ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

〔1〕美術評論とはなにか:『後美術論』 椹木野衣

このところ『ART TOUCH』に何も書いていない。展覧会に行っていないこともあるが、それより、いったい美術評論を書くということが、いったい何を意味するのか、ちょっと分からなくなったなったことが大きな理由だ。

と言うとおおげさだけれど、『美術手帖』( 2010/11)の椹木野衣氏の『後美術論』を読んで、ちょっと我が身を省みたのだ。

椹木野衣は『後美術論』の中で美術とアートを分けている。例として、黒田清輝とボルタンスキーを比較する。ボルタンスキーのインスタレーションは、美術ともアートとも呼べるけれど、黒田の油絵は、美術と呼べてもアートとは呼べないという。

それは何故か、

 こうして、僕らの「美術」は、よかれあしかれ「美」とともにあった。けれども、アートにそれはない。意味から意義へ、音から絵文字への翻訳ではないからだ。それどころか、漢字ならではの豊かな絵文字機能を捨て去った。空虚な音だけからなる表音文字の模倣でしかない。ためしにいま、「ア」「ー」「ト」とゆっくりと口に出してみてほしい。豊なイメージがそこから浮かび上がるだろうか。いや、おそらくはなんにも浮かばない。意味の見えない音だけが、すぐさま宙に消えて行くだけだ。しかしそれも無理はない。この語は歴史も内包せず意味も留められない、だたの「音」だからだ。(p132)


美術は「美」と技術の「術」を合わせた言葉だが、アートはARTという英語の音声をカタカナで表記しただけだから、概念レベルの意味が欠けている。そういうわけで、美しくもない、巧妙な技術も必要ではないオブジェやパファーマンスを美術ということはできない。しかし、そういうものでも、概念規定の意味が欠けているアートだということはできると椹木野衣は言う。

われわれがアートと言う言葉をかなり自由にいい加減に使っているのは確かだ。しかし、アートは英語として語源があるし、美術史的な意味の層もある言葉だ。美術もアートも明治時代にKunst(art)の訳語として使われるようになった。当時、どのように使い分けていたかは知らないが、「アート」が無意味な音でなかったことは確かだ。

戦後、美術という言葉ではなく、アートという外来語をしきりに使われるようになったのは、アメリカから入ってきた新しい造形芸術がこれまで日本にあった美術とは違っていたので、その違いを表わすためにあらためて現地語のアートという言葉を使った。ポルトガルからカルタやタバコが入ってきたのと同じことだ。なにも、カタカナ語が「正確な意味を伝えるものではなく、雰囲気を伝えるもの」だからではない。「アート」という言葉を不正確に雰囲気だけで使ったのは美術評論家たちなのだ。

日本の現代アートがなんでもありなのは、カタカナ語のアートの所為ではない。アメリカの現代美術だって、なんでもありなのだ。これはグリーンバーグのモダニズム解釈の誤解やダダから始まっている(と思われる)。前者はキュビスムから抽象画、アクションペインティング、ミニマル・アート、コンセププチャル・アートなどへ、他方、ダダのほうはレディー・メイド、オブジェ、インスタレーション、パフォーマンス、ハプニング、ビデオ・アートなど、思いつく限りの反美術的な作品や行為などを案出していった。(このあたりのことは良く知らない。藤枝晃雄の『現代芸術の彼岸』を読んで下さい)

それにも拘わらず、椹木氏は、何としても、空虚で何でもありの「日本現代美術」の状況(悪い場所?)をカタカナ英語「アート」の所為にしたいらしい。らしいとしか言えないのは、椹木氏の論旨を明確に辿ることができないからだ。ともかく、ARTではなく、日本語の「アート」は欧米の美術や芸術をめぐる意味や歴史から自由になったと、日本のアート・シーンの特異性を揚言する。

だから、引越しもヘアメイクもアートだし、美術史やArt Historyがあってもアート史なんてない。などなど、陰謀論も含めて、いろいろ書いてあるけれど、よく意味が分からない、なんでも、すべてがアート化する中で、アートという言葉が、日本のカタカナ文化の象徴になっている。「現代アート」も妥協の産物で、アートという言葉の使用は限界に達している。みたいなことを椹木氏は主張するけれど、このような「アート」と言う言葉の使い方は、artの語源であるラテン語のars(技術)の意味をふまえたもので、日本独特のものではない。

そういうわけで、といっても、どういうわけかわからないけれど、ともかく、椹木氏は、アートというカタカナ語の代わりに、「後美術」という言葉を使うことを提案する。後美術にはアートとフリガナが振ってあるけれど、たぶん、ポストモダンからの造語post-artを漢字で訳したものなのだろう。

現代美術が無効となり、アートについていかなる定義もないのであれば、そこではあらゆるジャンルが結合可能となる。


と、唐突に結論づける。「アート」という言葉には定義がないのだから、どう使おうと勝手だろうと、無茶苦茶な論理を振り回し、その後、カルトの教祖の御筆先のような難解な、というよりちょっと不気味な文章が続き、後美術(アート)をより具体的に言えば「音楽と美術の結婚」のことだという。

支離滅裂もここまで来ると、ついに美術評論自体がアートになったのかと呆然となるほかないけれど、ともかくいつもの椹木節で、オノ・ヨーコのハプニングに加わった経験を語りながら、ヨーコとレノンの関係こそが「音楽と美術の結婚」だという。

音楽と美術の結婚といっても、たとえば、カンディンスキーの表現主義的な色彩の音楽性でもなく、東京都現代美術館のマルレーネ・デュマスと坂本龍一とのコラボレーションでもない。そもそもレノンの歌詞とヨーコの言葉との影響共鳴を結婚と言っているらしいけれど、そこには音楽も美術もない。

なんで、こんなわからない美術評論を理解しようとしているのか、自分でも分からなくなるけれど、そもそも椹木の『後美術論』を連載している『美術手帖』は商業誌である。読者は何がしかの楽しみや効用を期待して読むのだろう。あるいは現代美術を理解したいと思っているにちがいない。美大生ならば近頃のアートの動向を知るために読んでいるのかもしれない。

それでも、後半のヨーコとレノンのところは戦術論としてなんとか読めるかもしれないが、前半は、「アートは何でもありだ」ということ以外には、何が書いてあるのかわからない。

おそらく『後美術論』は、藤枝晃雄の『美術批評の現在』と比べることによって、容易に椹木野衣の意図を理解できる。藤枝晃雄は、ミィディアムとしては絵画を方法としてフォーマリズムを擁護し、「見ることと知ることの倒錯」であるさまざまなアートの美術批評を批判している。それにたいして、椹木野衣は「後美術」という概念を使って、現代アートに関する新しい美術評論の地平を開こうとしているように見える。

藤枝と椹木の対立は、以前からあるモダニズムとポストモダニズムの対立といえる。対立といっても、藤枝晃雄はあくまでも一枚の絵を見ることにこだわっているのに対し、椹木にとって作品は、オブジェであり、パフォーマンスであり、あるいは事物ではなく音や匂いであり、さらには芸術家の言説そのものが芸術なのだ。

アートは何でもありということはそういうことであり、絵画の終焉を主張したジャッドがいみじくもいったように、「芸術とは芸術の定義であり、私が芸術と言えばそれが芸術なのだ。すなわち、椹木がアート(後美術)と言えば、それがアートなのだ。藤枝と椹木は永遠にすれ違ったままだろう。

わたしも、椹木野衣とは違う趣旨だけれど、美術と現代アートを分けている。分けているというのは正確ではない。わたしが好きなのは彫刻であり絵画だけれど、そういう旧来の美術ジャンルに属さない展示物にも面白いものがある。その従来の美術ジャンルに属さないけれど、なんだか面白い作品を便宜上アートと名付けている。例えば、田中功起、高柳恵理、泉太郎、青田真也などである。

自分の絵画論を書くと言いながら、約束を果たせず、美術とアートの問題を曖昧にしたまま、美術評論を書いている。尾崎信一郎の『絵画論を超えて』の批評も途中で放り出してある。次回から、少し美術とアートに関してこれまで気がついたことを書いていくつもりだ。

次回は「小林正人の美術とアート」についてです。『美術評論とは何か』(②)








スポンサーサイト
2011.03.25[Fri] Post 23:09  CO:0  TB:0  美術評論とは何か  Top▲

写真家本橋成一  『無限抱擁 チェルノブイリ・いのちの大地』 (『へんてこ論』から転載)

阪神淡路大震災では、沢山のアマチュアやプロの写真家が神戸に行った。なかには大型カメラを持ち込んだ写真家もいる。倒れた高速道路やビルが「絵」になると思ったのだ。週刊誌にはそんな写真が沢山載っていた。

しかし、こんどの東日本大地震は魅力がないらしい。津波が木造家屋をすべてを飲み込んでしまったからだ。そのうち福島原発事故の放射能汚染が始まり、ますます写真家の足は遠のいた。

しかし、大津波と原発事故の災害の中で人々は生きているのだ。いますぐとは言わない。いずれ誰かが撮っておかなければならない。それで、思い出すのは本橋成一だ。

彼がチェルノブイリを撮った写真家だからではない。本橋成一は魚河岸や上野駅を撮った写真家だからだ。かれは悲劇を撮る写真家ではない。普通の人々の普通の生活を撮る写真家だ。生きることの喜びを表現できる写真家だ。

本橋成一は、数少ない私の好きな写真家の一人だ。
2011.03.17[Thu] Post 21:23  CO:0  TB:0  本橋成一  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。