ART TOUCH 美術展評

久米宏のCAR TOUCHにならって、五つの項目に分け、5点法で美術展を評価します。美術展を楽しみながら、現代美術理論の理解を深めます。

大竹伸朗(4)

 『大竹伸朗全景展』のことを忘れているわけではない。約束どおり三回、見に行った。三回目は『網膜』シリーズを注意深く見てきた。ナディッフに『ヤバな午後』も見に行った。
 何度もこの展覧会を訪ねると言っていた浅田彰は、何度見に行ったのだろうか。ひょとしたら賢明な浅田は再訪しなかったのかも知れない。再訪したって、なにも新しいものは発見できないことを浅田は見抜いていたのではないか。だから、浅田はカタログの解説を断ったのであり、「いつの日か大竹伸朗を語るために」と、これからも大竹について論じることはないだろうと仄めかしているのだ。
 わたしが三度も東京都現代美術館に足を運んだのは、もちろん大竹伸朗に語るべき何かがありそうな気がしたからだが、回を重ねるごとに、説明しようのない失望感にとらわれ始めた。最初に感じた「こじんまりと纏めようとする」という表現はあまり的確ではないが、何処か中途半端なのである。それは抽象画にもインスタレーションにもドローイングにも感じられるのだが、三回目に『網膜』シリーズを注意深く見て、ますますそう感じた。決定的だったのは、最後に行ったナディッフのドローイング『ヤバな午後』だった。
 大竹にとってドローイングは特別な意味がある。その技術はホックニーに見せたぐらいだから自信があったにちがいない。画家がいかにも旅行中にサラサラと描いたような達者なスケッチもある。人物の後ろ姿をちょっと漫画風に描いたドローイングもある。『ヤバな午後』は誇張省略歪曲逸脱反復ヘタウマ何でも有りを巧みに纏めている。そして彼はそのドローイングをちぎった和紙で四隅にのり付けにする。何故そんなことをするのか、いかにも崩したような巧い絵が恥ずかしいのだろうか。
 ホックニーもデッサンを崩した時期はある。しかし、ちゃんとしたドローイングを捨ててはいない。魅力的な線を求め続けている。しかし、大竹はまるでそんな線に飽きてしまったかのように捨てる。次々と線が変わる。その辺のところがわからない。年代順にたしかめてみないとわからない。
 『網膜』シリーズも様々に変貌する。いろいろな試みをする。どれもがそれなりに纏まっている。しかし、いったい何をやりたいのか、一つ一つそれなりに纏まっているから、なおさらわからない。だから、見ているうちに飽きてくる。一回目は次々に目の前に現れる変化に見とれる。二回目は既視感。三回目は退屈。もちろんこれは誇張だけれど、とにかくカタログが手元に届いたら、しばらく眺めて頭の中を整理し、もしも、大竹の膨大な作品の一つでも理解が出来たら、報告する。
 曖昧ながら頭の中で、何かがブツブツ言っている。

にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.23[Tue] Post 23:45  CO:0  TB:1  美術展評  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

大竹伸朗(4) のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/106-a9d9e46b
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

大竹伸朗

大竹伸朗大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955年10月8日 - )は、日本の現代美術家。東京都目黒区出身。1974年、東京芸術大学に落ち、武蔵野美術大学油絵学科に入学するも、即休学。北海道別海町の牧場で働く。翌年から北海道各地を巡り絵を描いたり写真を .....続きを読む
2007.09.11[Tue]  発信元:みずほの日記  
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバーFC2ブログ 専門学校
Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲