ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

村上隆は可哀想過ぎか?

村上隆が最初にバッシングを受けたのは《ロンサムカウボーイ》などが高額で落札され時で、オタクをパクって利益を独り占めにしていると批判された。

村上は負けなかった。『芸術起業論』や『芸術闘争論』を書いてオタクの悪口雑言と戦い、日本の美術業界の閉鎖性を批判した。そして自らアート・マネージメント会社「カイカイキキ」を作って独自の活動を展開している。そういうわけもあってか、村上はヴェルサイユ宮殿やカタール・ドーハで大々的に個展を開催しているにもかかわらず、経産省が音頭をとっているクール・ジャパンからは声がかからない。他方では『会田誠展』を開催して、今一番現代美術に力を入れている森美術館の館長やミズマ・ギャラリーの主人が政府のクール・ジャパンのアドバイザーをしている。()

そんなこんなで、村上隆×shu uemuraのコラボ・アニメが酷いとか、新バージョンのDOB君のデザイが悲惨だとか言われるなか、東京オリンピックの芸術監督が話題になって、頼まれてもいないのに、村上反対の大合唱になって、さすがの村上も「わしは本人であるが、日本における村上隆、可哀想過ぎだろ!」とツィートした。

普段の村上に似合わず弱気だが、本人の言うとおり村上はクール・ジャパンから外されているので、選ばれることはないだろう。しかし、村上のヴェルサイユ宮殿の個展はJapan Popの凱旋興行のようなものだった。村上のオブジェやフィギュアはバロック・ロココの装飾に調和して、フランスの粋を集めた宮殿の室内装飾に負けていなかった。それどころか、ヴェルサイユ宮殿のインテリアそのものもが村上のオブジェやフィギュアがなければ、なんのことはない陽明門のような装飾過剰なインテリアで、欧米人にもたぶん村上のシンプルなデザインのほうがクールに感じるだろう。

それにもかかわらず今回のシュウ・ウエムラとのコラボや新しいDOB君のデザインでわかるとおり、カイカイキキにはオリンピックの舞台をマネージメントするだけの力はない。それより気になることは、村上隆にはスーパーフラットを旗印に世界に打って出たころの元気がないことだ。そもそも村上の著作を読んだり発言を聞いたりしても芸術家としての感性も起業家としての発想も分かりにくい。今年の『GEISAI』の映像を見たが、『ChimPom』や村上隆本人、それに東浩紀がギャグらしいことを言ってみんなが白けていた。そこに会田誠が照れ笑いを浮かべながらヒョコヒョコ挨拶をしながら側を通った。

現代美術の『思想地図』がどうなっているの分からないけれど、オリンピックがらみで考えると、クール・ジャパン派とKaikaiKiki派に別れるのだろうか。もちろんクール・ジャパン派が優勢なのだろうが、オリンピックは文科省でクール・ジャパンは経産省だからどうなるか判らない。何か委員会も出来たようだし。

開会式の芸術監督の候補は沢山いるのだろうが、長野のときの欽ちゃんみたいにならないようにして欲しい。宮崎駿、ビートたけし、村上隆、山口晃、束芋などなど、音楽プロデューサーや舞台演出家の事情はしらない。(秋元康が今日安倍首相と会ったらしい)

私は会田誠がいいと思う。岡田裕子と人形劇をやっているのだから芸術監督だって出来る(ちょっと無理かな)。公式ポスターは、《パルテノン神殿に原爆ドーム 》の絵の下に五輪マーク、《滝の絵》の少女たちにバラバラにした五輪を持たせる、そして、聖火リレーの最終ランナーは《考えない人》で決まりだ。 






スポンサーサイト
2013.10.12[Sat] Post 23:19  CO:0  TB:0  オリンピック  Top▲

「ラッセンとファンが同じ」 奈良美智が怒りまくる。

どちらも「癒し系」ということでしょう。必ずしも同じ人が好きになるということではなく、マーケッティングからみると買う人は同じタイプの人たちだということだ。それを奈良美智は「同じ人が好きだと言っている」と受け取れないことはないのを捉えて文句を言っているように思える。

こういう癒し系ポップアートというのはなかなか細部にこだわるので、うっかり同じだなんて言ってはいけないのは「美の商人」のイロハだと思うのだが、奈良もラッセンも自分の取引ルートにのっていないということで油断しのだろう。

イルカよりくじらが好きだとか、動物キャラより少女キャラがいいとか、いろいろ意見の相違があるのが癒し系だ。Tokyo Popでは奈良も村上も意地悪キャラが人気のようだが、もう一人の会田誠は自分のキャラを持っていないこともあって、必ずしも癒し系とは言えない。自分では鬼畜系と言っているけれど、同時に《滝の絵》はラッセンと同じ癒やし系だと公言している。滝は日本人にとって癒やしの風景ということだが、それなら浅田彰が王道だという千住博の滝の絵を持ち出せば良かった。

いずれにしろ、この「癒やし」というのはポップアートのキャラクタばかりではなく、ポスト・モダンの現代美術全般に広がっていることは、藤枝晃雄がロバート・ヒューズを引用して『現代芸術の彼岸』の中で述べている。

治療法としての芸術、それは芸術に投資する成り上がり者、それに群がる画商や美術ブローカー、芸術に憧れる文化人、感性的なものとは無縁な美術評論家、学芸員、美術史家、そして芸術家自身を一時的に癒やすものである。(『現代芸術の彼岸』P7)


森美術館の『会田誠展』に重なって国立近代美術館で『プレイバック・アーティスト・トーク』という重要な現代絵画の展覧会があった。ほとんどの作家がモダニズムを克服しようと活動しているのだが、その中の多くは直接間接に「癒やし」に触れている。マチスの「癒やし」もよく知られているが、彼の癒やしはキャラクタの癒やし、色や形の装飾的な癒やしとは異なる癒やしだということは既に述べたとおりである。(注) ちなみに津上みゆきも抽象の癒し系である。


注:『イタズラ書き』と『自家製ポルノ』(
2013.10.09[Wed] Post 00:01  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。