ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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絵が上手だということ

獏さん・ヒドラさん。 絵が上手いということはどういうことか、考えるとわからなくなりますね。たとえば、数学の教師がフリーハンドでほぼ完璧な円を黒板に描いたとする。この円は上手いといえるでしょう。しかし、コンパスを使って描いた円は上手とは言わない。それなら宇治山哲平の円はどうだろう。宇治山はコンパスを使って円を描いたのだから、円を描くのが上手いとはいわない。しかし、宇治山の円は三角や四角と配置され、彩色されて見事に美しい。それなら、吉原治良の円はどうだろう。一筆で描いたように見えるけれど、じっさいはそうじゃない。抽象画なのだから、上手いとか下手とかいってもあまり意味はないだろう。それなら、抽象画の上手い下手の評価はどうするのか。不可能なのか。
 線の上手い下手もある。なかんずく、日本の絵画では重視されるようだ。和紙に墨と筆で描けば上手い下手は一目瞭然だろう。なにより書き直しができないから、修練が必要だ。
 日本画は狩野派をもとに生まれたらしいのだが、水墨画のような描線の上手い下手が曖昧になっている。朦朧体もあったし、そのご紆余曲折があったけれど、とくに近頃のボーダーレスの日本画には描線の美しさはない。町田久美の線は一筆で描くのではなく、少しずつつなげて描く。松井の幽霊の髪や洋犬の毛は描線というよりただ線状のものを細かく描写しているので上手に見えるだけではないか。山口晃は上手いけど、イラストの面白さだし。
 デッサンは写真の誕生で上手い下手の意味が変わってしまった。モダニズムがどこから始まるのか知らないが、マネのデッサンはまだしっかりしているが、セザンヌのデッサンはどう理屈をつけようとも写真的なものを基準にすれば上手いとは言えない。ピカソはデッサンが上手いと言われるが、キュービズム以前のものや新古典時代のものにはセザンヌ的な「不正確な」デッサンがある。だからといって、セザンヌやピカソの絵が下手だと言うことにはならない。モダニズムによってデッサンの意味が変わったのだ。
 そのもっともわかりやすいのがマチスだろう。マチスのデッサンは正確ではない。しかし厳密なのだ。下手なところは一つもない。曲線は女のヌードをあらわしている。そんな形の女がいたら不気味である。しかし、ゆがんでいるのはキャンバスに絵具で描かれたおんな(図像客観Bildobjekt)であり、われわれが見ているおんな(図像主題Bildsujet)ではない。描かれたおんなの歪みは中和化されて背景に退いている。そこに図像主題のおんなが現れる。マチスのデフォルメは漫画のデフォルメではない。誇張ではなく本質の把握なのだ。
 ピカソのおんなも同じことだ。横顔と正面が混じった顔(図像客観)をよく見れば、そこにちゃんとした女の顔(図像主題)が見えてくる。いろいろな視点から見ているとか、異なる時点を一つにしている(ホックニーの考え)とか、理論はいろいろあるだろうが、それはあくまで<知覚>している図像客観の話であって、<見ている>図像主題の話ではない。ピカソが難しく見えるのは、失敗作が多すぎるからだ。図像主題のおんなが現れてこない作品がたくさんある。ただ図像客観を見て女が描かれているらしいと推測するだけの作品はつまらない。絵はなぞなぞではない。
 それとマチスと比べて、ピカソの最大の欠点は表現主義的象徴主義的な傾向があることで、性的な妄想、戦争反対、女性恐怖、母性愛といったテーマ(主題)が、本来の絵画的主題を台無しにして、図像客観と図像主題の弁証法的緊張を弛緩させている。そうなれば、ピカソの絵はほとんど落書き以上のものではなくなる。この類のピカソの作品はまったく下手だと断言する。とくに共産党のプロパガンダとして描いたという壁画「戦争と平和」は、岡本太郎の「明日の神話」のほうがマシだと言ってもよいほど、下手くそである。
 それでも、ピカソが上手いという伝説ができたのは、おそらくファウンド・オブジェを使った像や闘牛のスケッチや鳩などの即興的な素描作品の魅力のためではないか。少なくとも私にはそうである。
 絵やデッサンが上手いというのは、通常は図像客観のレベルで言うのであって、絵の本来の面白さ、すなわち図像客体と図像主題の作用反作用の面白さとは別のものなのだろう。だから、上手でもつまらない絵がたくさんある。たとえば美術雑誌の「一枚の繪」にはそんな絵であふれいる。
 繪が上手い下手という問題はなかなか難しい。それに、わたしの鑑賞眼は未熟でしょっちゅう評価が変わっている。いろいろな楽しみ方があるのだろうが、たとえば、ヴェラスケスの肖像画は優れた技巧で描かれた上手な絵であるが、わたしにはひどく退屈な絵に見える。それも物理的図像と図像客観と図像主題の三つのあいだに弁証法的緊張がないからだ。この絵画の三層構造についてはわたしのHP「絵画の現象学」をごらんください。
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2008.01.21[Mon] Post 01:13  CO:2  TB:0  美術展評  Top▲

『美しい諍い女』★★★★☆

 この映画は以前に劇場公開版を見て、途中でやめたことがある。ゴダールの「軽蔑」を思い出したが、どうも要領の得ない退屈な映画だった。今回見た無修正版は4時間という長さだが、少しも退屈しなかった。たぶん、二組のカップルの人間関係(画商を入れて五画関係)ではなく、公開版では削られた画家とモデルの単調な描写が、むしろこの映画の見所なのだろう。
 ニョウボはペンでかりかりとドローイングをする音が嫌だというが、たしかに初めはひどく不快な音におもえたけれど、我慢して見ていると、十年間眠っていた画家の魂の叫びのように聞こえてくる。画家はなかなか描き始めることが出来ず、キャンバスをひっくり返したり、机を片づけたりするところは、芸術家の陳腐な描写にも拘わらず観客を引きつけ、画家にアイデンティファイする感情が容易にうまれる。ペンをカリカリさせる音は、木炭や鉛筆がキャンバスを擦る音に替わっていくのだが、たぶん本職の画家が描いているのだろう、手の動きがキャンバス上に残す線を見ていると、まるで自分で描いているような錯覚が生まれてくる。
 同じことが、モデルのポーズにもいえる。モデルの裸を正面から誤魔化さずに撮っていて、陰毛は付髭のようでちょっとコミカルで、猥褻なものはなにもない。画家はモデルを解体しバラバラにしてカオスにするのだといって、モデルの手足を無理矢理不自然な位置におき、また、モデルのほうも画家の挑発に負けずにそれこたえる。画家とモデルの戦いなのだ。
 ミシェル・ピコリはまるでロダンのような不自然なポーズをモデルに強要する。ロダンのモデルをしたイサドラ・ダンカンは、ポーズをつけるロダンの手が誘惑の仕草をしたというが、ミッシェル・ピコリはただベアールの肉体を解体しようとするだけで、そこにはエロティックなものはなにもない。そしてわれわれも、また、画家のようにベアールのヌードをモノとして見始めるのだ。
 画家を主人公にした舞台や映画はたくさんある。それはたいていは芸術家の苦悩や情熱を描いたものだ。しかし芸術家ではなく絵を描くことそのものの魅力をこれほど見事に表現しえた映画は「美しい諍い女」がはじめてだ。
 絵を描くことの秘密を教えてくれたので特別に★四つ半
2008.01.17[Thu] Post 01:02  CO:0  TB:0  映画  Top▲

「不都合な真実」

アル・ゴアの真実

 アル・ゴア前米副大統領がノーベル平和賞を受賞した。なにか釈然としない。釈然としないのは、地球温暖化の予想のことではない。そんなことは気象学に任せればよい。そうではなく、ゴアのプレゼンテーションの仕方が釈然としないのだ。ゴアは詐欺師の手法を露骨に使っているのではないか。
 ゴアが「不都合な真実」のキャンペーンで日本にきたとき、氷河が海に崩れ落ちるシーンが繰り返しテレビで放映された。氷河は河なのだから、流れて海に注ぐのあたりまえで、なんの不思議もない。氷河崩落の映像は昔からあった。子供の頃テレビで氷河が海に崩れ落ちるのを見て、原田三夫の『自然界の驚異』(偕成社)に書いてあったことが本当なのだと、ひどく感動したことを憶えている。しかし、そんな自然の驚異も繰り返し見せられると、なんだか世界滅亡の予兆のように見えてくる。ゴアが「温暖化問題は政治問題ではない。倫理問題だ」と言う。まるで終末論を振りかざす予言者のようだ。
 どうして、ひとはこんな怪しげな人間を信じてしまうのだろう。映像を見れば、ゴアが詐欺師であるのは一目瞭然ではないか。
 いったいゴアのどこが怪しいのか。まず、子供を持ち出すところが「一杯の掛けそば」みたいで怪しい。ゴアの息子が自動車事故で重傷を負ったという。人の不幸は蜜の味というが、それは嘘だろう。ひとは誰でも自分がいい人だと思われたい。それに、いつなんどぎ同じ不幸が自分を襲うかもしれない。だから人の不幸に同情する。同情すればゴアの思う壺だ。ゴアは死にそうな息子を看病しながら、息子の世代にこのかけがえのない地球を残したいと思ったそうだ。交通安全運動に一生を捧げるとか、自動車のラッダイト運動をするというなら分からないではない。しかし、いくらなんでも美しい地球を次世代に残すというのは飛躍のしすぎだ。
 だから、これは宗教なのだ。アブラハムとイサクの犠牲の物語だ。ゴアを一目見たとき、すぐにアメリカのテレビ伝道師をおもいだした。髪型、顔、表情、声、仕草、服装、そして子供が救われたという原体験、このまま説教壇にあがれるだろう。環境破壊は原罪であり、地球温暖化は世界の終りである。神は怒り、われわれを罰するだろう。ゴアは言う「汝ら悔い改めよ、神の国は近づきぬ」と。
 もう一つ別の手口をあげておこう。ゴアは二酸化炭素の排出量と気温の変化をグラフで示すのだが、それを拡大して巨大な紙(ボード?)に書く。棒グラフは天井まで垂直に伸びている。それだけじゃ済まない。そのグラフを指すために、ゴアは梯子車のようなものに乗って棒グラフの先端の所まで高く上がるのだが、「操作が難しくてなかなか慣れない」と、余計なことを言って聴衆の笑いをとるのだ。わたしは呆気にとられた。何故って、OHPとかレーザーポインターを使えば済むことじゃないか。
 おろかなのは市民団体やノーベル賞選考委員会だけではない。人類総バカ化が始まっている。こうなったら大洪水で人類はいちど滅びたほうがいいのではないか。
2008.01.10[Thu] Post 02:30  CO:0  TB:0  テレビ  Top▲

「激流中国」(2)

中村粲氏はNHKをしっかりウオッチングせよ!

 中村粲が「正論」2月号の「NHKウオッチング」でNHKスペシャル「激流中国」について間違ったことを書いている。
 「激流中国」は中国社会の暗黒面だけではなく、明暗両面をとりあげているので、それをネットで見た中国国民の共感を得た。体制批判の危険を感じた中国政府はNHKに抗議し、サイトを接続不可能にした。NHKは急遽七月八月の放送を中止し、九月から放送を再開した。再開後の番組も「チベット 聖地に富を求めて」など困難な取材を続けており、NHKは「真実の報道」と「言論の自由」を守りとおそうとしていると中村氏は褒める。しかも「激流中国」は日本のテレビ業界でも高い評価を受けているという。これは、私の印象とだいぶ違う。私はこのシリーズがヤラセではないかという印象を持った。NHKは検閲を受け中国政府の意にそうように番組を作っているようにしか思えなかった。
 そもそもこの番組がネット上でアクセス妨害されたのは、ウィキペディアによればある中国のブログが炎上したことに端を発しているらしい。そのブログを読んだ中国人の話では、高級マンションを現金で買った人物が「NHKに騙された、本当はローンで買ったのだ」と弁解したのがきっかけで、嘘だ、おまえはNHKからも金をもらっただろうなどとブログが大騒ぎになり、それが政府批判になるのをおそれて当局がアクセス禁止にしたらしい。ことの真偽はわからなが、現在ではウィキペディアからそのブログのことは削除されている。
 前後の事情からして、最初は、私が推測したようなヤラセも検閲もなかったのかもしれない。ただ、NHKが自主規制して、中国の広報宣伝の方針にそうような番組を作ったのだろう。中国は一国二制度の範囲内なら格差を報道することは容認するが、それが市場経済のゆがみをこえて、政権批判になることは許さない。そのぐらいのことはNHKも承知で、中国当局も日本のマスコミはいつも自分たちの思い通りだと安心している。
 「激流中国」も日本向けとしては許容範囲ぎりぎりだった。その意味でNHKは頑張ったといえる。しかし、それが「真実の報道」のためだというのは怪しい。たぶん、ネットで中国国内に流れるなんて計算違いだったのだ。その証拠に、北京当局に偏向報道だと抗議されると、NHKはあわてて「中国政府の立場を尊重する」と二ヶ月放送を中断する。
 もちろん、この期間、NHKは中国当局の指導を受けていたわけだ。この時点でNHKは報道機関としての資格をうしなったのだ。福田首相は靖国参拝拒否の理由として「人のいやがることはするもんじゃない。あなただってそうでしょう」といったが、NHKもどうやらそうらしい。
 そして中断後の最初の番組が2007年9月9日に放送された「民が官を訴える ~土地をめぐる攻防~」である。この番組の胡散臭さはブログに書いたとおりである。最大の「嘘」は土地を奪われた農民たちの暴動が各地で勃発し、死者も多数でているのに、そのことに触れずに市民たちの合法的(?)な裁判闘争を映していることだ。しかも、偶然撮影してあったという、指導者の逃亡生活の映像を使っているし、さらには特権的なカメラ位置から裁判所内の風景を撮すなど、とても「真実の報道」とは思えない。「冷静になろう、暴れるのやめよう」と仲間で話し合っているシーンは、どうみたって中国共産党の書いたシナリオどおりだろう。
 朝日の本田記者はなぜ騒がないのだろう。

「激流中国」(1)へ
2008.01.05[Sat] Post 23:49  CO:0  TB:0  NHK  Top▲

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