ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

松井冬子と検索

 松井冬子のページがyahoo検索の7位から突然消えて、四日後に11位に復活したことはすでに述べた。ところが、昨日は11位から12位に下がった。おそらくこのままヤフー検索から消えていくのではないか。というのも、先日NHKで、検索のランクから消された会社が、倒産しそうになって、Googleを訴えた事件を見たからである。なんでも、会社のホームページの検索ランクを上昇させるビジネスが繁盛しており、Googleの5位以内に入らなければほとんどクリックしてもらえない、15位以下はゼロに等しいというのだ。そのデンでいけば、遅かれ早かれART TOUCHは消える運命だったのだが、ランクの1ページ目から2ページ目に落とされたことが大きく影響したことは間違いない。ART TOUCHがネット・ビジネスだったら、わたしもヤフーを訴えたくなるだろう。しかし、幸いというか、松井冬子のページには私が死ぬまでに言っておきたいことは何も書いていない。あんなページは消えてかまわない。それに、「松井冬子」の検索でやってきた人たちは、美人の松井が見たいのであって、いきなり松井の悪口を読まされては迷惑だろうし、いわんや私の美術展評なんかに関心はないだろう。だから、ヤフー検索がART TOUCHの松井冬子を5位にランクしたことがあるのは、ヤフーの検索ロボットが無能だということなのだ。
 日本では、Yahoo検索がGoogle検索より利用者が多いらしいのだが、わたしのブログの松井冬子検索もヤフーがグーグルの4倍以上あった。ヤフーランクから消えてからは当然ゼロ、11位に復活しても、ほとんどゼロに近い状態がつづいた。その間グーグルは奇妙な動きをした。ヤフーから消えて、グーグルのランクが上がり始め、最終的には8位までになったのである。ところがヤフーランクが復活し、少しずつアクセスが増えるにしたがって、グーグルのランクが再び下がって、現在は17位なのだ。
 グーグルのランクの変化がヤフーの検索と関係があるのかどうか判らないが、随分と両者では検索ロボットの動きが違うようだ。もちろんSEO対策なんかとる気はないのだが、たとえば、『山口晃』のページは、Google84位で、Yahooは340位までにも入っていない。このページに書いた山口の『Lagrange Point』の作品分析は、絵画の現象学的分析として、まだ途中ではあるけれど、結構よく書けていると思うのだが、誰も読んでくれないらしい。検索ランクに上位表示されなければ「まったくのゼロ」なのだ。
 以前、ブログ「青い日記帳」に象徴される美術愛好家を批判したことがあるが、今回は、松井冬子に群がるグループについて書こうと思ったのだが、また、脱線してしまった。
 松井冬子現象は、どうやら、単純な美人画家の追っかけ騒動ではないらしい。ヨン様とは違うのだ。でも、わたしはやっぱり論じたくはない。かわりに、松井冬子に関する面白いブログを見つけたので紹介する。この人は、ネット世代の名文家ではないか。その文章といい、物事に対するスタンスといい、まったく、私が範とすべきブログである。そのブログへ
にほんブログ村 美術ブログへ
スポンサーサイト
2007.01.29[Mon] Post 00:34  CO:2  TB:0  -松井冬子  Top▲

大竹伸朗(4)

 『大竹伸朗全景展』のことを忘れているわけではない。約束どおり三回、見に行った。三回目は『網膜』シリーズを注意深く見てきた。ナディッフに『ヤバな午後』も見に行った。
 何度もこの展覧会を訪ねると言っていた浅田彰は、何度見に行ったのだろうか。ひょとしたら賢明な浅田は再訪しなかったのかも知れない。再訪したって、なにも新しいものは発見できないことを浅田は見抜いていたのではないか。だから、浅田はカタログの解説を断ったのであり、「いつの日か大竹伸朗を語るために」と、これからも大竹について論じることはないだろうと仄めかしているのだ。
 わたしが三度も東京都現代美術館に足を運んだのは、もちろん大竹伸朗に語るべき何かがありそうな気がしたからだが、回を重ねるごとに、説明しようのない失望感にとらわれ始めた。最初に感じた「こじんまりと纏めようとする」という表現はあまり的確ではないが、何処か中途半端なのである。それは抽象画にもインスタレーションにもドローイングにも感じられるのだが、三回目に『網膜』シリーズを注意深く見て、ますますそう感じた。決定的だったのは、最後に行ったナディッフのドローイング『ヤバな午後』だった。
 大竹にとってドローイングは特別な意味がある。その技術はホックニーに見せたぐらいだから自信があったにちがいない。画家がいかにも旅行中にサラサラと描いたような達者なスケッチもある。人物の後ろ姿をちょっと漫画風に描いたドローイングもある。『ヤバな午後』は誇張省略歪曲逸脱反復ヘタウマ何でも有りを巧みに纏めている。そして彼はそのドローイングをちぎった和紙で四隅にのり付けにする。何故そんなことをするのか、いかにも崩したような巧い絵が恥ずかしいのだろうか。
 ホックニーもデッサンを崩した時期はある。しかし、ちゃんとしたドローイングを捨ててはいない。魅力的な線を求め続けている。しかし、大竹はまるでそんな線に飽きてしまったかのように捨てる。次々と線が変わる。その辺のところがわからない。年代順にたしかめてみないとわからない。
 『網膜』シリーズも様々に変貌する。いろいろな試みをする。どれもがそれなりに纏まっている。しかし、いったい何をやりたいのか、一つ一つそれなりに纏まっているから、なおさらわからない。だから、見ているうちに飽きてくる。一回目は次々に目の前に現れる変化に見とれる。二回目は既視感。三回目は退屈。もちろんこれは誇張だけれど、とにかくカタログが手元に届いたら、しばらく眺めて頭の中を整理し、もしも、大竹の膨大な作品の一つでも理解が出来たら、報告する。
 曖昧ながら頭の中で、何かがブツブツ言っている。

にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.23[Tue] Post 23:45  CO:0  TB:1  -大竹伸朗  Top▲

松井冬子戻る

 お騒がせしました。松井冬子が11位でヤフー検索に戻って来ました。ロボットが道に迷っただけのようです。
2007.01.23[Tue] Post 21:15  CO:0  TB:0  -松井冬子  Top▲

「ART TOUCH」


「ART TOUCH」の改訂
いま、2006年の反省文を書いているところだが、早手回しに、ART TOUCHを改訂することにした。
 すでに、反古にされているのだが、五つの項目に分けて五段階で評価するのはやめる。ついでに総合評価の星もやめる。それから美術展評ではなく、基本的に現代美術の作家論にする。
 すでに、一部のブログの表題を展覧会の名前から作家の名前に変え、星は本文に移した。その方が記事一覧が見やすくなったと思う。作家論として纏められそうな記事は、逐次ホーム・ページの『絵画の現象学』に転載するつもりだ。
 それから、原則的につまらない作品をわざわざつまらないとは、いくら腹を立てても書かないことにする。ただし既成の大家は別だ。
 それから、著作権のある絵画の写真等は逐次削除していきたい。
 などなど、まだまだ改訂すべきところがあるが、今年は『ART@AGNES』の展覧会から始まったことだし、現代美術のギャラリー巡りを集中してやりたいと思っている。よろしく。

にほんブログ村 美術ブログへ 
 
2007.01.19[Fri] Post 16:31  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

高島野十郎(2)

だいぶ前に、三鷹市美術ギャラリーで開かれた高島野十郎展について書いた。
 あのときは随分と低い評価をしたけれど、『ART@AGNES』の若いアーティスト達の戦略戦術ばかり目立つ作品を見ていると、なにか高島野十郎に不当なことをしたように思えてくる。
 いったい画家はなぜ絵を描くのだろう。現今のアーティスト達は、村上隆ほど開き直らずとも、だれもが有名になり金儲けをしたいと戦略を練っている。そのことは、アダム・スミスのパン屋と同じように、当たり前のことで、村上のように、ことさら開き直ったような物言いがむしろおかしいぐらいだ。
 それはそれで良い。かって、画家は注文で仕事をした。そのうち注文がなくても、絵画市場で売り出すために仕事をした。そして、展覧会に出品するために仕事するようになった。このころから画家は気が狂い始めたのだ。富や名誉ではなく、真理のために絵を描くようになったのだ。セザンヌがそうだ。このころの画家はみな注文主なしで絵を描いた。マーケットで売るあてもなく描いた。しかし、自分の絵は世に認めて貰いたいと、仲間をつくり、展覧会を開いた。
 ところが、高島野十郎は何故絵を描くの分からない。真理のためかも知れない。しかし、その真理が分からない。写実の真理かも知れない。たしかに高島の絵は写実的だが、それなら写真の写実と何処が違うのか誰にも分からない。彼をよく知るものは西田哲学を持ち出して「絶対矛盾の自己同一」だとのたまうのだが、その真意は皆目わからない。
 いったい、高島はなぜ絵を描いたのだろう。田中一村もまた孤独の中で、そこにある物をそこにあるがままに描き続けた。しかし、一村には挫折の体験が有り、名誉に見放されたがゆえに名誉に背を向けた。真理に到達することだけが復讐だった。だから技法上の工夫もした。
 高島は約束された学者の将来を捨てて、ただひたすら絵を描いたのだ。何故だろう。そこにセザンヌやゴッホのような狂気はない。モダニストたちのオリジナリティー神話もない。技法上の工夫もなく、ただ、ひたすらのリアリズムだ。いったい、これほどの狂気があるだろうか。
 高島野十郎の絵は、「なぜ、ひとは絵を描くのか」の問いとして永遠に残るのかもしれない。

にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.18[Thu] Post 23:55  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

2006年回顧(1)

 遅ればせながら去年の私にとって重大な出来事を箇条書きにします。

1.「竜安寺糞喰らえ!」と口に出して言えたこと。中学三年の春に関西に行った修学旅行いらい、私を悩ませて来た「竜安寺体験」に決着をつけることが出来たこと。
2.上田高弘の『モダニストの物言い』に出会ったこと。これまで、いろいろな美術書を読んだがちんぷんかんぷんだったが、この本を読んで、グリーンバーグの言説が現象学的に読み直すことが出来るよう感じた。抽象画の面白さも少し分かってきたきがする。といっても依然としてわたしはiconodulistなのだが。
3.藤田嗣治を「凡庸な挿絵画家」といったんは書いたのだが、「偉大な」と書き換えてしまったこと。学芸員の蔵屋美香の解説文が支離滅裂だと思ったけれど、正直に書かなかったこと。戦争画が素晴らしいというのは、乳白色の肌が素晴らしいというのとおなじように馬鹿げていること。かれは、ただ、その状況にふさわしい挿絵をかいただけなのだ。戦争画も宗教画もおなじ挿絵なのだ。とにかく、自分の鑑賞眼がまんざらでもないとちょと自信が持てたこと。
4.和田事件に首を突っ込んだこと。お陰で美術界のいい加減さがわかったし、このブログの読者も増えたのだが、私の絵画理解にはあまり役にたたなかった。
5.松井冬子の美人騒動には本当に後悔しています。あれが政治運動だったことに気付かなかったわたしが悪い。そう言えば、あの松井の文章は、原理主義セクトの宣言文だったのですね。ナルホドね。
6.事実誤認があるといろいろなところから注意を受けたこと。反省しています。これからも、あると思いますが、そのときはどうぞお手柔らかに。

まだまだ、続きます。(1月19日)

にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.18[Thu] Post 22:56  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

松井冬子削除される

 喜ぶ人が多いだろうが、正月の十五日に、突然、わたしの松井冬子のページがYahoo検索のランクから消えた。それまで、長い間ひと桁の順位だったので、どうしてか分からない。他のページは二桁ながらランク・インしているのもあるので、どうも松井冬子のページだけ削除されたらしい。Googleは前と同じ順位だし、理由はわからない。
 わたしは松井冬子ウォッチャーではない。たまたま新日曜美術館を見て、ちょっとからかいたくなっただけだ。それが松井美人大合唱のなかで、美人で知性溢れる松井を、ブスだ無知だとなかばギャグ風に言ったら、なんてことだ、ギャグではなくて、正論と受け取られちゃった。ごめんなさい。
 私の駄文を読んで腹を立てたのは、どうも男性より女性の方らしく、それもブスだと言ったことより、知性を疑ったことがけしからん、それは女性差別のあらわれだというのだ。
 HATENAのブログに私を批判する大論文が、ポモ風キーワードと昭和風罵声をちりばめて載っているので、読んでみて下さい。向こうはリンクしているようですが、気持ちが悪いと言われているのでこちらからはリンクはしません。〈link:サーチ〉ですぐに見つかります。
 あの松井冬子の文が、文化相対主義的なジェンダー理論のバリエーションだと言うことぐらい察しはつくけど、察するだけで、理解はできない。理解できないんだから、中味の批判なんて余計にできない。ただ、日本語がおかしいよと言ってるだけなんだがなぁ。
 ひょっとして松井冬子は日本語を脱構築せんとするダダイストなのかしら。冗談です。ギャグです。
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-40.html#more
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-46.html
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-64.html


にほんブログ村 美術ブログへ 
 
 
2007.01.18[Thu] Post 16:56  CO:0  TB:0  -松井冬子  Top▲

黒田アキ

ART@AGNES で一番印象に残った作家は黒田アキである。  それはモリユウ・ギャラリー501号室の壁に立てかけてあった。白と黒の絵具を指で擦りつけ、引き延ばし、掻き回して、ウサギのようなキャラクターを描いている。はじめは、なぜ、そんなdrawingでもpaintingでもない、daubingしたような絵に惹き付けられたのか、自分でも解らなかった。  絵具を掻き回したところは、白髪一雄の足で描いた絵画に似ている。そこからキャラクターが現れるところはデ・クーニングの女の絵を思い出させる。しかし、黒田の絵には、二人にない緊張感がある。だから、こんな通俗的な技法で描かれたヘタウマのキャラクターに、自分でもまさかと思うのだが、強く惹かれるのだ。  もちろん「ヘタウマ」というのは、しりあがり寿のようなドローイングのことだろう。黒田の絵は、絵具の痕跡であって、ドローイングではない。しかし、その物質的な絵具は、白髪のように画家のアクションばかりではなく、擦れ、伸ばされ、混じり合って形が生まれてる。デ・クーニングの女のように、キャンバスも絵具も隠して、イリュージョンをつくりだすのではない。黒田の絵具は生のキャンバスに塗りつけられているので、ウサギのイリュージョンを生みながらも、絵具は、物質的な絵具のままキャンバスにこびり付いている。  剥き出しの生のキャンバスと絵具の塊と漫画的なキャラクターが、ちょっとない面白い争いをキャンバス上で展開しているのだ。それが、ひじょうな軽さを持って絵画表面で戯れている。しかも、絵の下の方に、お絵かきソフトのツールのように、白と黒の絵具を擦りつけたあとが四つ五つ並んでいるのが、バカバカしくって、嘘くさくて面白い。山内崇嗣も、余計なことだが、ちょっとこのあたりのユーモアを学んだらどうだろう。  とにかく、黒田のこの絵が、本当に素晴らしいのか自信が持てずに半信半疑のまま家に帰った。  黒田アキは、てっきり若い女性だとばかり思っていたのだが、翌日、ネットを調べると、なんと1944年生まれのパリ在住の世界的に評価も高い作家というのだ。  それなら、私の大袈裟な作品分析も間違いではないとおもうのだが、ただ、ほかの作品の写真を見ると、マチスの切り絵風の作品などがあって、一枚の近作でどうのこうのいうのは控えておきたい。2005年には五十年の画業を纏めた個展を京都で開催したというのだから、東京では黒田の作品を纏めて見る機会はおそらくもうないのではないか。残念である。  すくなくとも、手で描いた絵のシリーズはもういちど見てみたいものだ。
          黒田アキ(2)へつづく
 
  にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.17[Wed] Post 14:44  CO:0  TB:0  -黒田アキ  Top▲

ART@AGNES(2)

 他で見たことがある作家
 1.鴻池朋子 "mimio -Odyssey-"DVD版をテレビで流していた。DVDは確か60万円だったような気がするが、それじゃあんまりなので6万円の間違いかも知れない。でも、ただテレビで見るだけなら、何の変哲もないアニメじゃないか。それなら、ハリウッド映画の新作なみの値段で売るべきだろう。それとも限定版でエディション・ナンバーが付くのだろうか。デジタル複製時代にアニメを芸術作品として売るのはなかなか難しい。なにしろアウラゼロなんだから。
 2.名和晃平 原美術館の展示はそれなりに面白かったが、ここでは握り寿司をビーズで包んだもの《Pixcell-Toy-Sushi》宝石のように美しいが、つまらない。
 3.佐藤純也 《Picturegenic》のシリーズがバージョンアップしていた。
 4.富谷悦子 ダブル・イメージになっているのか、絵の中に絵を描いたエッチング、前にも言ったが、私には面白さがわからない。
 5.kaikaikiki タカノ綾もあった。 この一団は色彩が奇麗なので、このようなゴタゴタしたところでは、際立つ。見直した。これも村上のプロデューサーの才能か。   

 面白かったもの
1.hiromi yoshii 泉太郎と小金沢健人合作《泡顔タブ》はバスタブに何か分からないものを浮べ、ビデオプロジェクターで底の垢を掃除するような映像を投影していたのが、水の透明な厚みが奇妙なリアリティを持って美しい。そのほかにも、ビデオ映写があり、一人はボールペンを持って、もう一人は下の紙の方を動かして絵を描いていたのは、なにか絵と鉛筆の役割が逆転したような不思議な感覚。偉そうな画家をからかっているようにも思える。地下道で通行人に選挙の立候補者みたいに男が挨拶をしれいる。女房が頻りに笑っている。何故か、ちぐはぐな感じがして、面白い。男がアフレコで「こんにちは!」と言っていると女房は言う。わたしはしばらくアフレコだとは気付かなかった。パフォーマンスだけで終わってしまうのか、それとも一枚の傑作を描くのか、この二人には注目である。
2.BOICE PLANNING 《アグネス事変》が面白い。バス・ローブを着た20人ぐらいの男女がゾンビ風の動きをしているだけのパフォーマンス。部屋の照明が薄暗いので、寒々しい雰囲気もなく、ひとの顔がこれほど魅力的に見えたのは初めてでした。フリッツ・ラングの「M」を思い出した。褒めすぎた。
3.**画廊 大きな*号室。奥の寝室に美人画家の下絵が並べてあり、居間ではソファーに座って男二人がウィスキーの水割りを飲んでいる。モニターには美人画家のインタビュー番組の録画ビデオが流されている。そこに男が若い男を案内して入ってきた。正面の画廊主らしき男が立って、「それで芸大なの」と聞くと若い方の男が「はぁ」と答えている。男は細身のパンツを穿いて、黒い編み上げのショート・ブーツを履いている。わたしは、もう少し見ていたかったが、ちょっといやな気分になり、そのまま出てきた。今回のフェアで一番面白いパフォーマンスでした。
4.GALERIE SHO CONTEMPORARY ART ニール・タイトのガッシュ絵 イギリスの作家だそうだが、初めて聞く名前。検索しても出てこない。ちゃんと綴りをメモしてくればよかった。A4ぐらいの小品で100万円だそうです。一軒家を抽象的に描いた風景画。とても美しい絵だった。今回のフェアで場違いなほどまともな絵。公募展なら日本にもありそうな気がするが、どうか。売れていました。
5.黒田アキが素晴らしい。黒田アキのページ
にほんブログ村 美術ブログへ   
2007.01.16[Tue] Post 00:29  CO:0  TB:1  美術展評  Top▲

ART@AGNES(1)

 前日、一人で下見のつもりでART@AGNESへ行ったけれど、駐車場を探して神楽坂を行ったり来たりしたあげく、どこも満車で結局見ずに帰った。翌日は、少し遠かったけれど欲張らずに駐車した。ホテルまでの途中パーキングが三カ所あったけれど、どれも満車だった。なんか理由もなく得したような気分になった。
 ホテルには裏口から入るようにと誘導され、途中見上げると四階のベランダで、若い男が上半身裸でなにやらもぞもぞしている。それを見て、女房が、「あっ、アートだ」と言う。また、始まったと、「あれは、ホテルの客が朝の体操をしているのだ」と言ったものの、男のわざとらしい動きは、どう見たってパフォーマンスとしか思えない。結局、あとで山本現代の『男は黙って背中で語る』というパフォーマンスで、何やら踊っているよう見えたのは、自分の背中にクレヨンでイタズラ描きをしていたのだと判った。
 入り口で五百円の入場料を払って入った。美学生らしき若者でいっぱいで、IDカードを頸からぶら下げた関係者もたくさん廊下を歩いている。外国人もいる。狭いホテルの部屋がそれぞれ一つのギャラリーになっているので、客が入り口に溢れている。とにかく31室全部見るのは大変である。部屋はどれも似ているので、順番が判らなくなる。エレベーター・ホールといっても狭いコーナーに人が腰を下ろして休んでいる。熱心に部屋割りの紙に何やら書き込んでいる女がいる。廊下の真ん中でギャラリーの人だろう大きな声で立ち話をし、若い女性がキャッシュ・カードの機械を抱えて廊下を血相を変えて走っている。若い太った女が二人、部屋の真ん中で、突然、久しぶりだと言って抱き合って、ぴょんぴょんはね回っている。
 このフェアは今年で三回目で、一般に公開したのは初めてらしいのだが、とにかく、三十一の現代美術のギャラリーをいっか所で見られるのだから、500円の入場料は安いだろう。しかし、これだけの作品を次から次と見て行くのは、ちょっと疲れる。注意力が散漫になって、どれもこれも同じに見えてくる。一度どこかで見ているもの、知っているものに眼がいってしまうのはしかたない。プライスリストには随分と赤丸が付いていたが、こんな混乱の中でよく買い物が出来ると感心する。
 こういうときはあまり真面目に作品を見ない、向こうから迫ってくる作品を待つようにする。ノラリクラリが一番である。何が迫ってきたかは次回に書くとして、今回は、目下のニッポンの美術業界の雰囲気を知ろうと気軽にぶらぶらと散歩のつもりで見て回った。ギャラリーの世界は何か女郎屋に似ている。売れっ子を抱えている亭主は威張っている。そして、だれもが、とんでもない玉で客を騙そうとしている。そろそろ日本も美術バブルの兆しが現れたのかも知れない。注意しよう。
にほんブログ村 美術ブログへ
2007.01.15[Mon] Post 13:13  CO:0  TB:0  美術展評  Top▲

山内崇嗣

 山内崇嗣展(東京オペラシティ)★★★☆

 東京オペラシティの展覧会にはいつも新しい発見がある。といっても、私が無知なだけなのだが、たとえば、『シュテファン・バルケンホール展』を見るために、初めて此処に来たとき、収蔵品展で相笠昌義を知った。アーティストではないまっとうな絵描きに久しぶりに出会ったような気がした。
 収蔵品展と一緒に、新人を紹介する展示〈project N〉が、毎回、四階のコリドールで開かれている。山内崇嗣で27人目だというのだから、随分と息のながい企画であるが、見ている人はあまりいない。そのことをギャラリー側は知っているのだろう、切符売り場でも、3階の企画展の入り口でも、特に4階の収蔵品展の入り口では、〈project N〉もご覧下さいと念を押すのだが、なにしろ廊下(コリドール)だから誰もがすたすた通り過ぎていく。そう言うわたしも実は見なかったのだが、前回の『インゴ・マウラー展』のとき初めて〈project N〉をまじまじと見た。
 そのときの山川勝彦の『光を描く』は、傑作とは言えないけれど、作家がが何をしたいのか、分からないではなかったので山川の名前と一緒に〈project N〉が記憶に残った。
 そういうことがあったので、今回は建築の『伊東豊雄展』よりも、女房には内緒だが、ひそかに〈project N〉を見るのを楽しみにしていた。

▽この記事の続きを読む?

2007.01.06[Sat] Post 22:50  CO:0  TB:1  -山内崇嗣  Top▲

鈴木啓太

鈴木啓太『CHORD』(gallery.sora.)★★☆  どんな訳で、こんなギャラリーにやってきたのか自分でもよくわからない。「NEW favorite」という現代美術のギャラリー案内のパンフレットを見てやってきた。中央区というのは辺鄙なところで、なにもそれらしきものがない不思議な街だ。第一、〈sora〉なんていう名前が怪しい。  車のナビで近くまで行き、女房が車から降りて場所を探した。例によって、一向に探し当てることができない。目の前の電信柱には、ギャラリーがあるはずの所番地がかいてある。それでも、ギャラリーらしきものはどこにもないと、女房はその一角を行ったり来たりしている。車を止めた横が空き地で、そこに接したビルにgalleryがあるはずだ。しかし、どこにもギャラリーの名前がないという。上の階かもしれない。中に入って、確かめろという。少し経って出てきた女房は、確かにgallery.sora.があったけれど、なにも展示してない。女の人に開始は2時だと言われたと言う。でも、2時まであと10分しかないのに壁には何も架かっていないし、何かちょっと不思議である。  見るのをやめて帰ろうかとも思ったが、今回は、『NEW favorite』に載っているギャラリーはみんな見てやろうという意気込みなので、少し待つことにした。  近くに駐車場がないので、私がまず行って、面白かったら交替するということにした。ギャラリーの方に歩いていくと、女性が出てきて、始まったという。中は薄暗く、ビデオが上映されていた。

▽この記事の続きを読む?

2007.01.03[Wed] Post 00:52  CO:0  TB:0  -鈴木啓太  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。