ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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庖丁解鯨

3.5インチのフロッピーを整理していたら、鯨のことを書いたエッセイが出てきた。世間は、今頃、くじらのことで騒いでいるが、僕なんて十年前にすでに鯨を懐かしむ文を書いていたのだ。これは某雑誌に持ち込んで断られものだ。懐かしいので、縦書きを横書きにして、そのままここに載せる。

   *    *   *


 夏の土用の昼下がり、魚屋に鰻を買いにいった。
 わざわざ自転車の乗って、子供の頃に遊んだ商店街に買いに行ったのだけれど、二軒ある魚屋のどちらにも鰻は売っていなかった。解凍した魚や干物が並べてあるだけで、魚屋はひっそりと静まりかえっている。
 帰りにスーパーに寄ると、輸入ものの鰻を山のように積み上げ、土用丑の日の幟を立て、売り子が大きな声で客を集めていた。長焼きというらしいが、串に刺していない長いままの蒲焼きの巨大な山を見たら、とたんに食欲がなくなり、スーパーを出た。途中、蕎麦屋でビールを飲んで、そのまま鰻を買わずに家に帰った。
 むかしは夏の土用ともなると、魚屋が、店先に大きな俎板を出し、鰻をさばいて、蒲焼用の串刺しにしていたが、それを見ていると飽きるということがなかった。
 ウナギを樽から掴み出し、目打ちをし、背を開いて、骨を取り、内臓をこすり取って頭を落としてと、まるで踊るが如く見事にウナギが串刺しにされてしまうと、鰻が漫画のようにニョロリと逃げださなかったことに、ちょっとがっかりするのだが、それより魚屋の巧みな庖丁捌きに感嘆し、また次のウナギが樽から掴み出されるのを胸をドキドキさせながら見てしまうのだ。
 荘子に庖丁解牛の話がある。料理人の丁が牛を解体するのを見て、文恵君がその技に感心したという話だが、その最初の部分を岩波文庫から引用する。

  庖丁が、文恵君のために牛を料理したことがあった。手でさわり、肩を寄せ、足を ふんばり、膝立てをする彼のしぐさのたびに、さくさくばりばりと音がたち、牛刀の動きにつれてざくりざくりと響きわたる、それがみな音律にかなって快よく、〔殷の湯王の時の名曲〕桑林の舞曲にも調和すれば、また〔堯の時の名曲〕経首の音節にもかなっていた。(金谷治訳)

 庖丁の動きは舞うようであり、牛刀の切る音は古い名曲の調べのように美しいというのだ。
 庖丁が、自分の好む所のものは道なり、技よりも進ると、近頃の料理人のような自慢をするのは愛嬌として、文恵君が庖丁の技に感嘆したのは、わたしが魚屋の技に感心したのと同じことだろう。
 牛は鰻より大きいというなら、牛よりもっと大きいものを見たことがある。小学生のとき神田の交通博物館に見学にいったのだけれど、そのとき映写室で見せられた科学映画が南氷洋の捕鯨船団の記録映画で、その中にシロナガス鯨を解体するシーンがあったのだ。
 シロナガス鯨は地上最大の動物で、荘子の開巻劈頭に出てくる数千里もあるという魚の鯤にはかなわないにしても、牛と比べれば、百倍も大きい。
 船尾から引き上げられたシロナガス鯨が白い腹を見せている。甲板がそのまま俎板だ。薙刀のような庖丁を鯨の腹にあて、一気に走って腹を縦に切り裂くと、白い脂肪層がぱくりと口を開き、そこをすかさず別の庖丁人が横に切れ目を入れてから、脂肪と肉の境目に庖丁を滑り込ませれば、厚い脂肪層がまるで寒天のようにふるえながら、撓みながら甲板に倒れ落ちていく。
 これは日本の古くからのいさなどりの技を受け継ぐものだろう。ほんの数秒か数十秒のシーンだったけれど、わたしは息を呑んで、画面を見つめた。あまりに感動したので、そのことは秘密にして誰にも言わなかった。動物を切り刻むのを見て、恍惚となるなんてひどく悪いことのような気がしたからだ。
 しかし、庖丁さばきや料理するのを見て楽しむのは、何もわたしだけの秘密の楽しみではない。
 源氏物語の常夏の巻に、夏の暑い日に釣殿で夕涼みしながら、桂川でとれた鮎などを目の前で調理させ、それを眺めながら酒宴を催すところがあるし、徒然草には、百日の鯉を切って修練をしたという庖丁者、園の別当入道の庖丁術をみんなが見たがる話もある。
 庖丁式ならテレビの正月番組で見たことがある。座敷に大きな俎板を置き、鯉を料理したのだけれど、まず、儀式ばった仕草で俎板の前に座り、着ている物のあちこちを引っ張り、手を挙げたり広げたり俎板に載せたりと忙しく、やっと庖丁を握ったのでやれやれこれで始まると思えば、こんどはその長い庖丁とこれも火箸のように長い箸をあちらに置いたりこちらに置いたり、ひっくり返したり、はては半紙を二枚に切ったりと肝心の鯉はなかなか切らないで、こんなに前置きが長いのだからきっと目にも鮮やかな庖丁さばきを見せてくれると期待させるが、結局、最後までぎょうぎょうしいままに、鯉をおろすというより、ぶつ切りにして、俎板のうえに何かのお呪いのように並べたのには呆れ返った。
  始めから終わりまで一度も鯉に手を触れないのは手柄といえば手柄だが、料理はいつだってリズムであり、音である。わたしが見たいのは、てきぱきと仕事を片づける職人技であって、芸道の奥義ではない。
 板前の役をするとき、自分の愛用の庖丁を持ってスタジオ入りするという俳優をテレビで見たことがある。その俳優は、魚の横腹をぺたぺたと二・三度叩き、鰓を人差指で開いて、そこへ庖丁をまごまごと入れていた。
 なぜ、ディレクターは必要でもない庖丁の場面を入れたのか、いれるなら、ピアノの場面ように代役を使えばいいものを、庖丁なら下手でも、ばれないと思ったのだろうか
 料理番組はときどき見る。とくべつおいしいものを食べたいわけではなく、料理人の手際の良さを楽しむために見るのだけれど、近頃の料理番組は、あらかじめ切って置いたもの、煮て置いたものを使う。料理するというより、料理の手順を説明をするだけで、一向に楽しめない。
 ほかにも、タレントがB級グルメの店屋ものに挑戦するショー番組や、男性文化人が自慢の料理を作り、それを友人知人と食べながら、食文化や芸術について語るという教養番組もある。もっとひどいのになると、街角で若者を捕まえ、むりやり料理を作らせて、その無知を笑って楽しむという番組まである。
 だから、二人の料理人が腕を競う「料理の鉄人」が始まったときは、さっそく、酒とつまみを用意して、テレビの前に座った。しかし、どうも面白くない。
 なにより音とリズムが悪い。二人の料理人が何人もの助手を使って、同時に四・五品の料理を作るので、キッチン・スタジアムとやらは文字通り火事場と化す。そこにテレビ・カメラが入り込み、作りかけの料理を次から次へと映し出し、それが誰の料理やら、何の料理やら判らないままに、アナウンサーとレポーターと解説者と試食者がそれぞれ勝手なことを喋る。
 包丁の扱いが乱暴で、なかには長い包丁を持ち出して振り回すのもいて、危なっかしくて見ていられない。そのうえ料理人が汗をかく。その汗がしずくになって落ちる。皿に盛るとき箸も添えずに素手でやる。ボールにサラダとドレッシングを入れて手でかき回す。それだけではない、ソースに指を突っ込んでそれをベロリと嘗める。おおかた、フランス人の真似で、その方が味が良く判るぐらいのことは言うつもりだろう。
 わたしは庖丁解鯨の図を想像する。南氷洋の捕鯨船の上がいいのだが、それでは船酔いするだろうから、シロナガス鯨を生捕りにして、東京ドームまで運び、そこで解いてもらうのだ。
 わたしはそれを見物しながら、まず、ビールを飲む。あとは何でもいいのだが、一往は尾身の刺身で白ワインを飲み、赤身のステーキで赤ワインを飲む。それから、小学生の頃、父の田舎に行ったとき、伯父が田圃から掬ってきた泥鰌で泥鰌汁を作ってくれたのだけれど、その中に黒い皮の付いた鯨の脂身が入っていた。それをもう一度食べてみたい。
 紀国屋文左衛門なら出来るだろう。しかし、捕鯨禁止になってずいぶん経つのだから、もう解体の技術は残っていないかもしれない。あるいは調査捕鯨として細々と技術が守られているかもしれない。どちらにしろ、そんなことをしたら自然保護団体が大挙してやってくるだろう。
 どこかにシロナガス鯨の解体の一部始終を記録したフィルムが残っていないだろうか。なければ、交通博物館で見た科学映画でもいいから、もう一度、庖丁解鯨のシーンを見てみたいと思っている。

                                                   (1997年7月)
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2008.02.26[Tue] Post 23:37  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

『善き人のためのソナタ』と『仕立て屋の恋』

盗聴と覗き見

ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツについての映画、Die Zeitの映画評によると、「サン・アレー」より政治的、「グッバイ、レーニン!」より哲学的、「Berlin is in Germany」より風刺的だそうだ。
 この映画が始まって、じきにヴィースラー大尉がヘッドフォンをして盗聴を始めた。ニョウボがいきなり「これは『仕立て屋の恋』だ」と言った。それに影響されてか、ヴィースラー大尉がクリスタに恋をするのだろうと、そればかり気になって、肝心の監視社会での良心といったテーマがどこかにいってしまった。
 たしかに、テーマは異なるが、シナリオの構成が「仕立て屋の恋」そっくりで、もちろん構造は変換されているのだが、盗作といわれても仕方ないぐらい似ている。盗聴と覗き見、几帳面に仕事をする職人、恋人の代わりの娼婦、証拠品(タイプライターとレインコート)の隠し場所、裏切り、そして最後の事故死など、たんに小道具とはいえない重要な働きをしている。
 どちらがおもしろかといえば、だんぜん『仕立屋の恋』だ。ムッシュ・イールには自分を同一化できる。半地下の仕事場の場面は見ていて恍惚となる。ボーリングのシーンもすばらしい。なによりエロティックである。覗きという関係が痴漢の関係に変わるところは、これまで作られて映画の中でもっともエロティックなシーンである。それと、監督のパトリス・ルコントが女嫌いなところがすばらしい。
 それにくらべ、『善き人のためのソナタ』は主人公のヴィースラ大尉にアイデンティファイできない。ナチやシュタージの時代にドイツの善良な人々が苦しんだというのはわかるが、だからといって、音楽やブレヒトで良心に目覚めるというのも、安易すぎる。それじゃわざわざ映画を作る意味がないじゃないか。
 クリスタに魅力がないのが致命的で、舞台に立つために身を売ったというのもポルノ映画の粗筋みたいで、わたしには同情心がまったく起きない。さいごに交通事故で死んで、罪をあがなってやるのは、ちょっと女性に甘すぎないか。(いま、ニョウボが、麻薬を打ってるからって、クリスタの悩みが深いということにならない。いい加減なことを言うなと怒っています。もっともです)
 劇作家ドライマンにも共感できない。友人が自殺したからといって、きゅうにシュピーゲルに協力するのは納得できない。東ドイツは自殺者が多いという記事だというのだ。なんかとってつけたような理由じゃないか。見ていて呆然とした。それとパーティの場面は本当につまらない。
 邦題が酷い。原題『Das Leben der Anderen』(他人の生活)のほうがマシ。

 『善き人のためのソナタ』は最後のハッピーエンドがちょっと感動的だったので、おまけで星一つ半★☆
 『仕立屋の恋』はもちろん星五つ★★★★★
2008.02.25[Mon] Post 17:02  CO:0  TB:0  映画  Top▲

シー・シェパードのテロは人種差別ではない

 反捕鯨運動はもともと人種差別の問題ではない。シー・シェパードは日本人を侮っているだけだ。ドイツの緑の党がやった原発反対運動でもテロがあった。でも、人種差別ではない。それとおなじように反捕鯨運動は人種差別ではない。それがあいにく食文化や動物愛護だったので、彼らの進化論主義的差別意識にスィッチが入ってしまったのだ。
 捕鯨問題を人種問題ではなく、経済の問題としてとらえることが大切だ。
 この問題は、鯨という資源の配分の問題であり、鯨を食料資源と考える日本と観光資源と考える豪州が争っている。資源配分の問題は市場で解決すべきであるが、両者ともに市場を歪めている。日本は補助金や天下りによって、豪州は鯨を資源としてではなく、崇拝の対象とすることによって。原理主義は市場の否定である。
 水産庁は市場を歪めているだけだが、シー・シェパードは市場を否定している。全く解決方法がないようにみえる。
 差しあたって日本がやるべきことは、水産庁の腐敗をただすことだ。日本鯨類研究所などを即刻廃止することだ。補助金天下りを止めて、捕鯨を市場に任せることだ。
 緑の党はまったく反市場的に原発の漸次的廃止に成功した。しかし、同じ環境問題として原発の見直しが始まった。反原発運動だって反捕鯨運動以上に狂信的でテロもやったのにだ。
 いまアフリカでは象が増えて困っているそうだ。日鯨研のいうことが本当なら、そのうち鯨が増えて海が困ったことになる。もちろん困るのは日本人でも豪州人でもなく、鯨や魚を食べて生きている人々だ。
 
2008.02.14[Thu] Post 19:57  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

白豪主義者たちの偽善

白豪主義

 この写真をネット上で探したけれど見つからないので、産経新聞(ロイター)からコピペした。どなたかネット上で見らるサイトがあれば教えてください。
 すばらしい写真だ。アボリジニたちの穏やかな笑いとラッド首相らの引きつった作り笑いを比べてください。ばればれのプロパガンダじゃないですか。アボリジニはなぜ民族衣装を身につけているのか。白い化粧はどんな機会にするのか。この式典で「歓迎」を意味する舞踊をひろうしたそうだが、卑屈ではないか。白人たちは未開人ではなく先住民と呼び方をかえているが、これは人種差別意識を文化相対主義に置き換えているだけではないか。
 この写真は白豪人が自分たちは人種差別意識を持っていませんよと宣伝しているだけで、人種差別がないことの証拠では全然ない。ラッド首相は「きょう私たちは過去の誤りを正すために、小さいが意義のある一歩を踏み出した」とスピーチしたそうだが、これを偽善といわずに何を偽善というのだ。今の誤りを正してこそ過去のあやまちの真の反省ができるのだ。知能が高い鯨を殺す日本人は野蛮だとか、従軍慰安婦は軍の強制だとか信じているらしいが、ただすべきは今のその誤りなのだ。
 バルトは「映像の修辞学」で、軍服の黒人が三色旗の下で敬礼している写真のデノテーション(外示)は黒人のフランスにたいする忠誠心だが、コノテーション(共示)はフランスが黒人に対して人種偏見をもっていないことをプロパガンダしていると書いている(うろ憶え、例によって本がみつからない)。だた、映像の共示は、それが提示された状況で大きく変わるので一義的には確定できないけれど。
 白色人種たちは元従軍慰安婦たちの話を聞くと吐き気がするらしいが、わたしはこの記事を書いているあいだじゅうこの写真を見ていたので、だんだん吐き気がしてきた。
 やっぱり、今年のピューリッツァ賞はこれで決まりだな。
2008.02.13[Wed] Post 15:44  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

反捕鯨と人種差別(再)

捕鯨問題最新情報 というサイトに以下の記事があった。2000年7月18日づけの朝日新聞に以下のような記事が掲載されたというのだ。

 「科学的根拠が示すように、日本人とノルウェー人の人口が持続可能なレベルに達しているというなら、彼らの捕獲を始めるべきではないか」という投書が、IWC総会中、オーストラリアの有力紙投書欄に載ったというのである。

 これは私が「反捕鯨と人種差別」で触れたオーストラリア国営放送の人種差別的ジョークの原型なのだ。反捕鯨運動の背後に白人たちの人種差別意識があることに目を背けてはならない。現実を直視せよ。臆病になるな。
 
2008.02.12[Tue] Post 21:05  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

鯨肉は代替財である

 鯨肉は魚肉はもとより牛肉や豚肉とは代替財の関係だろう。だから水産庁は捕鯨の権利の留保を放棄して、米国の経済水域での漁の権利を選んだのだ。経済学的にまったく合理的に、魚が鯨の代わりになると考えたわけだ。日本の捕鯨文化などという不合理なことなど頭になかった。ただ、長期的なことを考えずに、目先のことに目を奪われて、アメリカを信用してしまったのだ。アメリカなんか戦前から信用できないことがわかっているのに、属国根性まるだしで、アメリカの言いなりになって、案の定騙された。これは水産行政の失敗である。
 騙されたと知ったとき、ただちにIWCを脱退して、商業捕鯨を再開すれば良かったものを、白人の差別意識に気づくのが怖くて、理は自分たちにあるのだから、話せば判ると自惚れていたのだ。
 鯨が進化した動物で、知能も高くて魚類とは違うという考えは、戦前、白色人種が黄色人種を差別した理屈とまったく同じだということに、そろそろ気づいたほうがいいのではないか。
 
2008.02.12[Tue] Post 20:28  CO:2  TB:0  反捕鯨  Top▲

鯨祭り

 誤解されてはいけないのでことわっておくが、わたしは反捕鯨主義者ではない。鯨を食べる権利を断固主張する。そして、日本の捕鯨文化の伝統を守るべきだと考える。
 わたしが糾弾しているのは水産庁が、自分たちの天下りの利権を守るために捕鯨問題を利用していることだ。
 捕鯨産業に補助金はだすな。市場にまかせろ、だめな産業は退出すればよい。捕鯨文化はたとえば「鯨祭り」として保存すればよい。年に一回、昔のように和船に乗って古式捕鯨をするのだ。もちろん天皇陛下にご臨席いただき、召し上がって頂く。包丁式をするのもいいかもしれない。稲作ばかりではなく、捕鯨のことも考えてもらいたい。
 
2008.02.12[Tue] Post 18:09  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

水産庁の陰謀

 またまた誤解していました。捕獲調査のまえに目視調査も標識調査もされていたようです。詳しくは日鯨研のHPを見てください。
 ようするに反捕鯨派は当初は鯨が絶滅の危険があるから大切にしようということで、当然資源調査には反対しなかった。ところが調査してみると鯨の数が増えていることが判ってきた。そこで調査に難癖をつけはじめた。日本はより正確に調査しようとした。するとますます鯨が増えていることがわかった。そこでさらに調査に難癖をつけ、コンピュータが導入されると、そのデータを改竄することまでやった。そして、自分たちの嘘がばれると今度は、捕鯨反対なのは、鯨絶滅の危険ではなく、そもそも鯨は魚じゃないし頭もいいから殺してはいけないと言い出したのだ。
 とにかく、日本側はこの反捕鯨派にできるだけ誠実に対応してきたことは認めないわけにはいかないが、調査捕鯨が場当たりてきな偽善であることにはかわりない。どちらにしろ、反捕鯨のスローガンが資源の保護から鯨原理主義(鯨を一頭でも殺すことは許さない)にかわってしまった今では、資源調査自体意味のないものになってしまったのだ。だから捕鯨文化の保存なんて言い出したのだ。
 それよりもっと重要なことは、捕鯨が商売として成り立たなくなってしまったことだ。「調査捕鯨は商業捕鯨だ」という偽善説が本当ならば、原理主義者が日本の捕鯨を放っておいても、経済原理に従って、捕鯨から撤退するだろう。ところが、調査捕鯨はまっとうな商業捕鯨ではないのだ。マーケットを歪めているのは、経済原則に反した補助金であり、水産庁の役人の日本鯨類研究所へのあまくだりである。
 ちょっと陰謀論を。シー・シェパードの今回のテロ行為は日本の鯨マフィア(水産庁)が仕組んだものではないか。あるいは両者の共同謀議ではないか。両方とも得をしているのだから
2008.02.12[Tue] Post 14:24  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

調査捕鯨は偽善だ!

反捕鯨の歴史

 前回の記事で、捕鯨問題をエリザベス女王となら話し合えると書いたけれど、間違っていました。イギリス、少なくともイギリスのジャーナリズムは日本の捕鯨にたいする偏見は少ないようだが、鯨がほかの哺乳類より知能が高いから食べるのは野蛮だと思っている反捕鯨の人々がいるらしい。エリザベス女王もきっとそうだろうから、話しても無駄だろう。訂正しておきます。
 それと太田述正氏のブログによれば、米国の200海里内の漁業を禁止するぞと脅されて、日本が商業捕鯨の権利の留保を放棄したら、それを見計らっていたように米国は約束を反故にして、自国の200海里内の漁を全面禁止にしてしまった。それで怒った日本は調査捕鯨という名目で商業捕鯨をすることになったらしい。BBCは日本がアメリカに騙されたのだとみとめている。当時、米国の経済水域での漁獲量は鯨の漁獲量の10倍あったそうだ。それで捕鯨を放棄したというのだから、いまさら日本の捕鯨文化の大切さとかいっても、それこそ偽善だ。
 アメリカが環境団体の言いなりになったのは、鯨から油をとる必要がなくなったからであり、捕鯨産業は実質ゼロなのだから捕鯨禁止をしても誰も損はしないし、環境団体の票が増えるだけだ。同じ環境問題でも京都議定書の批准には反対したのだから、もし食料危機がくれば米国はIWCを無視して捕鯨を始めるだろう。
 水産庁はアメリカの裏切りに怒りを持っているらしいが、一度はあきらめた捕鯨を、いまさら調査捕鯨として続ける意味があるのか。そもそも商売になっているのか。危険を冒してわずかの鯨を捕ってももうけにはならない。yutakarlsonさんの言うように将来の海洋資源の開発のために重要だとしても、それならそれで、もっと長期的に鯨の放牧養殖品種改良の研究が必要だし、そのためにはやっぱり鯨原理主義と闘わなければならない。しかし、水産庁にそんな気概があるとはおもえない。これは外務省と二人三脚でやらなければならい。でも山田大使じゃなぁ
 それでは、なぜ儲かりもしない捕鯨をしているのか。それはたぶん調査という名目で補助金が出ているからではないか。あるいは、捕鯨関係の外郭団体を作って天下りをしているからではないか。シー・シェパードのテロを一番喜んでいるのはじつは天下りの役人かもしれない。シェパードの大将、日本が罠にかかったとよろこんでいたが、じつは罠にかかったのはシェパードのほうだったりして。
 まだ、つづきます。これは日本人の名誉の問題なのです。
2008.02.10[Sun] Post 23:52  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

映画「クィーン」と反捕鯨

イギリスの反捕鯨デモのニュースを見たということは昨日の記事で触れた。豪州のような異常なところはない。それで映画「クィーン」を思い出した。その映画評で以下のように書いた。

「女王が王室の領地で夫の鹿狩りから大鹿を逃がしてやったけれど、結局、捕獲され血抜きをされている大鹿を小屋に見に行くエピソードが出てくる。これはダ イアナ妃が王室の狐狩りの伝統に反対したという話を思い出させる。女王はダイアナ妃とは違って、動物愛護ではなく、英王室の主人としての務めを果たしたのだろ う。動物愛護なんて天皇が田植えに反対するようなもんだろう。どうなんだろう。」

 このエピソードは、女王がダイアナに弔意をあらわすためにバッキンガム宮殿に戻る前のシーンだ。このとき、女王は鹿の銃創を確かめながら、どんな風にしとめたのか聞くと、小屋の番人が客(銀行員?)は一発で殺せなかったが、すぐにフィリップ殿下(?)が撃ったので苦しまなかった、というようなことを言っていた。それを聞いたエリザベス女王は、銀行員におめでとうと伝えてくれという。
 このエピソードが映画の中で、どんなことを意味しているのかはともかく、イギリスの王室は狩りの伝統は認めるけれど、動物を苦しませることには反対ということだろう。このことは虐待しなければ家畜を食べてもよいということで、狩猟とは矛盾しない。イギリスの反捕鯨デモは、鯨を虐待するなということで、人種差別的なものはないということになる。
 調査捕鯨は、年齢を調べるための耳垢を壊さないように銛を撃つので、商業捕鯨より即死率が低下するらしい。商業捕鯨の再開に関してはエリザベス女王とは話ができるはずだ。
 もちろんIWCの歴史の中で不合理な主張に妥協していったなかで、調査捕鯨という歪んだ方法に行き着いてしまったのだろうが、もはやこんなやり方は日本に不利益をもたらすばかりだ。
 ともかく調査捕鯨をやめて商業捕鯨を再開することだ。商業捕鯨だって調査はできるのだから。もちろんIWCを脱退することは、かっての国際連盟脱退ぐらいの覚悟は必要なんだろうが。

 わたしが調査捕鯨や捕鯨文化の保存に反対なのは、それが市場原理に反するからだ。しかし考えてみると、市場を歪めているのはシー・シェパードよりも、日本の官僚たちではないか。捕鯨が商売ではなく利権になってはいないか。
2008.02.10[Sun] Post 13:34  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

ただちに調査捕鯨と捕鯨文化の保存をやめろ!

いま、テレビでイギリスの反捕鯨運動を見た。
以下の文を書いている途中だったが、ともかく、「調査捕鯨」と「捕鯨文化の保存」はやめにして、「商業捕鯨」を断固再会すべきであると、緊急提言しておく。
以下に書きかけの文をアップしておく。

パタゴニアと不買運動
 yutakarlsonさんから再度コメントが入った。前回の海洋資源の開発については蒙を啓いていただいたが、今回のコメントはちょっと意味不明だ。だからわかる範囲で答える。
 まず、ナオミ・クラインだが、このひとなんか怪しくないか。ケインジアンのガルブレイスに対立させて、フリードマンを市場原理主義者のレッテルを貼って否定しているけれど、これはちょっとまえの日本の左翼が言っていたことだ。ナオミ・クラインはブランドやグローバリズムに反対らしいが、旧左翼根性まるだしだ。ナイキが中国や東南アジアで低賃金で働かせて収奪しているというが、低賃金じゃなければナイキはそこに工場を建てないだろう。それにナイキというブランドがあるから、仕上げはけっしてよいとはいえない靴が世界中で売れるのだろう。ナイキがグローバル企業になるには、アジアをマーケットにしなければならない。アジア人を低賃金の労働者とみるだけではなく、ナイキの顧客にしなければならない。昔の植民地主義とはちがうのだ。ナイキは中国をマーケットにした。ナオミ・クラインはこれも搾取だというのだろうが、それこそアジア人蔑視ということになりはしないか。
 反捕鯨運動を陰謀論にしてはいけない。たとえば原子力発電反対運動はオイルメジャーの陰謀だとか言うたぐいだ。もちろんどんな資源もいろいろな政治的な利害関係が絡んでいる。これまでの戦争はすべて希少な資源をめぐる争いだ。環境問題ももちろんyutakarlsonさんがいうように、資源をめぐる争いだ。資源の配分を話し合いや多数決や戦争ではなく、市場で決めるのが最良の解を得る方法だとミルトン・フリードマンはいっているのではないか。もちろんマーケットには最小限のルールは必要だ。ミルトン・フリードマンの市場原理主義の優れた点は、このルールを作るのに民主主義はふさわしくないと考えていたことだ。CO2の排出権取引はけっして正常な市場化ではない。あれは歪んだ話し合いだ。
 鯨も海洋資源の争いだ。食糧資源の立場と観光資源の立場のあらそいと考えればよいのだが、そうはうまくいかない。日本はもともとは鯨を食糧資源とする立場だが、商魂たくましく鯨を観光資源にしようとする人たちもいる。豪州は観光資源の立場のはずだが、それがどういう訳か鯨原理主義になってしまっているので、とても市場化できない。

以上は書きかけです。パタゴニアの不買運動には賛成できないけれど、かれらの人種差別意識を放っておいてはいけないだろう。まず、駐豪日本大使を交代させることだ。外務省に人材はいないだろうが。
2008.02.09[Sat] Post 18:26  CO:1  TB:0  反捕鯨  Top▲

反捕鯨とパタゴニア

「反捕鯨と人種差別」という記事をエントリーしたら、LOVEANDPEACEさんからコメントが入り、パタゴニアがテロ集団シーシェパードを援助しているからホームページを読んでその感想をブログに書いてもらいたいと言われた。
 読んで見たけれど、この手の回答としては良くできていると思う。彼らも商売だから、マーケッティング戦略としてどうすればいいか普段からちゃんと模範解答を考えているのだろう。アメリカのビジネス・スクールをでたのがパタゴニアにいるのだ。あの文章は日本企業の「不祥事」の対応とはちがって、しっかりしている。
 すでに資金援助はしていない、でも、これからも応援していくなんてはっきりと言っているところは、なかなかのものです。グローバル企業としての戦略がしっかりしているのです。ECO BRANDとしてやっていくとはっきりと宣言している。
 ここで日本人に妥協するよりも、世界でエコ・ブランドとして売り込む方がグローバル企業として有利だと判断しているわけです。日本はたいしたマーケットではないのです。それに、日本人なんて誇りのない民族だから、侮辱されてもすぐに忘れるということも計算にはいっているのでしょう。そもそも、シーシェパードの反捕鯨運動が日本人に対する人種差別だと思っていない日本人がたくさんいるのです。捕鯨文化はもとより、鯨肉よりECOのほうが好きな日本人の方が多いのです。この勝負は残念ながらPATAGONIAの勝ちです。
 もちろん私はパタゴニアを購入するつもりはありません。
 この問題についてはさらに考えていきます。
2008.02.07[Thu] Post 00:49  CO:2  TB:0  反捕鯨  Top▲

反捕鯨と人種差別

「国営放送:オージー捕鯨問題で在豪日本大使をコケにする」
と言うタイトルで豪のテレビ番組がYouTubeにアップされた。
その中で、タレントが日本大使に突撃インタービューして、日本人の食生活や妊娠の有無を調査するため日本人を二三人殺してもいいかと訊いている。私はつい笑ってしまった(すみません)。というのも、かねがね「調査捕鯨」というのが怪しいと思っていたからだ。資源調査なら何も殺さなくてもIC標識でも埋め込めばいいではないか、それを殺して売っているのは、彼らがいうとおり調査捕鯨と偽って商業捕鯨をしていると思われてもしかたない。なぜ、商業捕鯨だと宣言しないのだろう。あるいはIWCから脱退しないのだろう。日本捕鯨協会のホーム・ページにはなぜ捕獲調査が必要なのかを説明しているが、そもそも、鯨を資源にすることに反対しているオーストラリア人にそんな説明をしても無駄だろう。
 この調査のために日本人を殺すというのはオーストラリア政府も認めた反捕鯨プロパガンダの定番であるらしい。ビールのCMもある。上記のテレビ番組ではタレントがおもちゃの銛を日本人の観光客に撃っているシーンがうつっていた。だれも殴りかかる日本人はいない。韓国人や中国人だったらたぶんそのタレントは無事ではないだろう。日本人は笑って逃げるばかりである。かれらが日本人を侮っていることは確かだが、いったいそこに人種偏見があるのだろうか。むずかしい問題だが、わたしはあると思う。日本人と思われる男に銛を撃ち込んで、電気ショックを与え、血を吐くビールのCMが、ビールの売り上げに寄与するなんて、彼らのこころの奥底にある黄色人種への差別意識を満足させ、きっとビールがとびっきりおいしくなるのだろう。
 youtubeを舞台にオーストラリアと日本で喧嘩をしているが、日豪友好なんて偽善はやめて、徹底的にやるべきだろう。またぞろ白人達は南京の虐殺とか従軍慰安婦とか持ち出してきているが、これはむしろ白人達の人種差別に根ざした第二次大戦の植民地主義を暴くチャンスだ。なにしろ彼らが人種差別主義者だという証拠はたくさんあるのだから。たんたんと事実を積み重ねていけばいい。
 それより、駐豪日本大使の山田さんは、日本人を二三人殺すと言われているのに、何も反論しないとはどういうことだ。在外日本人の安全を確保するのは大使の役目ではないか。いったい、その後豪に抗議したのか。外務省の腐敗も底なしだ。


2008.02.02[Sat] Post 18:32  CO:3  TB:0  反捕鯨  Top▲

日本画の利権

yyさん 誤解があるといけないので付け加えておきます。
>彼女が出なかったら、ありがちな岩絵の具による日本画の道はどんどん閉塞していたのではないでしょうか。
 これは芸大元学長の平山郁夫のことなどをさしているのだとおもいますが、閉塞しているのは、絵がつまらないこともあるけれど、それより中国の反日利権を通じて政官財と癒着しているからでしょう。松井も平山と同じです。反日利権のかわりに人権利権を利用しようとしているだけじゃないですか。両者は同根です。見ていてご覧なさい、いずれ政官財ジャーナリズムと癒着していきますから。
 この日本画業界の利権構造にたった一人で反乱を起こしているのが会田誠です。彼は自作の《大山椒魚》を首相官邸の壁に掛けたいと言っていました。大賛成です。(それよりも、会田の《書道教室》を東京都現代美術館に寄贈してもらって、宮島達男の《それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く》の向かい側の壁に展示したら面白いだろうなぁ)
 つまらないイラストを日本画と称して利権化するのはやめましょう。
2008.02.02[Sat] Post 15:02  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

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