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田口和奈

田口和奈《その悲しいしらせ》(上野の森美術館VOCA展)

 二階に上がったちょうど正面にこの写真が展示してあった。こういう軟調の暗い写真は昔、流行ったことがある。それにしても、気味の悪い写真だ。アンバランスな顔で、女性だと思うが、ロリコンぽいところもあり年齢が判らない。口を半開きにし眉間が極端に引っ込んで目がチグハグである。見れば見るほど気味が悪いおとなこどもだ。こんなものが佳作賞とは狂気の沙汰である。
 VOCA展は平面作品ということで毎年写真作品が推薦されている。去年のVOCA展でも蜷川実花が花の写真で大原美術館賞をとっていた。そのときの選考委員長の高階秀爾の講評から蜷川の箇所を抜粋する。

 「燃えるような赤を基調とするパネルの上に配置された40点の写真は、まずその鮮烈で濃密な色彩によって見る者を圧倒する。撮し出されているのは、強烈な太陽の熱と光に曝された南の島の墓地に、土地の住民たちが捧げたという造花である。思い切ったクローズアップや原色を故意に強調した手法によって捉えられたこれら人工の花たちは、互いに共鳴し合い、高め合って、壮大な色彩の交響曲を響かせる。他の誰も真似することのできない見事な達成であろう。」

 ほとんど常套句を並べた美文調というにはあまりに拙い褒め言葉であるが、高階はいったいこのつまらない凡庸な写真にほんとうに感動したのだろうか。「壮大な色彩の交響曲」だなんて嘘もいいところだ。
 去年のことはともかく、ことしも数人の写真作品が推薦されており、どれもがつまらないのだが、その中から一番つまらない、しかも気味の悪い肖像写真が選ばれて賞をもらったということらしい。今年は高階秀爾がどんな講評を述べているかカタログを読んでみたが、「遠い日の思い出のような叙情性」といった言葉があって、引用するのもくだらないから、田口を推薦した飯田志保子(東京オペラシティアートギャラリー)の文章から引用する。飯田の推薦文は十数年前に流行った記号論風写真論になっているところは高階の講評より新しい衣装をまとっているといえるが、最後のところで、「どこか虚ろで寂しげな表情」と表現するあたりは、イイカゲンだという点では高階と同じことだ。長くなるけれど、記号論風の箇所を引用する。

 写真というメディアはプリントされた時点で被写体を過去時制へと移行させ、存在証明として我々にそれが実在していたと自動的に思い込ませる。田口の作品が合成写真と異なるのは、肖像画という「形式」に対して我々がリアルさを感じることを突いている点だ。下絵が作品として提示されることはないが、描かれることでそのイメージは実在/不在の境界線を越えて一度物質化される。そして写真になるプロセスにおいて表面の密度が変化しディテールがぼかされ、「彼女」はリアリティを、印画紙の中で生を獲得する。しかし同時にそれは文字どおり実存を欠いた究極の表面でもある。

 カタログを読んで初めて知ったのだが、田口の作品は、実はモンタージュ写真で作り上げた女性をもとに絵を描き、それをまた写真に撮って印画紙にプリントするという方法で制作したものだというのだ。といことは、これは写真と絵画のキメラのようなもので、田口自身飯田(訂正7/8)の大袈裟な言葉を借りれば、「実在/不在の境界を越える」とか「絵画と写真を横断する」メディアということになるのだが、だからといって、僕はこの作品の評価を変える気はまったくない。
 たしか写真は、絵画に比べて、図像主題が実在するという強い信念が伴うけれど、それは写真がインデックス記号だからではない。アイコン記号としての類似性が写真の歴史の中で習慣になっただけなのだ。現象学的還元すれば、ということは実在を括弧に入れてしまえば、写真と絵画の違いは記号論的な差異ではなく、たんに様式のちがいでしかないことがわかる。ゲルハルト・リヒターが示したように、真正の写真と写真様式で描いた絵画を区別する根拠は何もない。(注)
 もともと実在性などない写真をカットアップして合成写真を作ったからと言って、初めから無い実在性がさらに減少するなんてことはないのだ。それを、推薦者の飯田はあたかもインデックス記号とアイコン記号の二項対立がモンタージュによってさらに深化したかのような、ポモ風のレトリックを展開する。
 高階秀爾のすごく古い文学的なレトリックも、飯田志保子のもう古くなった記号論的レトリックも、田口和奈の気味の悪い写真を面白くすることはできないのだ。
 VOCA展よ!いい加減に平面だからと言ってつまらない写真を推薦するのはやめましょう。
注:写真のindex性については私のHP『絵画の現象学』に掲載した『写真はインデックス記号か?』を参照してください。 にほんブログ村 美術ブログへ
2007.04.16[Mon] Post 01:49  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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