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『絵描き小僧展』 BEAT TAKESHI (オペラシティ・アートギャラリー)《Monsieur Pollock》②

《Monsieur Pollock》はタイトルからみると何やら芸術的な深い意味がありそうだけれど、『絵描き小僧』の中で一番縁日の面白グッズに近い作品だ。タイトルは誰がつけたのか分からないが、アイディアは多分たけしのもので「自動的に抽象画を描く機械」ということだろう。『アキレスと亀』には自転車に乗ってタイヤで絵を描くところや、発条仕掛けのカタパルトのような道具で絵具をギャンバスに飛ばす場面もある。

縁日にはアンリ・ルソーも使ったという拡大器や日光写真なども売っていた。《Monsieur Pollock》を見たら子供は大喜びするだろう。もちろんこれは「自動抽象画制作機」以上のものではない。出来上がった絵は、ランダムではあるけれど似たようなパターンの繰り返し模様で、絵画と言うよりも壁紙のデザインなのである。このことが逆にポロックの絵画が機械的に制作されたものではないことを教えてくれる。ポーリングやドリッピングは機械的な技法でもないし、偶然を利用したランダムな技法でもない。ポロックの絵画は筆をキャンバスに触れずにポーリングすることで、描くことと垂らすことの表現と偶然が統一された技法なのである。

ポロックの線はメカニックなものではない。マチスやピカソのドローイングのように修練された個性的な線でもない。それは偶然を含んではいるが、偶然から生まれた線ではない。ポロックの主観性を表現しているわけではないが、いかなる意味でも機械的ではないし、ランダムでもない。それは輪郭線でもあるし、互いに重なり合う線であり、絡みあうとともに、分割する線でもある。そして、イリュージョンを生み出す線である。

《Monsieur Pollock》とは反対の意味でポロックとは異なる線がある。いわゆるアクション・ペインティングと言われる抽象画だ。足で描いた白髪一雄、芸能人の下手なサインのようなジョルジュ・マテュー、その他にも、精神分析や象徴主義などの思わせぶりな線などもある。

ポロックの線は総ての主義を超えているばかりか、機械に自動的に描かせた壁紙のパターンとも違う。もちろんポロックの個性があるわけではない。しかし、ポード絵画は紛れもなくポロックの絵なのだ。ポロックの代わりを機械がすることはできない。そのことをこの《Monsieur Pollock》は逆説的に示しているのではないか。ポロックが少し分かりかけてきたような気がする。






スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

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2012.08.30[Thu] Post 01:47  CO:0  TB:1  美術展評  Top▲

『絵描き小僧展』 BEAT TAKESHI (オペラシティ・アートギャラリー)《Monsieur Pollock》①

たけしはこれまでもいろいろな形でアートと関わってきた。映画『HANA-BI』で使われた絵は、オートバイ事故の後に自分で描いたという。『アキレスと亀』は売れない画家を主人公に撮っている。勿論、主人公の絵はたけしが描いている。それから忘れてはいけないのが、テレビのバラエティ番組『誰でもピカソ』の司会だ。

今回の展覧会は、自分で制作したのは絵だけで、あとは財団のスッタフとのコラボレーションだという。たけしの「縁日」だと誰かがネットで言っていたけれど、たしかに、2006年の『カルティエ現代美術財団コレクション展』(東京現代美術館)のお笑い版と思えば間違いない。思い出すのは『誰でもピカソ』の審査員をしていた明和電機のガジェットだ。



《ニュートン銃》の実演の映像だが、観客のわざとらしい笑いに気づくだろう。水準器、水の中の泡、鏡、林檎を地球の中心に向かって撃つなど、まじめな顔で説明すると観客は笑う。おれは知的なギャグが分かるんだという笑いと、あまりのくだらなさに呆気にとられる笑いとが入り交じった笑いだ。明和電機も大げさな身振りで巧みに面白グッズを知的な芸術の文脈にのせている。明和電機は吉本興業に所属している。

たけしの作品も明和電機と同じ面白グッズなのだが、明和電機のように知的な説明をしない。たけしはあくまでお笑いにとどまる。芸術家ではなくお笑いなのだ。ところが、お笑いはたけし本業だから、そこは本業こそのお落し穴があって、観客は勝手にシリアスなコンセプトとがあると言ってみたくなる。しかし、たけしが凡百のお笑いと違う所は、決して、お笑いの分際を忘れないことだ。芸術家になったつもりのお笑い芸人に片岡鶴太郎画伯がいるけれど、たけしは鶴太郎をバカにしながらも、自分がそうならないための反面教師にしているフシもある。

たけしはすでにお笑いで大御所にされそうになったことがあるし、映画監督としても黒沢明に将来の日本映画を背負って立つ男だと言われ、芸大の教授になったにもかかわらず、けっして芸術家にならない。今回の『絵描き小僧展』はガラクタを何でもアートにしてしまうカルティエ現代美術財団とのコラボレーションではあったけれど、何とか現代美術ではなく縁日の面白グッズになっている。たけしはインタービューで、俺は何をやっても中途半端で、お笑いと映画とアートの三つ合わせてやっと一人前」と言っている。

《Monsieur Pollock》は縁日の面白グッズの域を超えて、現代アートの自己言及性の面白さがあるように見える。次回はこの作品を考えてみる。カルティエ現代美術財団の術中にはまったかな。






2012.08.24[Fri] Post 01:39  CO:0  TB:1  美術展評  Top▲

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