榊原英資の「正論」:なぜいま、「消費者庁」なのか榊原英資が産経ニュースの「正論」に書いた「なぜいま、『消費者庁』なのか」を読んだ。いったいこれが、経済学を学んだものが書いた文章だろうか。テレビのコメンテーターが喋っているようなことを寄せあつめたような要領の得ない文章だ。 かれは投機と投資を区別したがっているようだが、経済学で、そのような区別をすることにどのような意味があるのか、いっこうに説明してくれない。そもそも、江戸時代に米の先物市場ができたときから、相場は実需から離れていったのだ。そうでなければ、商品相場なんてなり立たないではないか。 それはともかく、さいごの「自己責任に帰すべき問題」は、まったくの道徳的なお説教になってしまう。投資話で騙されるのは欲の深い人だとか、食品偽装がはびこるのは味が分からないからだとか、意味のないブランド志向はやめるべきだとか、経済学者としては無知すぎるのではないか。榊原氏は経済学の教科書を読んだことがないのだろうか。 今計画されている消費者庁が無駄だというのは正しい。しかし、それは、本当の意味で消費者サイドにたった行政のための機関になっていないからだ。 消費者庁設立の必要性については池田信夫氏の「『消費者省』を創設せよ」をご覧ください。 橋下知事の文化行政 朝日新聞に以下の記事が載った。 「橋下文化行政に物申す」――。大阪府の橋下徹知事と芸術を学ぶ学生20人が文化行政をめぐって語り合う会が26日、大阪市中央区の府公館であった。補助金削減で存続の危機にあるオーケストラや文化と行政の関係などについて、橋下知事が次々に質問を投げかけ、学生たちの意見に耳を傾けた。 集まったのは、公募で選ばれた18〜32歳の芸術系の大学生ら。補助金が削減される大阪センチュリー交響楽団については、「子どもの育成に力を入れているのだから必要」という声の一方、「根づいていない」と厳しい意見も。 橋下知事が「僕は学者や有識者に、需要がなくても守るべきものを守れと批判されているが、需要があろうがなかろうがお金をつぎ込むべきか」と問いかけると、「文化を費用対効果で考えるべきではない」との意見が出た。ただ、「需要がなければ消えるのが当然。弱肉強食だと思う」という声もあった。 最後は「残る文化と残らない文化の違いは、やっている人の必死さ。消えそうだからといって、行政が特定の何かに金をぶち込むべきじゃない。やっている人間がまず努力すべきだ」との持論を展開した橋下知事。「文化人と言われる人たちのしょうもない意見より、みなさんの意見は心に響く意見ばかりでありがたい」と語った。 橋下知事は会の後、報道陣に「すばらしい時間を共有できた。自分の文化行政論に確信を持った」と語った。 (2008年7月26日asahi.com) 橋下知事は先に ゙「上方演芸資料館」(ワッハ上方)の移転一部廃止を決めたが、引き続き芸術への補助金削減をするらしい。ワッハ上方は 横山ノックが知事のときに作られたのだが、吉本興業のビルに高い家賃を払い、仲間うちで理事のポストを分け合うなど、税金を食い物にしていたのだから、これを廃止するのは誰でも思いつくだろう。しかし、高級な芸術の助成を削るというのは、橋下知事の改革もけっこう本物かもしれない。ワッハ上方のときは、既得権益を守ろうとする文化人が改革の邪魔をしたが、今回は文化人の意見を無視するというのもなかなかの戦法だ。それに芸術への補助金を削るのは経済学の原則にあっているのだ。 寄付や助成金がいかに芸術をゆがめているかは左の『金と芸術』にくわしく書かれている。著者は経済学者兼美術家だからこそ書けた本だろう。なぜ、芸術家が貧乏なのか知りたい人、とくにこれから芸術家になろうとする若い人は、この『金と芸術』を読むことをすすめる。 なお、朝日新聞が補助金削減反対の一方的な記事ではなく、橋下知事の考えも伝えているのはどうしたわけだろう。まさか公正な報道に目覚めたわけではないだろう。それとも、朝日の読者にはこれで「文化を弾圧する橋下知事」というメッセージが十分に伝わるのだろうか。 「ドッド・コム・ラヴァーズ」オンライン・デーティングの体験談。 つまらない本だ。このつまらなさは何だろう。よく分からないがともかくつまらない。本人はいたってまじめで、自分の体験が他人にも面白いと信じているようだ。 中公新書といえば、かって『アーロン収容所』や『ルワンダ中央銀行総裁日記』を出したところだ。岩波新書よりましだろうと思ったのが、まちがいだった。著者によれば、編集者が、この「ネタ」が売れると思ったというのだが、出版界の劣化もはなはだしいものがある。 でも、そういえば、むかしペン・フレンドというのがあったけれど、あれとそっくりではないか。著者は自分が知的職業についていることがえらく自慢らしいが、そのあたりもペン・フレンドと同じである。写真を見せたりするところもそっくりだ。 ところで、残念なことに著者の写真が載っていない。むかし、身の上相談のを読んで、隔靴掻痒の感じがしたのは、相談者の写真が載っていないことだった。相談者の容貌で回答はずいぶんと違ったものになるだろうに、回答者はそんな差別はないように相談にのっている。 著者はフェミニストらしいから、なんかわたしにはうかがい知れない理論があるのだろう。それにしても、知的なところがひとつもないアメリカ見聞録である。 加藤紘一は買弁か?(拉致事件3)右翼も左翼も加藤紘一を誤解している。加藤氏が拉致被害者をいったん返したほうが良かったと言ったのは、何も人質ゲームの有利な戦法として提案しているわけではない。加藤氏が人質救出になんの関心もないことは、この西川のりおのインタービューを見れば、明らかではないか。ただ金正日にとりいって、利権を手に入れようとしているだけだ。 営利誘拐人質ゲームとして分析するのは次回ということにして、ここでは加藤紘一の嘘と小細工を指摘しておきたい。映像を見ればわかるように、加藤は三つのことをいっている。ひとつは拉致被害者をかえさないのは国と国の約束をやぶったことになる。ふたつは、交流方式はすばらしい拉致問題解決法である。みっつめは、日朝の交渉の行き詰まりの責任は安倍前首相にあると、かれを徹底的に憎悪し貶めようとしている。これら三つは、まったく金正日の考えていることに重なる。そして、加藤氏の金正日への忠誠心が表白されている。 加藤氏の嘘、その一 安倍氏が五人を戻さなかったから、交渉が行き詰まったというが、これはまったくの嘘。五人が裏切り戦略をとって帰らなかったから、金正日は、切り札の子供を出してきたのだ。しかも、最初に主張した平壌ではなく、第三国であうことを認めた。これは帰らないという戦略が事態を転回させたのだ。なぜなら、そのままでは身代金がゼロになってしまうからだ。この北朝鮮の思惑にふれないのは政治家として国民を欺くものだ。 また、加藤氏は「一回かえすと、ピョンヤンは殺しちゃうんじゃないかとか(いう人がいるが)」と言っているが、そんなことを言った人がいるのだろうか。西川氏も「そういう説も流れました」と言っているのだが、一般的にわたしたちが危惧したのは、もし帰らなかったら、子供たちが収容所に入れられ殺されるのではないかということだった。それなのに、なぜわざわざそんな荒唐無稽な説を持ち出して、強硬派をおとしめようとするのだろう。加藤は「そこが外交感覚の差ですね」と言っているところを見れば、これは明らかに安倍氏を暗に指しているのだ。独裁者のご機嫌をとるのが外交感覚というのだろうか。そんなことより、加藤氏は外務省中国課長時代の疑惑のために右翼に実家が放火された事件について、元外交官として、きちっと説明するのが先ではないか。 さらに、加藤氏はキム・ジョンイルが「親の代にやったことだが、あら、まずかったごめんなさいと」と言ったかのように述べているが、ほんとうにこんなことをいったのだろうか。あのときはたしか、部下が勝手にやったことだと言ったように伝えられている。そもそも、拉致犯罪を、共和国の神格化された英雄である父親のせいにするなんてありえないだろう。金正日が知ったら激怒するぞ。あーらら、俺、知らないっと・・・・・。 でもなぜこんな危ないことを言ってしまったのだろう。たぶん推測だが、この拉致プロジェクトは、さまざまなテロ活動の一環として、金正日が直々に計画実行したことはあまりにも有名だったので、つい、日本的に「先代の不祥事」と現社長をかばったつもりで言ってしまったのだろう。 まだまだ、加藤の小細工はあるけれど、めんどうなのでこのぐらいで、いったん、やめておく。ようするに、加藤は拉致問題を解決しようとしているのではなく、金正日に忠誠を誓い、日中友好協会会長の就任に続いて、北朝鮮利権も確保しようといているのだ。 (注)「船越」さんだったか名前をどうしても思い出せない。検索をいろいろしたのだけれどヒットしませんでした。でも、あの父親といっしょに拉致されたという漁船員のことがネットにないなんてどうしたことだろう。 やっとのことで名前が判りました。寺越武志さんです。(8/2) まだ、まだ、加藤紘一の記事がつづきます。 加藤紘一は不敬罪を犯したか(拉致事件2)Youtubeにアップされた『西川のりおの言語道断』を見て欲しい。どうだろう。かれは不敬罪を犯しているだろうか。チャンネル桜の水島総氏は、加藤紘一氏が独裁者の金正日を天皇陛下のような人物だと言ったことで、加藤氏を「国賊」呼ばわりし、そっこく国会議員を辞めろと言っているが、はたしてそうだろうか。映像をよく見れば判るとおり、加藤氏は天皇陛下が金正日のような卑しい人間だと言っているわけではない。ただ、金正日は天皇陛下のような立派な方だと褒めているのだ。 そもそも、日本には不敬罪がないけれど、北朝鮮には厳然と不敬罪がある。金正日(日成)を侮辱したら死刑だ。だから、金正日は天皇陛下よりずーと偉いのだ。右翼がいまは存在しない不敬罪を持ち出して加藤紘一を罵るのはおかどちがいだ。加藤紘一が金正日を敬うのは、北朝鮮に不敬罪があるほど金正日偉いのだから当然である。 問題の箇所を書き起こす。 「小泉さんが行ったから、あのキム・ジョンイルは謝ったわけですね。日本に親の代にやったことだが、 あら、 まずかった、ごめんなさいと、あの国では一種、天皇陛下みたいなポジションの人物ですね、(そうですね:西川)、それが、あやまり、何人は亡くなった、何人は生きているから、一回、お返しします。そこまで言ったわけでしょう。だから、小泉さんのあの行動がなければ、小泉さんによる北朝鮮との話し合いというものがなければ、あの拉致の話はひとつも進んでいなかったと思います。」 どうです。加藤紘一氏は天皇陛下が金正日みたな豚野郎だなんてどこにも言っていないでしょう。そうではなく、金正日の偉大さを天皇陛下の偉大さに喩えているのだ。もちろんこの場合、加藤氏は喩えである天皇のほうが、喩えられた金正日より偉大であると考えている。そうでなければ、こんな比喩は使わないだろう。 加藤紘一は無罪である。 ウスラウヨクには困ったものだ。天皇となるすぐに逆上して言いがかりをつける。それじゃ、いつまでたってもサヨクにかないませんよ。そろそろ天皇制なしの右翼の可能性を探るときではないか。 ーつづくー 役に立たない経済学
依然としてバーナキンの今回の金融政策に関する明快な分析がない。エコノミストは「だから俺は前から言っていたじゃないか」といつも後になってから言うが、今、言って欲しい。もちろん、利下げがうまくいくかどうかはわからないが、バーナキンは気が狂ったわけではないだろう。さまざまな経済指標を見て、利下げを決断したのだ。利下げがゆっくりすぎたとか、ぎゃくに急激すぎたとか、いろいろ批判されているが、どちらにしたって、バーナキンには理由があったはずだ。
インフレ・コントロール・ターゲッティングからみて、バーナキンの利下げは理解できない。それなら、利下げには他の理由があるはずだ。まず、考えられるのは失業率である。アメリカでは物価の安定だけではなく、失業率の安定(?)も中銀の役割になっていることは野口旭氏も書いている。物価安定と失業率の安定は必ずしも両立しない。 失業率は基本的に景気の問題だから、金融政策よりも財政政策により密接に関連しているのではないか。とすれば、バーナキンは、景気対策のために利下げをした疑いがある。たしか、バーナキンは住宅価格の低下にともなう株価の下落をひどく気にしていたはずだ。とすれば、バーナキンは連銀の役割を逸脱して景気対策に手を出したということになる。 もちろん、このことはブッシュ政権の財政政策との整合性の問題があるのだろうが、いずれにしろ、どなたかバーナキンの心中をマクロ経済学を使って説明してもらいたいものだ。とくに『 エコノミスト ミシュラン』の「素人集団」の著者の方々、池田信夫氏が例によってインフレ・ターゲットが間違っていると息巻いていますよ。いまこそ、インフレ・ターゲット理論をひろめるチャンスではないか。 素人の感想を述べれば、不良債権処理派はしきりに日本に学べといっているが、バーナキンは今回の金融不安に際して、まず、日本のバブル崩壊と、それにつづくデフレのことが頭に浮かんだのではないか。バーナキンは秀才だったそうだから、グリーンスパン比べて手腕が劣る未知数という金融界の評価をくつがえす、絶好の機会がやって来たので、色気を出して過剰に反応したのではないか(これは経済学ではありません)。もちろんこの利下げが失敗したのか成功したのか目下のところまだわからないのだが。 不良債権処理(公的資金投入)は日本の景気を良くしたというが、それは誇張というもので、統計上わずかにGDPが上昇したと言うだけで、デフレは続いたのだ。バーナキンは、公的資金の投入は、投資家や金融機関にいつでも国が助けてくれるというモラルハザードを起こしたし、国債の発行による資金調達は本当のいみで金融緩和にはならないと知っていたはずだ。もちろんこれらは基本的に財務省の仕事であって、連銀の仕事ではない。 不良債権処理派はモラルハザードは経営者を牢屋に入れれば良いと言うが、そんな簡単にはいかないのであって、今回のサブプライムローンの証券化やモノライン保険の格付けは、まさにモラル・ハザードの結果なのであって、じっさいにウオール街では債権の証券化は危険だけれど、ここまで巨額になれば、破綻しても国は助けないわけにはいかない。責任をとるのはトップだし、いまのうち手数料を稼いでおこうという気分があったそうだ。 素人がいくら考えてもしかたない。どなたかリフレ派の人、バーナキンの金融政策をインフレ・コントロール・ターゲットの視点から解説してください。 池田信夫はやっぱりインフレターゲットが分かっていないのか?池田信夫氏がブログの『バーナンキのpoorな金融政策』で、 「インフレ目標を設定しない日銀を罵倒した素人集団もいたが、当の教祖が通常のインフレ目標値の倍になってもターゲットを設定しない。」と言って、『エコノミスト ミシュラン』の著書たちを非難している。 しかし、『ミシュラン』を書いた素人集団は、流動性の罠に陥ったデフレ下でのインフレターゲットの必要性を述べていたのであって、目下のアメリカの経済問題は、住宅バルブの崩壊による景気悪化とサブプライムの不良債権化による金融破綻であり、もちろん住宅価格の下落はデフレの兆候ではあるが、デフレかどうかは物価指数の変動を数ヶ月に渡って観察しなければならない。 池田氏の『アメリカ経済は何年うしなうか?』の記事を読むと、池田氏は不良債権処理派らしいが、『ミシュラン』の著者のひとりである野口氏によれば、不良債権はむしろ、デフレ不況の原因ではなくその結果である。単に不良債権を処理しても、抜本的にデフレをなくさなければお金は動かないということだった。国債を売って、その公的資金で銀行の不良債権を購入しても、金融緩和にならない。もちろんこれはデフレではない目下のアメリカ経済にあてはめることはできない。 高橋洋一氏なら、バーナキンの金融政策について明快に説明してくれるのだろうが、池田氏のパーナキン批判は素人の私にはさっぱりわからない。いずれにしろ、バーナキンは、目標値を公表していないのだからインフレターゲットとはいえないのだが、暗黙の目標値を設定(物価の安定)しているのであって、その数値を指標にして金融政策をおこなっているはずだ。だから、もっかインフレ率が目標値より高くなりそうなので、金利をどうするか悩んでいるのではないか。 以下追加訂正しました。(7/21) 経済指標を見たら、政策金利を2007年8月に5.25%から4.75%に下げ、現在2.00%まで下げた。そして、消費者物価上昇率がそれまで2%台(暗黙の目標値であり、いわゆるリフレ派のいう物価安定)で安定していたのが、2007年10月に3.5%になり、そして現在5%になったのだ。また、高橋洋一氏はいうようにインフレターゲットの目標値にCPIコアを使うとすれば、また、べつの状況が現れてくるだろう。いずれにしろ、デフレとは言えない状況であり、インフレ・コントロール・ターゲッティングからみれば、決して利下げの局面ではなかったとしか思えない。 もちろんブッシュ政権の財政政策の影響もあったのだろうが(このあたりのことは素人にはわからない)、バーナキンはあきらかにインフレ・コントロール・ターゲッティングの金融政策を放棄していたといわざるをえない。インフレターゲットが間違っていたのではなく、インフレターゲットを放棄したバーナキンが間違っていたのだ。バーナキンは高橋洋一氏のいうようにコントロールのボタンをON-OFFしていればよかったのに、変な色気を出したのではないか。以上は素人の考えです。経済学は難しい。
『アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ 伊藤延司訳東条英機vs丸山真男 『大東亜戦争肯定論』と同じ64年に丸山真男の『現代政治の思想と行動』の増補版がでた。当時の大学のキャンパスでは丸山真男は神様のようでもあり、丸山の社会心理学的分析による矮小なファシストという軍部批判にはおかしなものを感じながらも、林房雄の大東亜戦争肯定論が説得力を持つとはとても思えなかった。 丸山真男の批判が的はずれなことは、小林正樹監督のドキュメンタリー映画『東京裁判』の東条英機を見れば判る。東条英機は裁判を認めていなかったけれど、天皇を守ろうとし、敗戦の責任をとって死刑を受け入れたのだ。法廷で矮小なのはむしろ裁く側の判事、なかでも裁判長のオーストラリア人だったことは、左翼の小林正樹が編集したにもかかわらず、この記録フィルムを見れば明らかだ。 丸山は大東亜戦争を批判しているのではなく、戦争指導者の人格を論じている。それも西欧の政治思想を聞きかじっただけの的はずれなものだ。丸山は当時の権力者のマッカーサーの意向にそうように振るまったということであり、彼の反・反共主義も占領政策の方針に違わぬように巧みに計算されたものなのだ。 丸山真男の軍部批判には歴史的視点がない。そのことは、林房雄の『大東亜戦争肯定論』を読んだときには気づかなかった。林の肯定論は転向右翼の郷愁だろうと思って無視した。しかし、『アメリカの鏡・日本』を読んで、丸山の学者としての無能不誠実、いやそれ以上に人間としての矮小さがはっきりとわかった。アメリカ人のヘレン・ミアーズは、まだ米軍占領中に、日本よりアメリカのほうが軍国主義的侵略的ファシズム的であり、日本はペリー来航以来そのアメリカの真似をしてきたのだと述べている。 重要なことは、ヘレン・ミアーズの主張が正しいかどうかではなく、戦後の検閲と反軍部プロパガンダのなかで、このような主張がアメリカ人によってなされていたということだ。丸山はそういう状況のなかで、歴史を意図的に捨象し、戦争を軍部の戦略戦術に還元して、しかも、軍事裁判での法的な無罪の主張を、責任回避という道徳的な問題にすり替え、その精神構造とやらをニュールンベルク裁判の被告たちと比較しながら、疑似学問の粗雑な類型学で分析して見せたのだ。 なんどもいうが、小林正樹監督の『東京裁判』に映し出された東条英機は卑怯でもないし、矮小でもない。まして責任を回避しようとはしていない。それなのになぜ丸山はまるで反対の結論に達したのだろう。丸山は東京裁判の記録を読んだのだろうか。あるいは裁判の記録フィルムを見たのだろうか。そんなことはいまさらどうでもよい。確かなことは矮小で卑しいのは東条英機ではなく、丸山真男の方だったということだ。 『現代政治の思想と行動』を読んだときに感じた「イヤーな感じ」が四十数年後のいまヘレンミアーズのおかげで、完全に消えてなくなった。と思う。それにしても、図書館に行くと丸山本がたくさん並んでいるけれど、丸山真男ルネサンスなのだろうか。ネットを検索すると、丸山崇拝者がたくさんいるようだが、どうしてあんな空虚で無内容の丸山をもてはやすのか理解に苦しむ。ウスラサヨクの理論武装なのだろうか、そういえば丸山は、ウスラの元祖なのかもしれない。
珍獣ウスラ (ウスラウヨクとウスラサヨク)ウスラサヨクというのは小林よしのり氏の命名らしいが、その定義はよく知らない。たぶん暴力革命によって労働者を解放しようという志を忘れ、民主とか平等とかいう言葉を振り回して、自分の市民的利権を拡大しようとするひとびとのことだろう。
韓国デモの不思議(2)
韓国で反日デモがあった。竹島問題が理由らしいが、やっぱり韓国はこうでなくちゃ。過日、韓国で日本車販売が伸びているというニュースを聞いて心配していたけれど、旭日旗を踏んづけたり、燃やしたりしているのを見て、ちょっとホッとした。でも、なぜ旭日旗なのだろう。日本軍国主義の象徴のつもりかしら。でも、あれ見ても、自衛隊には申し訳ないが、朝日新聞の社旗しか思い出さないのだが。日本を侮辱するなら、踏んづけるのはやっぱり日章旗だろう。
でも、どこか盛り上がらない。たぶん、ネットのアイドル、ノムタンが居ないからだ。北朝鮮兵に韓国の観光客が射殺されたらしいが、ノムタンなら、これは韓朝の離反をもくろむ拉致家族の陰謀だとかいって、反日デモを盛り上げてくれただろうに。 反日はやっぱりジョークにしておきたいものだ。 『韓国デモの不思議(1)』へ 『霞ヶ関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』 高橋洋一
高橋洋一著
前著『さらば財務省!』は、まだ役人たちに気を遣っているところがあったが、この『お国の経済』は、表現がより簡潔かつ過激になっている。それは、高橋氏が前書きで言っているように、たんなる体験談ではなく、自分の体験した経済問題を経済理論によって説明しようとしているからだ。 経済学によって経済を理解しようというのは野口旭氏の『経済学を知らないエコノミスト』たちと同じだが、野口氏はエコノミストの背景にある経済理論を批判しているのに対し、高橋氏は官僚や政治家の具体的な経済政策を批判しているので、とても、わかりやすい。 中でも痛快なのは、日銀総裁の人事に絡めた日銀批判である。インフレターゲットを理解しない日銀、それを他の国はあきれかえって見ているが、自国の得になるのでだれも忠告しようとはしない。日銀も責任回避のために、けっして自分たちの金融政策を明示的に語ろうとはいない。これは野口氏とおなじように、バーナキンやクルーグマンのインフレターゲットの理論をもとに言っているのだ。 それから、『インフレターゲット理論』の記事で書いた、目下の原油高食料高はインフレの兆候なのか、そうならば金融引き締めをすべきなのかという疑問には、高橋氏は「原油価格の高騰には緩和を」と明確に答えている。海外の物価が上がるということは、国内の所得が下がるということだから、金融を緩和しなければならないというわけだ。日本の「コア物価指数」は生鮮食品を除くだけだが、他国の「コア物価指数」はエネルギー価格も除くので、海外の原油価格に左右されずに、金融政策を決定することができるそうだ。 日本でも、コア指数から、石油価格を除いた「コアコア物価指数」を使えば、まだまだ、デフレを脱していないので、金融緩和がもっかの政策としては正しいことになる。 マクロ経済を学ぼうとする人はまずこの本を読んでから、マクロ経済の教科書を読むといいだろう。 NHKスペシャル『激流中国』最終回 「告発せよ 摘発せよ 〜環境破壊との闘い〜」 相変わらずNHKは中国の宣伝機関になっている。いちいち指摘しないが、この最終回も演出されていることはあきらかだ。NGOの女性なんてほとんどギャグの域に達している。そのうちYoutubeにアップされるから見てください。笑いすぎて死なないように注意してください。 これは日本から環境マネーを奪おうとする情報戦略の一環なのだ。TBSテレビなどに出てくる工作員の発言を注意して見てほしい。わたしは不快なので見ないけれど、かれらもこの方針にしたがって、発言しているはずだ。 中村粲さん、しっかり『NHKウォッチング』してください。 インフレターゲット理論『経済学を知らないエコノミストたち』の最後のところで以下のように書いた。 「この本は2002年に書かれものもである。そして2008年の今、インフレターゲットの支持者である藤井氏は「貞子ちゃんの連れ連れ日記」で、利上げを主張している。資源バルブは世界の過剰流動性だから、日本が金利をあげれば、それを吸収することができるというのだ。野口氏によると、為替の安定と金融政策の自律と資本移動の自由は、三つ同時に達成できないそうだが、デフレ下で金利を上げると何がどうなるやら、わたしの頭ではなかなかすぐにはわからない。もう一度この本と貞子の日記を読んでみるつもりだ。 以上引用。 野口氏の『経済学を知らないエコノミストたち』を読んで、インフレターゲットを理解した限りでは、貞子氏の利上げの主張が理解できなかった。そのあと貞子氏は強いドル政策のためにアメリカは利上げに方向転換すると予想しているのだから、なおさら頭が混乱した。ところが、きのう(7/11)の記事「今の日銀の体たらくぶりをあぶり出す『お国の経済』」で貞子氏は利上げの主張は間違いだったと訂正している。 「 やっとインフレターゲット理論が理解できたばかりの私が、いつも陥ってしまう袋小路&罠は、『日銀が金利さえ上げたら(金融を引き締めさえすれば)、日本にも海外から多くのお金が流れ込むのではないか』と、時折極めてせっかちになってしまうこと。」 だそうだ。貞子氏はアマチュアの自分が間違うのはともかく、日銀がわたしと同じように考えているのは困ったものだと、その日銀のインフレ恐怖症を批判した高橋洋一氏の 「埋蔵金男が明かす『お国の経済』」を推薦している。さっそくAmazonで注文した。
加藤紘一の大見得(拉致事件1)
加藤紘一氏が「拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」とテレビ番組で発言した。それがYoutubeにアップされ、2ちゃんねるで批判された。家族会も抗議したが、加藤氏は謝罪もせずに、自分のHPで意味不明の弁解をし、文脈を考えろと開き直った。例によって、産経をのぞく新聞社はダンマリをきめこんだ。
加藤氏の発言・弁解・詭弁に対する批判揶揄おちょくりは、2ちゃんねるでほぼ尽くされている。ただ、ひとつ触れられていないことがある。金正日が拉致を認めたのは、平壌での会談での安倍氏の強硬な態度だったことだ。それなのに、なぜか、加藤氏は安倍氏を執ように貶めようとしている。このことは加藤氏という人間を知る上でとても重要なことだ。 加藤氏は、司会者の西川のりおの「拉致家族を戻したほうがよかったのか」という質問に、「当然です。国家と国家の約束ですから」、「あんな北朝鮮みたいな国に、日本は政府と政府の約束さえ守らない国だと言われるのは、片腹痛い」と答え、さらに、HPの釈明文でも「政府と政府の約束」「日本は約束を守らなかったという不信感と口実を与えた」、だから日朝交渉は進展しなかったのだとことさら安倍氏を非難している。加藤氏は「約束」が好きらしいが、金さんと小泉さんは小指でもからませたのだろうか。 じっさい政府は「約束」なんか無かったといっているのだが、それはどうでもよい。これは人質ゲームなのだから、協調もあれば裏切りもある。日本側にとっては、五人は帰さないで、五人の子供をふくめて残りの拉致被害者はあきらめるか、あるいは、五人をかえして、拉致被害者全員の奪還をあきらめるかの選択だったろう。北朝鮮の目的は、船越さん方式で、拉致被害者は一人も帰さないで援助を手にいれることだ。脱落者がいなかった日本人妻の一時帰国 の成功体験もある。 じっさいの選択肢はもっと複雑だろうが、それはここでは省略して、ともかく、日本側は五人をかえさないことにきめた。もちろん本人たちがかえらないと決意したのだ。ほかの拉致家族も賛成した。 ここで加藤氏は大切なことを忘れている。五人は自分たちの家族を危険にさらすことになるかもしれないと覚悟したのだし、あるいは子供たちに見捨てたと非難されるかもしれないと思いながらも、帰国しないときめたのだ。人間の誇りを取り戻すために。 拉致家族も自分たちの子供や兄弟姉妹が危険にさらされるかもしれないことを覚悟していたのだ。横田早紀江さんは夫の滋さんが孫に会いたいというのを諫止して、肉親の愛情をもてあそぶ金正日を憎み、そして国に毅然とした態度をとることを要求した。日本が愛するにたる国であることを要求したのだ。 どうやら拉致家族はしらずしらずのうちに家族愛から国家という問題にぶつかったようなのだ。そして、加藤紘一は国家ということばをくりかえし使う。それが国を売るためではないことを願うばかりだ。 ネットや新聞記事で引用されていないが、じつは加藤氏はインタヴューで右翼の言葉を引用しているのだ。 「いわゆる、新右翼の方が、毎日新聞にこう書いていました。 ー 民族主義派、ー 右翼のわたしが、こんことを言ったら、あしたから、わたしの家の電話がなり続けるであろう。 ー ただ、 言う。 ー 『かえしなさい』と ー 。・・・・省略・・・・ 片腹痛いと」 いつか使ってやろうと、なんども頭の中で練習したのだろう、緞帳芝居の大根役者が見得きったようで笑えます。この新右翼とはたぶん鈴木邦男のことだろうが、右翼も左翼も素人に負けてどうする。(Youtubeで確認してください。) 『経済学を知らないエコノミストたち』
野口旭著 池田信夫氏がHPの『読んではいけない』でこの本の書評をしている。その冒頭の部分を引用する。 本書を読んで思い起こすのは、こういう笑い話である:夜道で落し物をした人が、電柱の灯りの下を探している。「そこに落としたんですか」と聞かれると、「いや、落としたのはあっちなんですが、ここが明るいので探してるんです」。 この笑い話の意味が分からないのは、たぶん、わたしが経済学の素人だからだろう。書評の最後のところで、池田氏は「現実が教科書に合わないときは、教科書がまちがっているのだ。明るい所を探すよりも、どこに落としたかを考えるのが先である。」と自分で笑話の解説をしているが、堀口氏は現実が教科書にあわないとは言っていない。現実(目下のデフレ)を理解するには教科書に書かれた経済学が有効ですよと言っているよう思える。 しかし、池田氏の野口批判は、批判と言うより言いがかりとしか思えない。たとえば、「マル経崩れ」というレッテルを貼っているが、たしかに、『エコノミスト ミシュラン』で、構造改革派を講座派労農派にさかのぼって説明しているところは、もとマルクス主義者という感じはするが、この本を読む限りでは、マルクス主義の影響は感じられない。池田氏は、書評の追記で、マル経崩れの堀口には「教条主義」の遺伝子があり、自分と同じ党派を絶賛し、それ以外は罵倒するスタイルも、マルクス主義そのものだといっているが、『エコノミスト ミシュラン』にもこの本にも、罵倒するスタイルは見られない。罵倒のスタイルはむしろ池田氏の方に顕著だろう。 また池田氏は、野口氏に経済学説史家というレッテルも貼っている。たしかに、この本のテーマは世間知ではなく専門知である経済学によって経済現象(デフレ)を理解しようとしているが、だからといって、学説を外から経済現象に当てはめようとしているわけではない。日銀と財務省の具体的なマクロ政策にそって実証的に経済現象を理解しようとしているようにおもえる。池田氏は教科書に載っていない「制度の経済学」を知らないともいっているが、そんなことはない。堀口氏は構造改革や制度改革を否定しているのではなく、それはミクロ経済学であって、マクロの問題はマクロの経済学で理解されなければならないといっているだけだ。 池田氏のブログの歯切れの良さは、たぶん構造改革派の正義感の痛快さであり、それはマクロではなく、ミクロの分析なのだ。ブログ「貞子ちゃんの連れ連れ日記」で、藤井まり子氏は池田氏について書いている。 「『元気なお爺ちゃんだな〜〜〜』と、いつも半ばあきれながらも、痛快さを感じて、私はとても敬服していたのですが、どーも、少なくとも、金融政策の理論では、池田先生は、専門外の学者なのです。」 「高橋 洋一氏は、『池田は『財投改革の経済学』の第九章が理解できないよ』と私に教えてくださったけど、『本当にそうなんだ!』と、昨日、私もやっと合点が行ったわけですよ。」 これは、インフレターゲット論を理解しない白川氏の日銀総裁就任に賛成した池田氏を批判したものである。池田氏は、日銀の量的緩和は利いたとリフレ派を非難しているが、 量的緩和とインフレターゲットとの関係を野口氏は丁寧にこの本で説明している。堀口は量的緩和を否定したのではない。量的緩和といってもいろいろな手法があるが、ゼロ金利下のデフレでは単純な量的緩和ではなく、継続的なインフレ期待を生み出すような量的緩和が重要なのだ。それなのに、日銀はむしろインフレ期待をつぶすようなアナウンスをしていたことは、詳しくこの本に書かれている。 この本は2002年に書かれものもである。そして2008年の今、インフレターゲットの支持者である藤井氏は「貞子ちゃんの連れ連れ日記」で、利上げを主張している。資源バルブは世界の過剰流動性だから、日本が金利をあげれば、それを吸収することができるというのだ。野口氏によると、為替の安定と金融政策の自律と資本移動の自由は、三つ同時に達成できないそうだが、デフレ下で金利を上げると何がどうなるやら、わたしの頭ではなかなかすぐにはわからない。もう一度この本と貞子の日記を読んでみるつもりだ。 藤井氏は目下の石油高食料品高を相対価格の上昇ではなく、物価の高騰インフレだと考えているのだろうか。(7/8追加)
『ウィキペディアで何が起こっているか』 山本まさき/古田雄介 これからWikipediaがどうなるかはわからない。われわれは現在のところ、何かを調べるとき直接Wikipeidiaにあたることはない。たいていは検索エンジンを使って調べる。そうすると、そこにはブログや2ちゃんねる(掲示板)やWikiやHPやyoutubeそしてネット新聞が現れるから、そこから適宜選び、比較しながら読むのだ。 そういう競争の中でWikipediaがどうなるかはわからないが、わたしは今のままでは成功しないと思う。左翼右翼の編集合戦はともかく、わたしが利用する美術のことに限って言えば、Wikipediaは全くやくにたたない。英語版は教科書的なことが書いてあるので辞典的な使い方なら役に立たないこともないが、日本語版は何の役にもたたない。そういうことでは、いちばん役に立つのは2ちゃんねるだ。いろんな意見がでるが、しだいに至極まっとうな意見に収束するように思える。そのかわりひどくノイズが多くて、読むのにくろうする。スレ全部読んでも何も無いということがほとんどだ。2ちゃんねるが駄目になるのは誹謗中傷ではなくノイズが多いため、だれも面倒くさくて読まなくなることだ。便所の落書きは、書く方は自己満足するらしいが、読む方は苦痛だ。こんな2ちゃんねるがつづいているのは、たぶんつぶれない程度に内容があるからだ。 名誉毀損は何も2ちゃんねるの独占ではない。新聞も捏造中傷をする。違うのは、2ちゃんねるは私人の名誉毀損プライバシー侵害をすることだ。これは何とかしなければならない。しかし、2ちゃんねるは新聞の書かない公人のスキャンダルも書くのだ。だから、2ちゃんねるを一つのものとして論じるわけにはいかない。 2ちゃんねるの問題は匿名の問題ではなく、編集権の問題かもしれない。2ちゃんねるは編集権を放棄している。ところが、Wikipediaは、いろいろのルールはあるが、最終的に閉鎖や削除する編集権をWikipediaが持っている。そのため編集合戦ではなく、名誉毀損やプライバシーの侵害をたてにした強迫に容易に屈してしまうことになる。このことは、著者も気づいており、某宗教団体の例をあげ、くりかえしWikipediaに警告している。編集というのはたとえそれが名誉毀損をチェックすることであっても検閲制度には違いない。新聞は真実かどうかチェックすると言いながら、自分たちのイデオロギーに都合がよいかどうかチェックしているだけなのだ。 Wikipediaは便所の落書きにならないなら、肝心のことが書かれていないつまらない百科事典になるだろう。一番危惧されるのは、あきらかに間違っていることが、両論併記されることで、あたかもそれが真実の可能性があるかのごとき印象をあたえることだ。このことは、いずれ2ちゃんねるの問題とあわせて考えてみたい。 『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』
今枝 仁著
著者の今枝弁護士は、光市母子殺害事件の被告から弁護人を解任された。その背景には安田主任弁護士との弁護方針をめぐる対立があったらしいが、その対立が何なのかは、この本を読んでも、必ずしもよく分からない。弁護士は被告の罪を軽くしようとする。そのため、計画性がなかった、殺意はなかった、自白調書は信用できない、生育環境の情状酌量などを持ち出すわけだ。 安田弁護士は法医学的観点から殺意がなかったことを証明しようとするのにたいして、今枝弁護士は家庭環境による情状酌量を求める。この二つは、今枝弁護士も認めているように、特に矛盾するものではなく、どちらに重点を置くかの法廷戦術の問題である。背後に死刑制度の廃止と存置の対立があったようだが、これもこの裁判に関しては被告が死刑にならないように弁護するという点では一致しているのだから、とくに対立する理由にならない。 だから、これは痴話喧嘩なのだ。今枝弁護士と安田弁護士が被告の取り合いをして、振られた今枝弁護士が被告への未練を述べているようにみえる。被告は,死刑制度廃止のために、安田弁護士に利用されただけで、被告を本当に理解していたのは自分で、被告本人も自分を信頼していたと、今枝弁護士が自分を捨てた被告への思いを綴っているように思える。 彼は「なぜF君を助けようとしたのか−−その答えの多くも、僕の個人史にある。」と言う。その今枝弁護士の個人史は、もちろん感動的なものなのだが、よくある弁護士の苦労話以上のものではない。しかし、今枝弁護士は自分こそ被告の心を理解出来るのだと言う。たとえば、被告が友人に送った手紙に悪意はなかったと被告の真意などを忖度したり、勤め先のネーム入りの制服を着ていたから、計画的な強姦ではなく、和姦への淡い期待だったともいうのだが、たしかにその可能性はゼロではないにしても、生育歴の情状酌量を求めるのなら、すくなくとも被告本人が強い懺悔の態度を示すことがどうしても必要だろう。 (もちろん素直な反省の態度を示せないのは生育歴のためだというのだろうが、それでは無限後退だ。ひとはどこかで動機や意思ではなく、自分の行為に対して責任をとらなければならない。こんな簡単なことが分からないのは、殺人とか死刑とか狂気に関わるからだ。いじめで考えれば、ことは簡単だ。近頃ではいじめをする奴も被害者だとか、いじめられるやつにも責任があるなど、いかがわしいことを言うのがいるが、バカなことを言ってはいけない。イジメをする奴は卑劣なだけだ。小学生だってイジメをする奴は卑劣な犯罪者なのだ。もちろん責任能力はある。場合によっては死刑にしたってよいと思う。死刑はイジメの抑止力になるだろう) 今枝弁護士の弁論には無理がある。その点安田弁護士の弁護方針は妥当なものだ。鑑定書に記載された被害者の頸部の索条痕から見て、被告に殺意はなかったというのだ。これは被告の自白などによる心理的な内面に立ち入らずに、科学的に殺意がなかったことを証明しようとするのだから、被害者家族やマスコミや裁判官が抱いていると思われる、被告は改悛していないのではないかという印象が不利にならないからだ。また、ドラえもんとか甦りの儀式とか荒唐無稽な主張も、責任能力の欠如を証明するための再(々?)鑑定を目指すものだとするなら、そんな突飛なこととは思えない。そして、それは失敗したのだ。 この本は「この事件の真相をみんなに伝えて欲しい」という著者が被告と交わした最後の約束を果たすものだという。いったい、約束は果たせただろうか。 宮崎哲弥が帯に推薦文を寄せている。「本当は、人が人を弁護することなんかできない。それをわかっている弁護士こそが、真の『人権派』だ。この男、わかっている。」だそうだ。これは「人は人を裁くことはできない」のもじりだろうが、意味不明のレトリックだ。 |
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Author: 安積 桂 カテゴリー最 近 の 記 事
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