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高柳恵里

 「20世紀美術探検」(国立新美術館)★★★★OR☆

 最初の展示作品《生花》を見たとき、また下らぬアートかと思った。生花をインスタレーションもどきに仰々しく飾って、反美術とか言うんだろうと呆れかえった。それでも、一応は、遠くの台にのせてある生花のところまで行って、周りをぐるりとまわってから、次の《古着coordinate》の展示室にいった。これも《生花》と同工異曲の、ごく普通のブティックのディスプレイに見えるが、何か引っかかるものがある。かって展覧会で感じたことのない不思議な感覚だ。
 「レディメイド」という言葉が浮かんだ。デュシャンのレディメイドもディスプレイだし、古着と言っても既製品なのだから、これもレディメイドにちがいない。しかし、どうも高柳の作品の勘どころがわからない。なによりわからないのは、タイトルが《古着coordinate》なのにちっとも古着のようにみえないことだ。
 と思ったところで、オノデラユキの「古着のポートレイト」や石内都の「mather's」の母の古着を思い出した。二人の古着は高柳の古着とちがって分かりやすいのだが、その分かりやすさは、グリーンバーグが定義した意味でのキッチュの分かり易さである。美しい階調のモノクロ写真で、オノデラは透明人間が着ているように人物不在のポートレイトを撮っているし、石内は、確執のあったという母親の遺品の下着を撮っているのだが、両者とも非常にわかりやすい、ありきたりの古着の物語をものがたっている。
 高柳は古着から物語を排除している。少しよれているけれど、シミもシワもない新品同様の古着を、なんの芸もなく、ただハンガーに掛けて吊してある。白と灰色と黒のモノトーンでまとめているが、上品でもないし地味でもない、野暮でもないし粋でもない。ただ、普通にマトモで、ネッカチーフやネックレスの小物類は、ちょっと野暮ったいけれど、これも教科書どおり、アイテムがレディメイドなら、コーディネイトもレディメイドということらしい。
 高柳は《古着のコーディネイト》から物語を取り除くだけではなく、個性とかオリジナリティも排除する。ただ、美しいもの面白いものを、なによりも自分がそう思うものを、レディメイドのデザインを手本に自分の手で見つけていく。
 というわけで、僕はあわてて、《生花》の部屋に戻って、菊と松の生花を見た。菊と松を生けるのは華道の定番なのだろうが、それにしても平凡な生け方だ。丸い花瓶に丸い大輪の菊を生けてるのは気になるが、それでも三角形の構図を作り出そうとしていることは判る。華道の美しい形があるわけではないが、ジャポニスム風のフラワー・アレンジメントと考えればそこそこに面白い。
 他に、インテリアの写真とライティングのインスタレーションがあるのだが、これらはどちらかというと、商業デザインのパロディになっていて、前二者ほどの面白さはない。写真は洗面台と坪庭と作りつけ家具を撮っているが、これらはどれもたとえば「BRUTUS」のような高級めかした大衆誌でおなじみのテーマだが、高柳は明らかに広告写真の技法を無視し、悪意のない素人のふりをして、撮りたいものを真ん中に、すこし斜めの構図で撮っている。ライティングのデザインもバブルの頃に、盛んにインテリア雑誌をにぎわしたものだが、高柳のライティングは、エクステリアのライトアップなのかインテリアの照明なのか、どっちつかずの中途半端なライティングで、赤青黄の投光器は遊園地のライトアップに見えて、ギャグとしては力が弱い。
 高柳の作品は、デュシャンのように、レディメイドの実用品をそのままディスプレイするのではなく、生花、ファッション、インテリア、照明などのデザイン商品をアレンジしたりコーディネイトすることだから、オリジナリティーが出せないわけではないが、どちらにしても流行に左右される。とりわけファッションは流行そのものだから、定番商品で個人的な趣味を最小にして、しかも、古着が古着に見えないように、シミといっしょに物語を取り除き、ハンガーに掛ければ、古着は美術品ではなく実用品になってしまう。
 というわけで《古着のcoordinate》は、高柳があしたデートに着ていくためのコーディネイトなら、相手が誰だかしらないが、どうみたって野暮、遠い親戚のおばさんが釣り書き配ってくれた見合じゃないんだから、いくらなんでもそんな格好はやめなさいと忠告したくなるようなコーディネイトだ。とは、言うものの、反対に「BRUTUS」が高柳恵里特集を組んで、あたらしいデザイナーとして紹介してもちっともおかしくないだろう。
 高柳は本来パロディやアイロニーの作家ではなく、正座のパフォーマンスでもわかるように、美の形というものを大切にする工作の人なのが、今回の作品は、アレンジメントとかコーディネイトとかの組み合わせの作品なので、素材を直接扱うこともできずに、どうしても批評的な視点が前面に出る。
 しかし、たとえば高柳の《雑巾》シリーズは、雑巾という日常的な材料に形を与え、反芸術ではない、まっとうなオブジェをつくっているのだから、今回の古着もコーディネイトをするだけではなく、素材として切ったり縫ったり丸めたりしたら面白ものができたのかもしれない。しかし、それでは《古着のcoordinate》の反キッチュとしての現代アートの面白さがなくなってしまうだろう。
 これまで多くの美術家がデュシャンのレディメイドのパロディに挑戦し、失敗してきたのは、デュシャンのレディメイドの否定的な面しか見ていないからだが、そんななかで、高柳の「レディメイド」はデュシャンの肯定的な面にもっとも迫った作品と言えるのではないだろうか。
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2007.03.22[Thu] Post 02:06  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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