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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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安野光雅の『神話の原風景』と会田誠の《大山椒魚》

産経はいつまで安野光雅の絵日記の連載を続けるつもりだろう。奈良京都洛中洛外そしていま神話の原風景を連載している。だんだん絵が下手になっていく、と言うより手馴れていくと言ったほうが良いのか、あるいは、緊張感がなくなっている。《高千穂峰》も《明日香村》も観光地の絵はがきだ。

もともと水彩画の定番は、鉛筆で線描して、その上から絵具を滲ませたり、塗り残したり、はみ出したりして描くものだろう。文学者の手すさびの絵なんて大抵はそういうものだ。安野光雅はもともとは童話の挿絵とかイラストを細かく丁寧に描く画家だった。子供に絵本を買ってやったこともある。それが知らぬ間に大家になって、「売り絵」風の絵を描いて、文化功労者として年金350万円を受け取り、『御所の花』の原画展を天皇皇后両陛下がご覧になって、「神話の原風景」を産経の一面に連載している。

何もわたしは安野光雅の栄達にケチをつけようというのではない。そうではなく、ただ、この絵を見て、会田誠はどう感じるか知りたいと思う。これまでも、平山郁夫の日中友好、道徳的スローガンの小中学生の《ポスター》、岡崎乾二郎のウンコ抽象画、哲学の文庫本に描いたイタズラ書き、習字のお手本の拡大版などで絵画批判をしてきた。それなら安野光雅の水彩画もまた批判したくならないだろうか。

文化功労者とは日本文化の向上発達に関し特に功績顕著な者の意味だという。安野光雅が日本の文化の向上に寄与したとは思えない。もし、日本文化に貢献した画家を挙げろといわれれば、それは村上隆でも、山口晃でも、千住博でも、東山魁夷でもなく会田誠ということになるだろう。

会田は自分の《大山椒魚》を小泉首相がぶら下がりをした官邸の壁に掛けたいと言っていた。会田は日本画の伝統的デザインに対する鋭敏な感覚を持っている。余計な解説をしたため誤解されているけれど、《大山椒魚》は日本画のお題「鯉」の借用で、フランスアカデミーのブクローやカバネルのヌードよりずっと「上品な」作品なのだ。大山椒魚が巨大なのではなく、美少女の方が美味ちゃんと同じ小さな妖精なのだ。

山下裕二が《あぜ道》を似ても似つかぬ東山魁夷の《道》の引用だと言いながら、《大山椒魚》が日本画の「鯉」の引用だということに触れない。構図の類似性ばかりに目がいって、絵を見ていないからだろう。そんなことは会田にはどうでもいいことなのだが、ただ、会田が日本画の構図を借用しているばかりではなく、深く日本の絵画の伝統に結びついていることを理解しなければならない。いっその事、官邸などと言わずに皇居新宮殿に掛けたらどうだろう。大山椒魚は絶滅危惧種の特別天然記念物だから皇居新宮殿に相応しい。

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2013.07.30[Tue] Post 20:49  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

会田誠とサブカルチャー

以下の評論は中途半端で終わってしまった。会田誠は私の美術評論の主たる対象だったが、どうも分からないところの多い画家だ。


※     ※     ※

椹木野衣は『日本・現代・美術』の中でハイカルチャーとサブカルチャーは等価だと言っている。(注1) 宇野常寛も同じようにサブカルチャーとハイカルチャーを等価とみなしている。そして、会田誠も《ART iT》の『編集長対談』で以下のように言っている。

会田 「街のグラフィティはアートか」という議論自体、最初からこう、ある種の不快感みたいなものを感じちゃいますね。グラフィティを美術館で見せるというのは、全然いいと思うし、でもやっぱり「美術館に置かれたからアートって認定されました」って言い方はやめたほうがいいと思うし。まあ、アートの定義は、いまはどうでもよいですけど。
   ~ (途中省略) ~
アートと名付けられるか名付けられないかを気にしないっていうことを率先してできるのは、いま、日本のような気がします。上流階級の不在や、不幸にも現代美術がちゃんと社会的に存在していないということ、いわゆる先進国だけじゃなくて中国や韓国も、日本よりは社会的に現代美術っていうのが存在しているように見受けられるとしたら、日本こそ、いちばん率先して、もう美術っていう定義付けはどうでもいいし、サブカルチャーとの区別もどうでもいいって、言えるような気がなんとなくしています。そういうやつになろうかなと、僕は思っています。

アートとサブカルチャーの区別がどうでもいいだけではなく、落書きだって差別することはない。ただ、デュシャンの便器が便所から美術館に置いたからアートになったという評論家のバカな理屈はヤメにしよう。と美術評論家を批判している。⇐(これは書き直そうと挿入した部分だが、書き直しはやめた。ひとまず最後まで読んでください)


前回のブログ() で、会田誠の原点は「イタズラ書き」だと言った。「落書き」と言わなかったのは、会田誠も言っているように、「街のグラフィティはアートか」という議論が あるからだ。落書き(graffiti)にはメッセージ性があるけれど、イタズラ書きにはないともいえる。もっとも、落書きはサブカルチャーでもハイカルチャーでもない。時代の風俗習慣を表わすカルチャーなのだ。評論家や作家自身がいろいろ理屈をつければイタズラ書 きも落書きも同じようにアートになる。有馬かおるは『マイクロポップ展』で芸術の本質は落書きだと言っていたし、大竹伸朗も美術館の作品より便所の落書き のほうに芸術を感じると言っている。

ハイカルチャーとサブカルチャーの区別は本当にないのだろうか。会田は日本でハイカルチャーが育たないのは上流階級が不在だからだという。たしかに武士階級の美術は狩野派で、町人階級の美術は浮世絵だった。浮世絵がサブカルチャーであるのは、役者絵や春画など誰でもが楽しめる安価なプリントだということで、芸術の質の問題ではない。いい例が北斎だろう。北斎は狩野派も学んでいる。欧米で一番評価されている日本の画家は北斎だけれど、北斎はサブカルチャーの絵師である。この区別は現在でも日本画洋画VS漫画イラストの形で残っているけれど、これは質の問題ではない。サブカルチャーは低価格と複数性が重要だ。

ハイアートとサブカルの間に質的区別がないのは日本に限ったことではない。世界中でポスト・モダンの「ポップアート」が流行で、いたるところでサブカルのハイアート化が進んでいる。それならハイアートの質の高い絵画というものは存在しないのだろうか。確かに今は存在しない。しかし、それはかって存在したのだ。

写真を初めて見たフランスの画家が「今日を限りに絵画は死んだ」と言った。しかし、そうではなかった。死んだのは絵画ではなく、画家だった。新しい絵画が誕生したのだ。それまで画家は職人だった。注文を受けたり売るために絵を描いた。ところが売れなくても絵を描く画家が現れた。彼らは絵画とは何か、絵画の真理を探求した。画家は職人から芸術家になった。画家は貧乏が決まりになった。上流階級のパトロンはいなくなり、代わりに金持ちのコレクターが現れた。パトロンは自分の好きな絵を描かせたけれど、コレクターにはアドバイザーが必要だった。美術評論家の誕生である。

それがマネから始まるモダニズムである。彼らは絵画は絵画であると宣言した。モダニズムはマチスとピカソで頂点に達し、抽象から抽象表現主義、そしてモノクロ絵画に至って、今度こそ本当に「絵画の終焉」を迎える。絵画はイリュージョンを捨て、平たい立体になった。そして平たい立体はジャッドのキューブやステラの立体絵画になる。三次元の事物は知覚が優勢でイリュージョンはない。もう一つ、絵画の終焉に加担したのはデュシャンのレディメイドだ。ジャッドのキューブと同じようにオブジェだが、こちらのほうが反絵画ばかりではなく反芸術としての影響力が大きかった。(注2)

オブジェが作られ、インスタレーションやパフォーマンスが行われた。しかし、どれも知覚の対象で、絵画的イリュージョンを生み出すものではなかった。ポストモダンになって、「絵画への回帰」が言われたが、回帰した先はモダニズム(絵画)ではなく、サブカルチャー(イラスト)だった。「絵画の終焉」ではなく、「絵画の忘却」だ。

「絵画の忘却」を象徴するのが横尾忠則の「画家宣言」(1980年)だ。横尾は60年代にジャポニズムとしてアメリカで箔をつけたけれどハイカルチャーになったわけではない。まさにハイアートとサブカルは等価だという中途半端な立ち位置にいたわけだ。そこで彼は「画家宣言」をする。ハイアートとサブカルチャーの区別がないところでは「私が画家だといえば、私は画家である」。

勿論それだけではハイカルチャーにはなれない。理屈が必要だ。それで当時流行の「引用・反復」など、絵の分からない評論家が評論を書きやすい理屈をつけた。もともと広告デザイナーなのでコピーライターとの接触も多く、どうすれば商品が売れるか知っている。文化人との交流も広がった。日本のポップアーティストとしてアメリカでも認められ、ヘタウマの戦略も成功した。などなど、詳しくは知らないが、ともかくデザイナーから画家(アーティスト)になることに成功した。

絵画はアクションになり、絵画でもない彫刻でもない反芸術的なオブジェが生まれ、そしてインスタレーション、パフォーマンス、ハプニングになった。順番は知らない。ともかく、芸術はとうとうイベントになった。最初のイベントは岡本太郎の大阪万博だろう。そして岡本太郎は死んでからも、お台場で『明日の神話』のイベントを開催した。

作品はなんでも良い。それこそハイカルチャーでもローカルチャーでも良い。美術館、雑誌、メディア、企業の協賛、出来れば外国の美術業界が一枚かんでいればなお良い。『村上隆展』はヴェルサイユ宮殿が主催して、『ビートたけし展』はカルティエ現代美術財団が主催して、両方のイベントは成功した。これで絵画とイラストの差どころか、玄人と素人の差もなくなった。

さて、『会田誠 天才でごめんなさい』はどうだろう。森美術館で美術手帖とタイアップして、セレブを集めてエロスとグロテスクで話題を盛り上げ、集客もそれなりでまあまあの成功か。ところが、協賛の企業が少ないためか『平成勧進プロジェクト』を立ちあげて一人50万円のサポーターを集めたけれど、展覧会の収支決算はどうなったのかわからない。

椹木野衣がこの展覧会は「児童ポルノ疑惑」と「著作権侵害」で失敗だったと批判している。Twitterではミズマギャラリーの主人と喧嘩もしている。椹木の文章は逆説もどき満載で私には難しくてよくわからない。わかるところをあげれば、オレに挨拶がないのはケシカランということらしい。確かに、イベントとしていろんなセレブを集めたけれど、美術評論家の椹木野衣と浅田彰の両巨頭を欠いたのは最大の失敗である。

浅田は、上野の森美術館の山口晃との二人展『アートで候』で会田誠に名指しで批判されたのだから無視するのは当然だが、椹木の方がそんなに会田誠と仲が悪いとは知らなかった。椹木は仲が悪いのではない、美術評論家として画家会田誠を客観的に評価しているだけだどいうかもしれない。しかし「児童ポルノ」の問題は児童虐待の問題だし、「著作権侵害」は少なくとも『シミュレーショニズム』の著者としては芸術の引用借用の問題について一言でも触れて置かなければ不公平というものである。しかも、会田は自分の作品が盗用されたとき自分も盗用するのだからと訴えなかった事件があったのだ。

この三回にわたる椹木の美術展評は言いがかりとまでは言わないが、どこか「品がない」ところがあることは否めない。さしあたってそこが「オレに挨拶がない」という美術業界のボス宣言の身振りにみえるのだ。

次回は椹木野衣の会田誠評について「ポルノグラフィー」の視点から考えてみたい。



注1:このことはブログに書いた。()
2013.07.09[Tue] Post 00:15  CO:0  TB:0  -会田誠  Top▲

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