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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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ネガティヴ・キャンペーン:自民(60%)vs民主(40%)

民主と自民の戦いは異様な雰囲気に包まれ始めた。この状況を的確に伝えることができないが、たとえば書店に入ると週刊誌の表紙に小沢や麻生の文字があふれている。それぞれがそれぞれの立場で、相手のネガティヴ・キャンペーンをしているようだが、中味を覗くとどれも古いスキャンダルの蒸し返しか、下世話な人物評を並べたものばかり、二人の政治理念の分析に基づいた戦況解説は皆無。

昨日、10チャンネルの系列で(「News23」らしい)、野中広務をゲストに招いて、小沢と麻生の棚卸しをしていたが、なぜ、いまさら野中なのだろう。かれは利権まみれの古いタイプの政治家だろう。弱者の心の痛みがわかる政治家だとマスコミサヨクには人気があるらしいが、人生観はともかく、かれの経国済民の論を聞いたことがない。このテレビ番組の発言も、野中が直接知っていることだろうが、あいにくテレビや週刊誌の受け売りのようにしか聞こえない。権力闘争をしてきた相手の人物評としては底が浅い。

小沢より麻生のほうがましだとか、政界再編は好ましくないとか言っていたが、いったいこの番組の制作意図がよくわからない。ただ、野中という得たいのしれない政治家にしゃべらせて、小沢と麻生の択一の構図を曖昧にしただけではないか。

それから、TBSの福沢某が司会をしているワイドショウーでは、中山の「日教組解体」発言をコメンテーターが口々に罵っていたのは珍妙な光景だった。中でも女性タレントが、たぶん予め教えられていたのだろう、冷戦構造の昔はイデオロギーの対立なんかがあって、過激なことをしたかもしれないが、今はパラダイムが違って組織率も低いし云々と言ったり、選挙予想屋の福岡政行が中山の失言集をフリップで説明したり、NHKの子供ニュースの元アナウンサー池上彰が教員養成大学の生徒学生が「日教組」のことを「このニッキョウグミって何ですか」と質問したと言ったりと、さすがTBSだ、段取りが良いと感心した。池上はことほど左様に日教組は影響力がなくなったといいたいのだろうが、そうではなく、ことほど左様に日教組の教育の成果が上がったということなのだ。ついでに言えば、池上彰のこの愚かさももちろん日教組の成果なのだ。子供はだませても、大人はだませないぞぉ。

彼らの言っていることはまったく誤りだ。たしかに日教組の組織率は減ったが、日教組の思想は非組合員にも広がっているし、親も生徒もその影響を受けているのだ。それだけではない、自民党の中にも広がっているとわたしはにらんでいる。このことは別の機会に述べるとして、問題は、なぜマスコミはそこまで一方的な報道をするのかだ。みのもんたの「朝ズバッ」では山岡民主党国対委員長が、中山の発言をとらえて、自民党はナチや戦前の軍部みたいだと言ったが、舌禍事件にはなっていない。

どうやらマスコミは反麻生親小沢のようだ。しかし、小沢と麻生はどこがちがうのだろう。たぶん親中と反中のちがいだとおもうが、目下のところ外交は選挙のテーマにはなっていない。もう少し様子を見ないと判らないが、マスコミが反麻生ということなら、私は自民党にプラス5ポイント。
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2008.09.30[Tue] Post 21:36  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

中山国土交通相辞任:自民(55%)vs民主(45%)

中山大臣の舌禍事件による辞任は、まるで55年体制に戻ったような奇妙な出来事だ。三つの失言のうちどうやらマスコミが一番問題にしているのは、「日教組解体」の発言らしい。NHKは執拗に日教組側にたった報道をしているが、中山の「確信犯」的な発言はおおむね正しい。

ただ、日教組の組織率と生徒の学力が反比例するという中山理論はあまりにもサヨクに対して無防備だ。朝日新聞はさっそく組織率と学力には相関がないとデータを示してはしゃいでいるが、ことはそう簡単ではない。朝日や日教組は「真の学力とは何か」と論陣を張っていたのではないか。それに、わたしは中学生のとき(50年代)最初の「学力テスト」を受けた世代だが、そのときは教師があらかじめ問題の一部をホームルームの時間に教えてくれた。品川区の区立中学校だったが、教師が一斉に時限ストをしたりしていたのだから、ほぼ全員が日教組に所属していたのだろう。

日教組の悪は、学力でも道徳でもなく、両者をあわせた領域でなされたのだ。たとえば私の子供たちは、ジェンダー理論に基づいた性教育や灰谷健次郎を教材にした歪んだイデオロギー教育をうけたが、これは親のわたしたちが受けた偏向教育よりもずっと人間をゆがめてしまうのではないか。

中山の失言はひょっとしたら、民主と自民の二者択一が保守とリベラルのあいだの選択ではなく、昔の冷戦構造の社会主義と資本主義の二者択一だと国民に自覚させようとしたのではないか。少なくともわたしがかねていだいていた民主党に対する疑いを呼び起こす効果があった。しかし、戦術がいかにもまずい。今は、マスコミだけではなく、日本人のほとんどすべてが日教組育ちの時代だということを忘れてはならない。

中山元大臣は橋下大阪府知事の日教組との戦いに学んだ方がいいのではないか。橋下は同和利権にまで手を突っ込もうとしている。もちろん大阪と東京ではマスコミの体質がちがうこともあるが、根本的な違いは、橋下は日教組だけではなく、あらゆる利権集団とたたかっていることだ。文化人とか学者とも闘うし、関西財界人が後押しした関空だって聖域ではないのだ。

橋下と比べると中山はもと大蔵官僚という利権集団のメンバーなのが駄目な理由だ。かれは行革大臣の就任を打診されて、古巣を裏切ることはできないといって断ったそうだ。中山がかくも知性やモラルに欠けているのは、きっと日教組の教師に教わったからだろう。

中山の日教組解体発言にプラス10ポイント、行革大臣への就任拒否にマイナス5ポイントで、麻生自民党にプラス5ポイント。





2008.09.29[Mon] Post 17:21  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

麻生自民(50%)vs小沢民主(50%)

私が自民と民主のどちらに投票するかパーセントで示すことにする。
新大臣のお披露目が終わって、中山国土交通相が辞任したところで、わたしは気持ちはやや自民に傾いている。

まず、新大臣の記者会見では、甘利明行政改革相がやる気のない偉そうな態度でマイナス10ポイント。会見で一番良かったのは石破茂農林水産相だった。党首選ではひとり外交と防衛の大切さを訴えていたけれど、これは首相になるかもしれない党首選としては当たり前のことだ。他の候補が国の根幹である防衛にふれないということがそもそもおかしい。と思っていたところ、石破は、軍事オタクどころか、農業問題でもすぐれた識見をもっていることを記者会見でしめした。

石破は記者の質問に答えて、「食糧自給率はきわめて大事である、しかし、自給率を因数分解してみたとき」といって、その因数は「農地の面積」「実際の利用されている耕作面積」「農業者の数、年齢構成とその推移」「農業技術」の四つに分解される。単純に戸別保証で解決出来る問題ではないと言った。これはもちろん自民党の農業自由化方針に沿った政策かもしれないが、すくなくとも後ろ向きのバラマキ政策とはいっせんをかくするものだろう。これはプラス10ポイント。

あとは、中山国土交通相の失言問題などあるが、きょうはこれまで。ひとまず自民vs民主は引き分けです。
2008.09.27[Sat] Post 17:40  CO:0  TB:0  政治  Top▲

小泉元首相引退

小泉は結局のところなんの理念もない政治家だった。自民党をぶっ壊すといったけれど、それはただ旧田中派をぶっ壊したいだけだった。それが官僚内閣制打破のように見えたのは、郵政や道路公団の民営化に官僚たちが反対したからだ。民営化は旧田中派の利権ばかりではなく、官僚の利権にも不都合だったのだ。

靖国参拝だって親中の旧田中派に対する嫌がらせだった。それもいまや支那利権は野中から外務官僚出身の加藤紘一に移っている。もちろんこの争いは官僚や北朝鮮も巻き込んでまだまだ暗闘が繰りひろげていくだろう。いずれにしろ小泉はもう旧田中派いじめに興味を失っている。それは私怨であって政治理念ではないからだ。

引退は、小池支持表明でも得票が伸びなかったからだと世間ではもっぱらだが、小泉が憂国の士であったなら、これからおもしろくなるはずの日本の政治の舞台から去ることはできなかったろう。そういう意味では小泉より小沢のほうがまともな政治家といえるだろう。
2008.09.26[Fri] Post 01:32  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

麻生内閣発足

内閣の顔ぶれについてとやかく言うほど政治のことはしらない。麻生総理大臣が自ら閣僚名簿を発表した。それぞれの大臣に期待することを述べたあと、省益より国益のために働いて欲しいといった。これまでは新大臣は役人のレクチャーを受けてから記者会見の臨み、抱負を述べた。もちろん省益に反することは言わせなかった。それを今回は麻生が役人の先回りして言ったということだ。

これはただそうであって欲しいということで、新大臣の記者会見では元の木阿弥ということになるのかもしれない。そうなったら麻生はどうするのか。ちゃんと大臣に指示することができるのか。国益より省益を優先した大臣の首を切れるのか。

再任された桝添厚生大臣は、なんども前言をひるがえして、国益より省益を守った。長妻民主党議員もおなじだ。年金問題では労組から不正に得た情報で政府官僚を攻撃しながら、改革となると突然寝返って労組(木っ端役人)の利権保護にくみした、桝添以上の卑劣漢である。「長妻VS桝添」は「小沢VS麻生」よりおもしろい。政治家はどこまで腐敗するのか見物である。

さて、小沢民主党に入れるべきか麻生自民党に入れるべきか。いまのところ麻生50%小沢50%でスタートラインについたところだ。





2008.09.25[Thu] Post 15:27  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

自民党新総裁麻生氏351票

小池は与謝野より得票数が少なかった。しかも地方票はゼロだったそうだ。予想した通りだが、これで自民党の路線は決まった。このまま自民党が総選挙で勝ってしまったら、政界再編も官僚内閣制打破も不可能になるだろう。小池がなすべき改革は、小泉のやった私怨をはらすための改革ではないのだが、どうもマスコミの「格差と茶番」のキャンペーンで自民党の総裁選がおかしくなってしまったようだ。

自民党がこんなことなら、小沢民主のバラマキ政策のほうが、霞ヶ関解体のためにはいいのかもしれない。財源確保のための国債発行も増税もしないというなら、官僚内閣制の背後にある利権構造を本気でこわしてくれるかもしれない。

民主党のバラマキ政策を確かめようと調べたら、マニフェストにはっきりと書いていないけれど、民主党の政権構想には人権法案などの不気味な利権構造が隠されているようだ。旧社会党のながれを汲むサヨク利権集団が息を潜めて民主党を乗っ取ろうとしている。自民党にも変なのがいるし、いったいどこに投票したらいいのだろう。
2008.09.22[Mon] Post 22:58  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

『ウィキペディア革命』

おもしろくない本だ。ほとんどトンデモ本である。出版社がどこか見たら岩波書店だったので、なっとくした。

従来の知の制度によってウィキペディアを批判している。ウィキペディアには欠点があるからきちっと管理しろと言う。結局は、従来の知の権威や公正な編集権を復活させろと言う主張になる。そんなことをしたら、ごくふつうの百科事典をネット上無料公開したのとかわりなくなる。

『ウィキペディアで何が起こっているか』の書評で書いたように、ウィキペディアが駄目なのは、掲示板とちがって公正さをめざそうという編集権があるからだ。だからその欠点は、この本を含めた、従来の書籍出版物にこそ当てはまることだ。

雑誌ネイチャーが自然科学的な項目について、ウィキペディアとブリタニカの信頼度を比較した。さしたる差はなかったという報告に著者は難癖をつけているが、そもそもインターネットでも印刷物でもイデオロギーに満ちているのは人文科学社会科学の分野だろう。権威のある印刷物は、自分のイデオロギーを隠しながら系統的に巧みなレトリックで繰り返し詳細に書かれている。それに比べ、インターネットの情報は、もちろん古い知的衣裳を纏った論文もあるけれど、たいていは断片的で表層的でイデオロギーをむき出しに書かれているものが多い。しかし、ネットで大切なことは、異なった意見偏見が隣り合わせに並んでることだ。

著者はウィキペディアを古い百科事典の理念に近づけたいようだが、それがウィキペディアの欠点になっている。公正であろうとすれば、必ず不公正になるのだ。識者が書いている新聞の書評欄はつまらない偏見にみちたものになっているが、アマゾンのブック・レヴューはいろいろな意見が書かれているから、そこから公正らしき書評を選ぶことは容易にできる。削除の規則はあるけれど、基本的に書き込まれた書評はそのまま載せて編集しないからだ。

もし読むなら、『ウィキペディアで何が起こっているか』のほうが、著作権や名誉毀損に触れているぶんましだろう。岩波書店インターネットに関するフランス語からの翻訳本なんて四重に読むきにならない(でしょう)。

 

 

2008.09.20[Sat] Post 13:52  CO:0  TB:0    Top▲

汚染米と小泉改革

J-CASTテレビウォッチによると、「朝ズバッ」で以下のようなやりとりがあったらしい。

みのが「それにしても何故、次々と不正転売を……」に、番組に生出演した元農水省勤務の森島賢・立正大名誉教授が「過当競争ですよ」と次のように解説した。
「以前は、米を売る場合は農水省の許可が必要だった。それが(小泉改革の)規制緩和で許可がいらなくなり、届け出さえすれば販売できるようになり、業者がものすごく増えて過当競争になった」
毎日新聞論説委員の与良正男も「小泉改革の『影』の部分ですよ。規制緩和は……。何社も何社もブローカーを重ねるたびに、それぞれが利ザヤを稼いでいる。最後はまあまあの値段で偽装米を買わされる。とんでもないですよ」と、怒り心頭だ。

こんな経済学の初歩も知らない輩がテレビに出てきてしゃべるということは、官と学とマスコミがつるんでいることの証拠だろう。米の完全自由化すればこんな構造的な腐敗はなくなる。中途半端だからこうなったのだ。

戦後の闇米はもちろん食管制度のせいだが、はじめはそんな構造的なものではなかった。わたしの実家は国電の駅のそばにあって、ホームが土手の真下に見えたのだが、たまに闇米の手入れがある。すると闇米屋がホームから線路づたいに逃げるのだ。しかも裏の家が闇米屋担ぎ屋で、そんなときは大騒ぎで、一斗缶に入れた米を我が家が隠してやったこともある。

闇経済は統制経済下で生じる経済合理的な行動だ。最初のうちは個人営業だが、そのうち当然組織的になり、裏と表が一つになっていまのような汚染米を利用したコメ・マフィアができあがる。これはパチンコの景品買いでも同じだ。換金のためにたばこが使われていたころは、暴力団ばかりではなく、個人も景品買いをしていた。実家の店には景品買いが出入りしていた。というのも彼は警察と暴力団の両方に追っかけられていて、あぶないときは、母がたばこを店で預かってやっていたからだ。しかし、そのうちこの男は暴力団に暴行をうけ、いつのまにか町から消えてしまった。

ともかく、いろいろ紆余曲折があったが、現在のパチンコの換金システムは当時の専売品だったたばこの替わりにカミソリの刃とかライターの石(今はどうなっているか知らない)など使った表と裏のなかば合法的なシステムになり、警察が天下っているのだ。だから、闇経済というのは暴力という非合法の規制(掟)だけではなく、法律による合法的な規制でも生まれるのだ。(たばこは収容所などでは代用貨幣として使われた)

どちらにしろコメ流通の規制緩和がはじまったの小泉内閣以前のことだ。何でもかんでも小泉改革に結びつけるのはやめにしよう。闇米・黄変米・古米・古々米・汚染米などすべては規制の結果なのだ。それから、近頃、役人たちが食糧自給率39%と国民の不安をあおっているのも利権のためだということを忘れてはいけない。

2008.09.19[Fri] Post 14:00  CO:0  TB:0  経済  Top▲

山本篤選手 走り幅跳び銀メダル

山本篤選手が北京パラリンピックの走り幅跳びで銀メダルを取った。その跳躍をテレビのニュースで見て、義足のほうの脚で踏切をしているように見えた。踏切は利き足でやらないと力が入らないのではないかと気になって、他のニュース番組で確かめると確かに義足で踏切をしている。それでは義足のバネの力を利用しているのではないかと疑問に思った。すると毎日JPニュースでつぎの記事をみつけた。

3回目の跳躍で、左脚の義足に体重が乗った気がした。山本は「『来た』と思った」。そのまま左脚で踏み切ると自己ベストの5メートル90には届かないものの5メートル84の好記録。この種目は記録がポイント換算されるため、順位は2位に。「結構良い記録だったので相手にプレッシャーを掛けられた」。他選手のミスも相次ぎ2位に入った。
00年に交通事故で、左脚の太ももから下を失った。かつては右脚で踏み切っていたが、04年の記録会で歩幅があわなかったため、たまたま左脚で踏み切ったところ、従来の自己ベストを約1メートルを超える好記録が出た。

助走のスピードを生かすには「踏み切る脚は足首とひざをロック(固定)しないといけない。だが、義足の脚だとあらかじめ固まっており、ロックせずとも、地面からの反発力に体を乗せれば良い」。大会を連覇したドイツ選手も義足を付けた脚からの踏み切り。世界のトレンドに乗った山本の跳躍でもあった。(毎日jpニュース)

踏切の脚は膝と足首をロックしなければならないというのは本当だろう。しかし、反対側の脚だけで跳ぶわけではない。どちらにしろ、両足のバランスが大切なことは100メートル競争の山本選手と優勝した選手の走りと比べればわかる。山本選手は左右のバランスが悪く上体がよじれているけれど、優勝選手はまったく健常者と変わらないバランスで走っている。たぶん日本は競走用の義足の開発にお金を掛けていないのだ。お金を掛ければ山本選手は一秒ぐらい記録をよくすることができるにちがいない。そうなれば走り幅跳びと100m競争では義足を履き替えることになるに違いない。

なにもパラリンピックに難癖をつけているのではない。 パラリンピックもオリンピックと同じように堕落しているなといいたいだけだ。義足の開発は、水着の開発と同じだし、そもそも、パラリンピックとオリンピックの違いは体重別や男女別のようなものだ。障害者の差別がなくなり、健常者と同じように真の社会参加ができるようになったと喜ぶべきだろうか。たぶんそうではなく、健常者と同じように腐敗する権利を獲得できただけではないか。

そもそも、男女別に競技するのは差別ではないか。なぜ、シンクロナイズド・スイミングには男子がないのか。あんなものは男の子がやるもんじゃないというなら、それこそ差別だ。そもそも男と女をどこで区別するのか。女らしいとか男らしいとかで決めるのか。あるいは外性器の形状できめるのか。ふたなりはどうするのだ。いまは、染色体検査をするらしい。以前は男性疑惑がよくあったが、今は予め検査してあるのだろう、性チェックはほとんど話題にならない。それなら性染色体異常の人はどうしているのだろうか。かれらはオリンピックに参加する権利はないというのか。男性としてならいいのか。女性は男性と異なる性染色体の型という理由で特別枠を作っているなら、XXYの染色体のひとも特別枠をもらっていいではないか。XX染色体とXY染色体がXXY染色体を差別しているのだ。ところでXYY染色体の超男性はどうしているのだろう。

それとも、すでにパラリンピックにはそういう人たちのための参加資格が出来ているのかもしれない。それなら性染色体が正常な性同一性障害の人たちはどうしているのだろう。スポーツは楽しむぶんにはいいけれど、そこに名誉やお金がからんでくると、差別の発生装置になってくる。もともと差別をなくそうとして始まったパラリンピックがまさに差別の巨大な発生装置になっているのは皮肉なことである。




2008.09.17[Wed] Post 23:45  CO:0  TB:0  オリンピック  Top▲

自民党総裁選は茶番か?

「週刊朝日」の表紙が、口のひん曲がった麻生候補の写真だった。手に取って見なかったが、自民党「総裁選の茶番」だと表紙に書いてあった。麻生できまりなのに、大騒ぎして自民党の支持率アップの運動をしているだけだという。前回は2ちゃんねるは麻生支持、マスコミは福田支持で意見が異なったが、今回は、マスコミもネットも同じように茶番説だ。

しかし、ほんとうにそうだろうか。わたしは、普段はどこの政党でも、そもそも党首選には関心を持たないけれど、今回の自民党総裁選には関心をもっている。というのは茶番の中に真実が見えてきはしないかとおもうからだ。

小泉が小池支持派のワーキング・ランチの会に出た。他方では小沢が郵政民営化見直しで国民新党と協定を結んだ。高橋洋一によると、小泉は郵政しか関心がないそうだから、選挙が終われば、小沢のこの動きをなんとしてもつぶそうとするだろう。そうしてほしい。そのためには、小池は総裁選である程度の票を取っておかないといけない。

もう一つ気になることは、小池の後ろ盾の中川秀直は、媚中派だということだ。なんどもいうが、親中派というのはたんに政治意識歴史意識の問題ではなく、利権の問題だということを忘れてはいけない。福島社民党首は親中派だが、利権派ではない。中川はあきらかに利権派である。中川は小池を連れて中国に挨拶に行っている。このあたりは霞ヶ関をぶっ壊すのに邪魔にならないか。女性だってハニー・トラップは常識らしいから。

Policy Watchが開いたシンポジュウム「自民党総裁選を斬る ~空気読めない候補者は去れ~」で候補者の政策を評価したところ、一番はもちろん上げ潮派の小池百合子、二番は石破、三番は与謝野、四と五がなしという結果になった。

リチャード・クーが特別セミナーをひらいて、「同じ財政赤字になるなら、減税よりも公共事業の方が経済効果が高い」と述べたそうだ。これ高橋洋一と全く反対の意見だ。リチャード・クーさんはバルブ崩壊のころ、12チャンネルで毎日のように顔を見たが、近頃とんとご無沙汰だったような気がする。静岡のテレビ系列では見られないだけなのかもしれない。そういえば、彼は麻生の経済顧問をしているらしい。肩書きはむかしと同じ野村総研主席研究員のままだ。もし、クーさんが麻生内閣に入ったりしたら飛んでもないことになるぞ。

リチャード・クーはあのころ、12チャンネルに出てきては、これだけの財政政策(公的資金注入)をしているから、これで済んでいるのだ。効果がないいんではなく、効果があったのだと盛んにくりかえしていた。あんまりなのでテレビから干されたと思っていたけれど、どうやら復活のようだ。

このセミナーは産経とブルームバーグの共催だそうだが、なんか怪しい。リチャードに騙されないように、高橋洋一の言うことをもう一度確認しておいた方がいいようだ。ともかく、自民党総裁選の茶番の背後に政界再編の蠢きがみえてくる。そう考えると、石破の立候補は結構重要だと思うけれど、石原が若手改革派なんてたんなる勘違いです。

2008.09.16[Tue] Post 20:57  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

汚染米の闇

武田じゅうめいという方がブログで「汚染米の闇のシンジケートと農水省の犯罪」という記事を書いている。私が「黄変米・古米古々米・汚染米」で推測したことを、具体的に書いてある。中でも、検査は不正をみつけるためではなく、不正を行う(接待を受ける)ためだというところには笑ってしまう。役所の監査・検査はどれも似たようなもんだ。

それから、気になることは、役人も大臣も業者もみんなふてぶてしいのには驚かないが、三笠フーズがいきなり社員を全員解雇したというのは怪訝である。三笠は汚染米取引のためだけの会社だったということか。このイサギヨサは武田氏のいうように、背後に闇のシンジケートが隠されていることを窺わせる。もっともこれは闇ではなく白昼堂々と行われている官政業マスコミの腐敗なのだが。
2008.09.15[Mon] Post 13:26  CO:0  TB:0  経済  Top▲

自民総裁選:小泉が小池を支持

小泉が小池を応援するといった。そのあと、小池百合子は立会演説で官僚内閣制打破を明言するようになった。これで小池が総裁に選出される目はほとんど無くなった。国民は小泉のせいで格差が生まれたと思いこんでいる。国民に支持されなければ選挙の顔になれない。そうであれば、自民党議員は小池を選ばない。

今度の汚染米事件も年金問題とおなじように、官僚公務員の腐敗が原因だということを国民は理解しようとしない。もちろん官僚のいいなりの政治家の責任であり、けっきょくはその政治家を選んだ国民の責任だといえば、新聞の社説みたいになるけれど、ともかくいま必要なのは革命だ。政界再編をするなら、麻生自民より小沢民主に投票するほうがいいのかもしれない。しかし、政界再編されても官僚内閣制はそのままということもある。

官僚内閣制打破のために本気で戦った政治家はこれまで小沢と安倍だけだ。その小沢もいまでは官公労の票が欲しくてしょうがないみたいだ。けっきょく麻生と小沢のバラマキ対決になるのかな。そうなれば、外交の違いで麻生を選ぶほかないのかもしれない。しかし、政権交代こそ官僚支配の打破の近道だという考えも捨てがたいし。
2008.09.14[Sun] Post 22:17  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

椹木野衣(2)

椹木野衣の『黒い太陽と赤いカニ』を図書館で見つけた。椹木氏の「ナカグロ的思考」を確かめるために借りて読んでみた。ナカグロ的思考というのは、椹木氏が『日本・現代・美術』のタイトルのように複合名詞をナカグロで区切って、日本にはアメリカやヨーロッパ、現代には冷戦やバブル、戦前戦後、そして美術には政治や経済や風俗流行などを対比させながら、それなりに読ませるレトリックを展開するけれど、結局、作品については何も言わない美術評論のことを揶揄したつもりの言葉だ。

ところが、藤枝晃雄が椹木氏の『黒い太陽と赤いカニ』の抽象表現主義の二元論的解釈を批判するさいに、抽象表現主義を「『抽象・表現』主義」とナカグロをつかって表記している。藤枝氏が抽象表現主義をAbstract Expressionismではなく、Abstraction Expressionismとする間違った二元論的見方を示すために、ナカグロを使ったのか、それとも椹木氏自信が、抽象を幾何学的抽象に、表現をシュルレアリスムに置き換えて、それが岡本太郎の合理非合理の「対極主義」と重なることをあらわすために、ナカグロを使ったのか、『黒い太陽と赤いカニ』を読んでいないので判らなかった。それで読んでみようと思ったのだ。

読んでみたら、すぐに見つかった。第五章「『コジェーヴの日本』への挑戦」の〈抽象表現主義〉の節に「抽象・表現」主義というナカグロ表現があった。そこを引用する。

それが「抽象・表現」主義と呼ばれるのは、彼らに(抽象表現主義者たち:安積)よって、戦前にヨーロッパで確立され、大きな成果を挙げながら、いっこうに接点を持たず、たがいに無関係とされてきたふたつの潮流である「抽象芸術」と「シュールレアリスム」が、ひとつの画面のなかで統合され、共存しているという理由による。

椹木氏は、アメリカの「抽象表現主義」を、なんの説明もなく、岡本太郎の「対極主義」と比較し、表現主義をシュールリアリズムに置き換えて、両者は矛盾すると言うのだ。だから抽象と表現が共存する「抽象・表現」主義は間違っており、両者が対立し爆発する「対極主義」がふさわしいという。

抽象芸術は、創作の根拠を自己の内面世界におくことをやめ、人間中心主義によらない、より普遍的な構成原理を発見しようとする過程で生み出されたものだし、他方のシュールレアリスムはといえば、まったく反対に、人間の無意識世界に深く沈潜し、そこに浮かび上がる夢や記憶の流動体を、生のまま表出させようとするものにほかならない。その意味では「抽象表現主義」という名称そのものが、一種の矛盾なのだ。

この引用文は椹木野衣の典型的なレトリックを示している。ただ曖昧な文学的修辞を連ねて、あたかもふたつのものが対立しているかのように、擬似的な弁証法の装いをこらすのだ。こんなことが可能なのは、椹木氏が作品を見ないで、通俗的な芸術論や哲学の解説書を読むからだ。歴史上の美術運動と絵画作品を混同してはならない。

抽象絵画も、作者の主観的なものを表現する。カンディンスキーは音楽的なものを表そうとしたし、マレービッチは自己の芸術をシュプレマティスムと称して宗教的なものを表そうとした。抽象画の定義ははっきりとしていて、自然的対象がない絵のことだが、自然が描かれていなくても、情緒的なものを表現することはできる。イヴ・クラインのブルーが宇宙の神秘を表現し、ニューマンのジップは崇高を表現すると言っている。他方では、椹木氏のいうように人間中心主義を脱するような造形的な抽象画ももちろんある。

また、シュールレアリスムも具象的な主題で深層心理を表現するだけではなく、コラージュやオートマティスムで描いた抽象的な絵画で作家の無意識の内面を表現する画家もいる。また、アクション・ペインティングなども一種の表現主義的抽象画といえるだろう。具象的なシュールレアリスムもあるし、抽象的なシュールレアリスムもあるのだ。抽象主義と表現主義はかならずしも対立するものではない。

絵を見ると言うことは、絵画の三層構造、すなわち物理的図像、図像客観、図像主題の三層を見ることであり、この三層に基づいて表出される図像学的意味内容を見ることではない。患者が自由連想で描いた絵を医者が分析してもそれは美術評論とは言わない。(HP『図像の現象学』参照)

この本は、作品を見ないで、美術評論をどう書くかをしるには非常に役に立つ本だ。図書館に行くと文学者の書いた画家の伝記がたくさんあるが、あの類と思ってまちがいない。ただ、日本・現代・美術の知識がちりばめてあって、そのぶん得した気分になる。

伝記としては村上隆と藤田嗣治を掛け合わせたような評論になっている。椹木氏の方法論を理解するには、『シュミレーショニズム』や『日本・現代・美術』より、ネタバレ楽屋落ちがあったりして、こちらのほうが面白くて役にたつ。こういうアートの楽しみかたもあるのかと納得の一冊。美術愛好家必読の書です。

椹木野衣(1)へ

2008.09.13[Sat] Post 22:32  CO:0  TB:0  美術評論  Top▲

黄変米・古米・古々米・汚染米

汚染米が食用に流れたのは農林省が意図的に行ったものだ。これは、黄変米事件のときに農林省がやったことを思い出せばわかることだ。あのころは米不足で外貨もなかったから同情できなくもないが、今回の汚染米はあきらかに天下りなど構造的な官僚の腐敗のあらわれだ。事務次官も農相もコメ・マフィアのメンバーなのだ。とにかく自由化以外に解決方法はない。検査の不備なんて嘘もいいかげんにしてくれ。検査というのは、不正を発見するためのものではなく、不正を隠すためのものだということがなぜ分からないのだろう。すべては構造的腐敗なのだ。古々米を食べさせられたのも同じことだ。
2008.09.13[Sat] Post 15:10  CO:0  TB:0  経済  Top▲

高橋洋一と池田信夫

自民党総裁選の立候補者の会見をテレビで見た。経済政策と外交政策を聞くためだ。外交政策は石破茂氏が国防問題として触れていたぐらいで、経済政策も曖昧で誰もが同じようなバラマキっぽいことを言っていた。

ただ、小池氏百合子だけが、これは第三次石油ショックだから省エネをしなければならないと、燃料費補助などのバラマキに反対するようなことをちょっとにおわせていた。

小池氏のアドバイザーは高橋洋一らしいとは聞いていたが、今週の「週刊文春」のインタビュー記事で、高橋洋一は、自分に経済政策を作らせれば、金融政策減税省エネ促進だけだといっている。小池氏が省エネにふれたのはクール・ビズの省エネで売りだしたこともあるが、高橋氏のアドバイスもあったのだろう。

インタビュー記事で高橋氏は福田内閣の「安心実現のための緊急総合対策」(総合経済対策)について、財政政策ばかりで、二兆円が無駄になると明快に述べている。これは教科書通りのことで、「変動相場制のもとでは、財政政策は効かない」からだ。資金調達のために国債を発行すると長期金利が上昇し、円高になる。円高になれば輸出が減り、公共投資で増えた内需を相殺してしまう。

高橋氏は「池田信夫はインフレターゲットが分かっていない」と言ったそうだが、その池田氏も「総合経済対策」は税金の無駄遣いだといっている。しかし、高橋氏にくらべ、池田氏の説明が素人にはわかりにくい。時間的非整合的政策だといっているが、これは経済政策をルールに従ってやるか、裁量的にやるかの問題だろう。ふつうはインフレターゲットを論んじるときにも出てくる話だけれど、財政出動も裁量的な政策であることはたしかだけれど、どういう具合に無駄遣いになるのか説明してくれないと素人にはわからない。

池田氏は、金融政策に関しても非対称性があると言って反対している。池田氏は経済は心理が重要だといい、人間の行動は合理的ではないから、「金融・資本市場では『規制か自由』という従来の図式は無意味で、人々の非合理的な心理を計算に入れた政策が必要だ」という。これって、結局のところ野口氏がミシュランで批判した「複雑系」のエコノミストになってしまわないか。自分が経済現象を理解できないだけなのに、経済が複雑系だから難しいといっている。

インフレターゲットはインフレにしようという政策ではない。そういう誤解を避けるために、高橋氏はインフレ・コントロール・ターゲッティングと正式な名前を使うことをすすめている。インフレターゲットは時間的非整合的な政策にならないように、さらに、情報の非対称性が生じないように、「企業と消費者」と「政府と日銀」とのあいだで行われる繰り返しゲームだ。まさに『規制と自由』という従来の図式に陥らないための政策である。明確に長期に渡る目標値を設定してごまかさない、インフレデフレの判定にどの指標を使うか明確にする。説明責任を果たすなど、できるだけ情報の非対称性や時間的非整合性が生じないようにするのがインタゲなのである。もちろん予想できないことは必ず生じるのだけれど、できるだけコントロールしようということなのだ。それを複雑系だといって得意になっても仕方ない。

時間的非整合性、金融政策の非対称性、期待効用最大化、負のフィードバック、バラマキ政策などの言葉を使っているが、素人には理解できない。それに対して高橋氏は、そんな経済用語を使わずに、素人にも分かるように説明してくれる。

まず、同じ財政政策でも、補助金や公共投資は、特定の業界に恩恵を与えるもので、全体の景気を良くしないけれど、定額減税は公共投資のようなデメリットはなく、特定の業者ではなく、全体に受益者がいるために景気底上げにつながる。前者はバラマキだが、後者はバラマキとはいえない。定額減税がバラマキだというのは役人が言っているだけだ。政治家が効果のない財政政策にこだわるのは選挙のためだという。

金融政策は景気回復に欠かせない。消費を促し、企業の活動を活性化させるには金利の引き下げが一番効果がある。しかし、公共投資補助金とちがって、受益者が広く薄くなるために、だれが恩恵を被るかわかりにくいので、選挙向けではないという。

高橋氏が池田氏と違うのは、たぶん、企業だけではなく消費者の動向も景気におおきな影響を与えると考えていることだろう。知人が住宅ローンを借りようとしたが、現在の実質金利が高い上、いまの日銀の政策では、将来の金利が不透明で、高金利も予想され、結局住宅購入を諦めた。

自民党総裁に小池百合子が選出されれば、小沢民主党との対決を面白くするだろう。
2008.09.11[Thu] Post 10:15  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

パラリンピックとオリンピック

『オリンピックの終焉』という記事をアップしたあと、ニュースでパラリンピックの車椅子競争をみた。女子男子選手が激しくあらそって、車が接触した。一台が転倒して、後続の選手がつぎつぎに転倒した。見ていて背筋がこおりついた。むかし手に汗をにぎってみた映画『ベン・ハー』の戦闘馬車の場面をおもいだした。不謹慎だが、スペクタクルとしてはオリンピックよりパラリンピックのほうが面白い。オリンピックがつぶれても、パラリンピックは残るかもしれない。しかし、知らないうちにスポーツの世界はすごいことになっている。ともかく私はIOCと石原都知事がきらいだ。オリンピックの東京誘致に反対する!
2008.09.10[Wed] Post 19:44  CO:0  TB:0  オリンピック  Top▲

川俣正 [通路]★★★★☆

川俣正は名前は知っていたが、作品のことは何も知らなかった。現代美術館のホールに入ると、ベニヤ板で囲って通路のようなものが作ってある。展示場に入るとき、「これも作品ですか」ときくと「そうです」の返事。おかしなものを見に来たのではないかと、ちょっと躊躇した。

ところが、そのベニヤ板の通路の中を歩くと、妙に落ち着くのだ。落ち着くというよりわくわくしてくる。なにか子供のころ、大掃除で立て掛けた畳の下で遊んだころの感覚が戻ってくる。この原初的な感覚は田中功起の『出来事』の感覚に似ている。

川俣の作品は、インスタレーションと建築の境界にまたがるプロジェクトだという。たしかに、そうだろう。会場で購入した川俣の『通路』を読むとたくさんの二項対立風な言葉がならんでいる。「解体と構築」「オブジェと関係性」「歴史性と現存性」などなど。しかし、これはコンセプチャルアートではない。ここには見ることによって生じるイリュージョンがある。

川俣は自分の作品はオブジェではないという。しかし、これはハプニングでもプロセス・アートでもなく、まぎれもなく立体作品だ。ただ、出来事に見えるのは、建築中の建物にみえるからだ。しかしこれは未完成なわけではない。普請中の家ではなく、材木で空間に描いた立体デッサンなのだ。今回の通路ではなく、ヨーロッパで作った足場のような作品はとくにそうだ。デッサンを未完成の下絵ではなく、それ自体を作品として鑑賞するのと似ている。

セザンヌが四角い平面でやったことを、川俣は立体で行なったのだ。どちらにも堅牢な空間のイリュージョンがある。何度でも言う。これはインスタレーションでも、コンセプチャルアートでも、プロセスアートでもない。一枚の優れたタブローなのだ。

つまらないワークショップがあったので星半分マイナスして、星四つ半★★★★☆

以上の文は、東京都現代美術館の『通路』を見たあと、途中まで書いて放り出してあったものだ。川俣の作品は平面と立体とアートが混じり合っているので、うまく分析できなかった。川俣の絵画的な作品は素晴らしいけれど、他はダメだ。
川俣正は2005年の横浜トリエンナーレの総合ディレクターだったそうだが、気が付かなかった。あれは、いま考えると、川俣のつまらない類似品を集めたような展覧会だったのだ。また、横浜トリエンナーレの時期がやって来た。行くかどうかは評判を聞いてから。
2008.09.09[Tue] Post 19:53  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

福田退陣と安倍退陣

福田が辞任した。安倍辞任のときのバッシングもあったから、チャンネルを変えながら、テレビを一通り見た。とくに福田バッシングはなかった。これほど何もしなかった首相もめずらしいが、安倍がやったことをほとんどぜんぶ振り出しに戻したところは評価されているのだろう。記者会見でどこかの記者に福田首相はいつも人ごとみたいな態度だと批判されているが、どう思うかと質問していたが、福田首相はわたしは自分を客観的に見ることができると答えていた。たぶんほんとうだろう。客観的に見て、マスコミとは上手く行っていたのだ。

やめてくれたのはありがたいが、選挙になってもどこに投票すればよいかわからない。革命が必要なのは判っているが、どこにもその萌芽がない。麻生も小池も小沢も御免蒙る。麻生は媚中でないところは評価できるが、ばらまきされたら日本は本当に沈没だ。与謝野の財政再建の考えは官僚の口まねだろうし、石原は道路公団の民営化で居眠りしたり泣いたりして、しまいに道路族に擦り寄って改革をダメにした張本人だろう。小池は高橋洋一がブレインらしいから候補者のなかでいちばん経済政策は期待できる。高橋と小池なら官僚内閣制を打倒してくれるかもしれない。

たぶん小池は自民党総裁になれないだろう。それなら官僚内閣制を倒せるのは小沢だけか。小沢には何度も裏切られたけれど、それでも小沢なら独立行政法人を全廃してくれるのではないかとおもってしまう。前回の参院選では農家補助金なる珍妙なものを持ち出した。今回もばらまきだらけのマニフェストをだすらしい。

ただし、バラマキという批判は官僚が言っていることだ。それにマスコミがだまされている気配がある。本当に官僚支配を打倒すれば財源があることは高橋洋一が明らかにしている。官僚と本気で戦えるのはその利権構造をしっている小沢と高橋だけだろう。理想は二人が手を結ぶことだ。

小泉構造改革の限界は道路公団や郵政の民営化がただ旧田中派に対する個人的な復讐心だったことだ。小沢の政治改革も個人的な復讐心ではないかという疑念がのこる。政治改革は経済的合理性に任せなければ失敗する。

小沢の欠点は二つある。ひとつは労組の票を当てにしていること。労組といっても官公労は役人なのだから、社会保険庁はじめ行政改革の邪魔になる。もう一つは親中派であること。親中派というのは政治家と官僚と財界人とマスコミが利権で結びついたマフィア集団なのだ。たとえば田原聡一郎はいっけんサヨクっぽいことを言っているけれど、親中派の仲間なのだ。

そういうわけで、こんどの衆院選挙では民主党に投票する決断ができないでいる。静岡の私の選挙区の立候補者が誰かもまだ知らない。
2008.09.09[Tue] Post 13:02  CO:0  TB:0  名称未設  Top▲

オリンピックの終焉

オリンピックの東京招致に反対する。

一度は賛成と言ったが、考えをかえた。

賛成したのは、地方との逆格差を解消するために東京のインフラを整備しろということだったが、その考えはかわっていない。静岡県に居を構えて2年がすぎるが、地方が東京より豊かであることははっきりとわかる。これは静岡県ばかりではないだろう。

反対の直接のきっかけは、石原慎太郎都知事が、北京のボランティアの学生は親切で礼儀ただしいけれど、日本の若者は2ちゃんねるに夢中でなっとらんと言ったことだ。石原は以前もヘギョンちゃんが礼儀ただしいと褒めていたけれど、いったい何を考えているのか。全体主義の国家だものそのぐらいの訓練はお安いご用だろう。長野で赤旗振って日本人に暴行を加えた中国の若者のことを忘れたのか。大江健三郎はかって紅衛兵の目は澄んでいたといっていたけれど、ウヨクもサヨクも愚者が言うことは同じだな。2ちゃんねるのほうがまだましだ。

それよりおおきな理由はオリンピックが終わったということだ。終わったという表現が正しいのかどうかわからないけれど、見ていてなんか変だなーとかんじるのだ。オリンピックはそもそも国別対抗大運動会なのだろうが、それがどうやらぐじゃぐじゃになっているのではないか。国別運動会なら自国の選手を応援するのが楽しいのだろう。

卓球を見ていたら、どこの国も中国人がプレイしている。どういうわけかというと、中国では代表になれない選手が帰化してオリンピック代表になるらしい。かれらは帰化した国に同化しているのだろうか。
ボルトをはじめジャマイカの短距離選手は優秀なDNAをもっているという。これでは国別ではなく、人種別ではないか。陸上競技はどこの国の代表も黒人選手が増えている。
DNAではなく、ドーピングと訓練(調教?)でオリンピックマシーンを作る作戦もある。今から言っておくが、このままいけば、いずれ遺伝子組み換えの選手が現れるだろう。

人種とか国家というものがいずれなくなるとサヨクたちは考えているのだろうが、たぶん歴史はそうかんたんには終わらない。宗教的な対立はますます激しくなっている。
オリンピック憲章には、「人種、宗教、政治、性別、その他に基づく、国もしくは個人に対するいかなる形の差別も、オリンピック・ムーブメントヘの帰属とは相入れないものである。」と書いてあるが、皮肉なことに、オリンピックは運動能力による第五の差別を作り出したのではないか。

もっと、奇妙なのはパラリンピックだ。はじめの頃、彼らの姿は感動的であった。しかし、いまはそんなところは微塵もない。肉体の限界まで使って戦っている。健常者のオリンピックとかわらない。
そのうちドーピング違反者が出るだろうと思っていたが、とっくの昔に違反者がでたそうだ。いつからドーピング検査が導入されたのだろう。
いまでは義足の開発競争になっているらしい。健常者だってシューズ開発の競争しているのだからおなじことだ。ニョウボは「電池を使っちゃいけないのかしら」と不謹慎なことを言っていたが、そのうちF1みたいにうるさいレギュレーションができるだろう。
福祉ではなく競技になったのは、お金や名誉が手にはいるようになったからだ。すべてがオリンピックと同じになった。障害が出場権を得るための特権になってしまったのだ。こうなれば、二流選手が外国に帰化するように、意図的に障害者になる二流選手もいずれ出てくるだろう。
障害者に特権を与えるなら、肉体的に劣等な黄色人種のためのオリンピックを作ったらどうだろう。

ともかくオリンピックの商業化や政治化が問題にされているが、いまやスポーツの腐敗はとどまるところをしらない。まずはオリンピックを廃止することからはじめよう。はやくしないと、人類の破滅だとひそかにおそれている。








2008.09.08[Mon] Post 01:09  CO:0  TB:0  オリンピック  Top▲

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