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物言い 物言い(ものいい)とは、大相撲において、行司が下した判定に対し、勝負審判や控え力士が異議を唱えること。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article- History License:GFDL .....続きを読む
2007.08.01[Wed]  発信元:大相撲情報局  

上田高弘「モダニストの物言い」を読む(1)

上田高弘は美術界全員を敵に回して、モダニズムのために、たった一人で戦っているらしい。

 この本は東京都現代美術館で「特集展示:吉田克朗/中村一美」を見た日に、そこのショップで偶然買ったものだ。ちょうどその日はブログにも書いたように、中村一美の「連差ー破房XI(斜傾精神)2002年」の絵を見て、少し感動した、というより、私の抽象画嫌いの信念が、すこし動揺したあとだったので、この本を手に入れたのは幸運だった。

 タイトルの「モダニストの物言い」というのは、モダニストの物の言い方が失敬だと腹を立てているのかと思った。ところがそうではなく、どうも無視されたモダニストが腹を立てて、異議を申し立てているらしい。相撲で使う「物言い」のことだと合点がいったのはだいぶたってからだ。

 なにしろ、現代芸術理論というのは難しくて、そのうえ論争ともなると、当事者やステークスホルダーでなければ理解できないことがたくさんあるようなのだ。

 実のところ、この本を手に入れて、すぐに拾い読みをしたのだが、肝心の抽象表現主義とミニマリズムの違いもよくわからなかったし、フリードとクラークの論争も、一方は、作品の内在的自立的な価値によって判断すべきだと考え、他方は、そうではなく、社会的経済的な下部構造で説明すべきだという、ずいぶん古いパラダイムの対立らしいという、まことに皮相な理解しかできなかった。
 具体的な作品を見ていないので、細かい議論は、ほとんでちんぷんかんぷんであった。
 
 あとは、VOCA展とキーファー展を見ていたので、そこを読んだ。
 上田が述べているのは1997年のVOCA展(わたしが見たのは今年のVOCA展)だが、かれは作品を批評しているのではなく、VOCA展の組織運営を批判している。VOCA展は美術界のヒエラルキーを確認するための組織になっているというのだ。
 
 確かに思い当たる節があった。作品がみな同じなのだ。入り口にあった何か賞をもらった作品は、写真とエッチングという同じプリントの技法だが、まったく異なる表面を持つ、二種類の図像を重ねるという手法で確かに面白効果をあげていたが、それも含めてどれも図像をいじくり回した作品ばかりなのだ。 
 
 私はすぐにこの同じ美術館で、去年の秋に開かれたシグマー・ポルケ展を思い出した。絵や模様がプリントされた布地をキャンバスに貼り付けてその上から絵の具で絵を描いたり、汚したりした絵で、汚いだけで何が面白のかさっぱり分からない絵だ。 

 それから魔法陣の数字を順番に線でつないでできた図形を壁に陳列しているが、いったい何が何んだか分からない。CGにやらせれば良いものをわざわざ手で描いているのだから、写真を模写したゲルハルト・リヒターのむこうをはっているのかともおもえるが、真意は分からない。

 数学的な関係が座標上に作る図形はみんなよく知っているけれど、まさか魔法陣の中にこんな図形が隠されていたとは知らなかったろう、どうだ面白いだろうといいたいのかしら。それはあいにくで、キリストの像でも現れたら拍手喝采だが、現れたのは何の変哲もない図形だ。
 
 VOCA展の出品者がなぜみんな同じことをやっているのだろう。毎年同じことをやっているわけではないだろうに。図像をいじくり回すのは現代アートの流行なのだろうか。いまもっとも評論家に人気のあるらしい先に述べたゲルハルト・リヒターにも図像をいじくり回す手法が頻出するけれど、どうもこれは「自己言及性」のあたらしい潮流らしい、というところまでは推測がつくのだが、それにしても、平面であるという条件だけなのに全国の推薦委員が一斉に右にならえをするのは不思議な気がした。

 それと、カタログを買うかどうかいつものように悩み、結局買うのを止めたのだが、そのあと精養軒でビールを飲みながら、買っておけば資料的価値はそうとう高かったのにと残念におもった。

 というのも、そのカタログは奇妙なカタログなのだ。全作品の右下に推薦者の推薦理由が載っているのだが、いくつか読んでみると、なにかふだんの学芸員とは違う調子なのだ。弁解じみたのもあるし、自慢げなのもある。これを全部コンピュータに入れて語彙やなんかを分析したら面白いのではと思ったのだ。

 それともう一つは第一生命がこの出品作品を全部お買いあげになるらしいことだ。こんなたくさんの玉石混淆(?)の作品を毎年買って、保険会社の投資として引き合うのだろうか。いくらで買うのか分からないが、なにかからくりがあるのだろう。(この部分削除)

 こんな疑問がこの本を読んで半ば氷解した。
この展覧会は画家ではなく、推薦者を評価する展覧会なのだ。だから六名の選考委員の顔色を窺って、今年の傾向などを推測したり、当然半年前に行われた上野の森美術館の大きな行事であるシグマー・ポルケ展の影響を受けたに違いない。それで、推薦された作品はどれもが図像をいじくり回したような作品ばかりになったのだ。

 それと、キーファー展の方は通勤途中池袋を通るので、セゾン美術館も時々覗いていたのだが、キーファーの汚いだけの、なにかのメッセージを象徴するようなものをごたまぜにして、ゴミ捨て場のようなった作品の何処が面白いのかさっぱりわからなかった。とくに悪いのはNHKの新日曜美術館で、あのころしきりにセゾン美術館の展覧会を取り上げていて、ずいぶん被害を被ったことをおぼえている。

 当時、キーファーがツマラナイとはだれもいっていなかったような気がするが、上田のような評論家がいても、なかなか聞いてもらえなかったのだろう。
 
 それでも、上田がキーファーを論じるために、なんでそんな大仕掛けな道具立てが必要なのかわからない。わたしはシンボルだったり、メッセージがある絵は絵ではないと思っている。絵はメッセージの手前にあるのだ。

 それと立体も絵ではないと思っている。平面が立体に見えるのが絵だ。立体が立体に見えてもあたりまえだ。だから、たいていの彫刻はつまらないのだ。ジャコメッティの彫塑が面白いのは平面が立体になるからだ。
 
詳しくはホームページで。
上田高弘の中村一美については続きます。
 
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スレッド:絵画 / ジャンル:学問・文化・芸術

2006.05.07[Sun] Post 19:08  CO:0  TB:1  美術展評  Top▲

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