ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

スポンサーサイト のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/105-61056b9c
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

高島野十郎(2)

だいぶ前に、三鷹市美術ギャラリーで開かれた高島野十郎展について書いた。
 あのときは随分と低い評価をしたけれど、『ART@AGNES』の若いアーティスト達の戦略戦術ばかり目立つ作品を見ていると、なにか高島野十郎に不当なことをしたように思えてくる。
 いったい画家はなぜ絵を描くのだろう。現今のアーティスト達は、村上隆ほど開き直らずとも、だれもが有名になり金儲けをしたいと戦略を練っている。そのことは、アダム・スミスのパン屋と同じように、当たり前のことで、村上のように、ことさら開き直ったような物言いがむしろおかしいぐらいだ。
 それはそれで良い。かって、画家は注文で仕事をした。そのうち注文がなくても、絵画市場で売り出すために仕事をした。そして、展覧会に出品するために仕事するようになった。このころから画家は気が狂い始めたのだ。富や名誉ではなく、真理のために絵を描くようになったのだ。セザンヌがそうだ。このころの画家はみな注文主なしで絵を描いた。マーケットで売るあてもなく描いた。しかし、自分の絵は世に認めて貰いたいと、仲間をつくり、展覧会を開いた。
 ところが、高島野十郎は何故絵を描くの分からない。真理のためかも知れない。しかし、その真理が分からない。写実の真理かも知れない。たしかに高島の絵は写実的だが、それなら写真の写実と何処が違うのか誰にも分からない。彼をよく知るものは西田哲学を持ち出して「絶対矛盾の自己同一」だとのたまうのだが、その真意は皆目わからない。
 いったい、高島はなぜ絵を描いたのだろう。田中一村もまた孤独の中で、そこにある物をそこにあるがままに描き続けた。しかし、一村には挫折の体験が有り、名誉に見放されたがゆえに名誉に背を向けた。真理に到達することだけが復讐だった。だから技法上の工夫もした。
 高島は約束された学者の将来を捨てて、ただひたすら絵を描いたのだ。何故だろう。そこにセザンヌやゴッホのような狂気はない。モダニストたちのオリジナリティー神話もない。技法上の工夫もなく、ただ、ひたすらのリアリズムだ。いったい、これほどの狂気があるだろうか。
 高島野十郎の絵は、「なぜ、ひとは絵を描くのか」の問いとして永遠に残るのかもしれない。

にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.18[Thu] Post 23:55  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

COMMENT

NAME

SUBJECT

BLOG/HP

PASSWORD

COMMENT

SECRET: ※非公開コメントにしたい場合はBOXにチェックをして下さい ⇒ 

SUBMIT: 送信 

TRACKBACK

高島野十郎(2) のトラックバックアドレス
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/tb.php/105-61056b9c
 ⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。