象理論で一般的に抽象画の面白さを説明するには、少し無理があるだろう。いずれにしろ、フォーマリズムの理論を学ぶ必要はあるようだ。

 これまでも、グリーンバーグやクラウスなどを読まなかったわけではないのだが、あまりよく理解できなかったのだ。さいわい、中村一美をきっかけに、上田高弘の「モダニストの物言い」の中味が少しずつ理解できるようになったので、上田の意見に賛成かどうかはともかく、ここから、現代アートへの挑戦を始めたい。

 クラウスに見られるよう、なぜ言語の理論から生まれた記号学が、図像に適用できるのか不思議である。バルトもあやしげである。ファッションの記号学といいながら、ファッション雑誌のテキストを分析している。あるいは映像の記号学と言いながら、実は古くさい図像学を現代風に化粧しなおしただけのものもある。写真はindex記号だから、類似記号である図像と違って、指示対象に似ていないと言い張って、それなら今度肖像権で訴えられたら、これは写真だから似ていないと言ってやろうと、ネットでおちょくられていた学者が日本にもいた。

 「モダニストの物言い」には記号論まがいのものが一切出てこないのが非常に好感がもてる。だからといってわかりやすいわけではないのだが、粗雑なアナロジーに悩まされることも
ない。

中村一美の展示は七月まで行われるらしいので、もう一度見ておきたいと思う。それからチャンスがあれば、モーリス・ルイスと朝比奈逸人も見ておきたい。この3人は上田が「モダニストの物言い」で褒めているからだ。 にほんブログ村 美術ブログへ
 

 
 


 

スレッド:絵画 / ジャンル:学問・文化・芸術

2006.05.12[Fri] Post 17:29  CO:1  TB:0  美術展評  Top▲

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2006.05.14[Sun]  投稿者:kush  編集  Top▲

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