ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

ゴジラとイチロー

鷲田康が週刊文春(2010/01/07)に『イチローと松井秀喜「訣別」の真相 』という記事を書いている。

ニョウボは松井ファンのイチロー嫌いだ。去年の松井は膝の故障で活躍できなかったけれど、ワールド・シリーズでMVPを獲得したのでニョウボは大喜びである。上京のおりにはどうやら駅の売店でスポーツ紙を買って御殿場線の中で読んでいたらしい。白髪の老婆が御殿場線でスポーツ新聞を読んでいるなんて不気味だ。『阿房列車』の愛読者がなんてことだ。

松井が表紙になっているからと言って『Number』の741号をアマゾンで買ったけれど特集号ではない、写真が少ないと怒っていた。週刊文春は新聞の広告を見て買ってきた。

長島が引退して以来プロ野球に関心がないけれど、イチローが天才の変わり者だと言うことぐらいはしっている。だから、大リーグに入っても日本から遠路はるばる取材に行っている記者のインタービューにまともに答えないと聞いても、ニョウボのようにとくにイチロー嫌いにもならなかった。

ところがイチローがたんなる変わり者ではないと思うようになった。それはヤンキースに入団した松井秀喜の人気が高まり、インタービューに丁寧に答える松井を見て、イチローが急に態度を変えたからだ。新聞記事になりそうなことを喋るようになった。あれほど嫌っていた日本のプロ野球ファンにリップ・サービスをするようになった。イヤな奴である。

そのころからイチローは大リーグ引退後に日本のプロ野球界のボスになる野望を抱き始めたのだろう。幸い、松井は日本球界とは縁が切れている。かわりに俺がボスになる。天才だものイチローにはそのぐらいの資格はある。そのことは勝手にやればいい。松井をおとしめてまでやるのはやっぱり卑劣ではないか。

週刊文春の鷲田康の記事によれば、05年のシーズン終盤に共通の知人をかいしてイチローから松井に「この大会(WBC)が本当に世界一を決めるものなのか、不透明な部分が多いし、簡単に参加を決めない方がいい。少なくとも出場するかどうかは、二人で歩調を合わせて決めよう」と言うメッセージが届く。このメッセージのことは知らないが、当時イチローははっきりとしない態度を取っていた。松井の方はあきらかに大リーグのレギュラーシーズン第一で、WBCは出たくないという雰囲気だった。

結局はイチローは出場し、松井は辞退した。そしてイチローはキューバ決勝前夜、王監督主催の決起集会で、「出なかったヤツらを見返してやろうぜ!」と異様なハイテンションで叫んだそうだ。もちろん松井にたいする当てこすりだろう。松井はそれ以来チームが対戦するときにイチローに挨拶にいかなくなった。

松井はジャイアンツとは縁を切っている。大リーグに行くとき渡辺社長とは喧嘩している。多摩川では練習をしない。背番号55は大田に譲られた。それに比べ、イチローは渡辺社長にすり寄った。WBCで韓国に敵意をむき出しにして、日の丸を掲げた。そして今回の「ジャイアンツ球場で自主トレ」の報道である。若手選手のコーチまで頼まれたという。

ひとつ分からないことがあった。星野仙一が第2回WBCの監督の第一候補になったとき、イチローが「WBCはオリンピックのリベンジの場ではない」と言って、事実上星野案を潰したことだ。たしか星野は将来はジャイアンツの監督という含みで、渡辺社長が強くWBCの監督に推していたのではなかったか。

しかし、これで理由が分かった。星野監督案は潰したけれど、かわりに原が監督になっている。だから、渡辺社長の機嫌をそこねることはなかったのだ。イチローはおそらく全日本の候補選手の星野嫌いを知ってあのような発言をしたのだろう。それで若手の信望も得て、すべてがうまくいったのだ。星野と松井を追い落とし、ジャイアンツ球場で若手を指導してイチローにはもはや敵なしである。テレビは連日イチローのはしゃいでいる様子を伝えている。唯一のリスク要因は渡辺社長の寿命だろう。

いま、隣の部屋でネットを見ているニョウボが何か言っている。なんでも、イチロウーが松井の打席でマウンドに立たしてもらうようにワカマツ監督に打診したらしい。この発言を記者に伝えられた松井は、「僕もイチローさんの打席でマウンドに立ちたいです」と答えたそうだ。どうやらこの勝負はイチローの勝ちのようだ。

いま、イチローはもう一人の一郎と同じように絶頂にある。だれも止めることはできない。

スポンサーサイト
2010.01.08[Fri] Post 17:40  CO:2  TB:1  ニョウボ  Top▲

『アーティスト・ファイル2009』(国立新美術館)

津上みゆきの名前は2ちゃんねるの「山田正亮問題」の板で知った。国立新美術館の『アーティスト・ファイル』に名前を見つけたが、都合がつかなくて行けなくなった。にょうぼが東京へ行くついでに見てきてもらった。

津上の作品を見て、目黒美術館の『丸山直文---後ろの正面』展を思い出したそうだ。綿布の白っぽい感じが似ていると。膠と顔料、それにアクリルを綿布に染みこませるメディウムのおもしろさはある。パネルに張った綿布に膠を使えば、アクリルを水で溶くより滲みは少なくなる。

しかし、風景からインスピレーションを得ているというわりに、表面のメディウムと空間のイリュージョンの緊張はそれほど感じられなかったという。

写真や立体作品はカタログだけで、作者の意図が推測できるけれど、絵画なかんずく抽象画は実際に見ないとハッキリしたことは言えない。ひとまず、にょうぼの目は信じるほかない。以下、彼女の感想文だ。



*     *     *



『ARTIST FILE 2009』を見るために国立新美術館へ行く。せっかく65歳になったのに特典はなく入場料は娘と同様千円。不満。

最初の展示室で大平實の大きな作品を見る。昔、大工さんが家を建てるときのちょうなの木くず、そんなものが材料となっている。その木くずを同じ方向に並べてさしこみ、方向を変えてまた別の面に差し込んでいる。鳥の羽に似ているようで、それにしては不揃いで、魚の鱗に似ているかなと思ってもよけいにでこぼこ不揃いである。あるいはまた民族工芸のようにも見える。「地上の雲」は両端に穴があいている。わたしがこちらから覗くと、あちらの穴から娘が顔を出して、あかんべーをしてよろこんでいる。娘に似合っている作品でした。

石川氏の作品はなんの技法も加えない素直な写真で、だからますます写真とはいったい何なんだろうと思いながら、さっさとこの展示室は通り過ぎる。

次の金田氏の作品。これにはなんの意味があるのかな、と題を見ると、ちゃんと書いてありました。「悔やみを固める」「インヂィアン・イエローは手についた花粉の色」「夜が少しずつ降りる」など。題を見ると、なーるほどと納得したから、大急ぎで次ぎへ。

村井進吾氏。やはりアートは配置が大切なんだろうなーと感心しました。

齋藤芽生氏の作品は目をつぶってパス。(カタログを売っている横でおみくじも販売していました)

津上みゆき氏の部屋に入ると、同じサイズの作品がずらりと並んで展示されている。その色彩になぜかほっとしました。でも、これって、単品で見てそれでもほっとさせる作品かどうかな、と考えてしまう。どうせ購入するなら、まとめて全部お買い上げのほうがいいかも。重なった色も滲んだ色もおおげさではなく、淡いやさしさもあるけど、しっかりとしているから、だまされたという感じもなく。作品のもとになるものは風景画だときけば、なるほどと思わないわけではない。ガラスケースに後生大事にスケッチブックが展示してあるのにはちょっと文句をつけたくはなったけど。
(会田誠氏が抽象画の描き方を知りたいなら、これは参考になるかも)

宮永愛子氏の作品には昭和のたんすに思い出をそっと詰めてあるのかな?  娘が興味を持ったのだから、やはりこれは「隣のトトロ」系かな。娘は携帯で写真を撮って叱らました。 「消せとは言われなかったよ」と。なんで写真を撮ることがそんなにいけないことだと言われるのかという疑問はないようです。ほんと、なんでだめなの? 著作権だ、なんだと、ともかくうるさい世の中ですね。さすがの娘もおみくじは引きませんでした。幸いです。


以上
2009.05.02[Sat] Post 16:30  CO:0  TB:0  ニョウボ  Top▲

『篤姫』

テレビドラマはほとんど見ない。NHKの大河ドラマと連続テレビ小説は、自慢じゃないが、見たことがない。それがどういう訳か『篤姫』を何回か続けて見た。幕末のことを知っておくのも悪くないと思って、ちかごろつまらない『新日曜美術館』のかわりにみた。これがなかなかおもしろいのだ。何がって、篤姫(宮崎あおい)が強いところがいい。それと家定役の俳優堺雅人のうつけの演技がなかなかよろしい。

ところが、ニョウボは「うつけ」とは何だと訊く。ニョウボはわたしと一つ違いだ。それなら「うつけ」ばかりか「たわけ」も「しれもの」もしっているはずだが、しらないという。たぶん、女の子と男の子は遊びが違うし、読む本などもちがったからだろう。たぶん東映映画も見ていないのだ。チャンバラをしていれば、この言葉は使ったことがあるはずだ。

それはともかく、まずいことに、『篤姫』の脚本が田淵久美子で、それを知ったニョウボが『篤姫』なんか見ないというのだ。なんでも、田淵久美子のシナリオ講座に出席したときのこと、「わたしはNHKとしか仕事をしないの」といって、自慢話をえんえんと聞かされたらしい。それに、かきなおしでホテルに缶詰だといって、講座に欠席ばかりする。出てくると大きなルイ・ヴィトンのバッグを事務員に運ばせて、あごで「そこにおいて」と言ったという。まるでテレビドラマだ。そのとき書いていたシナリオが小泉今日子が主演した『夫についての情報・病に倒れ意識不明の夫の生還を待つ妻が知った夫の真実』(芸術祭参加)だったのではないか。

そのころNHKのインタービュー番組に田淵久美子氏が出ていたが、ずいぶんと肌を見せた薄もののドレスを着て、きゃぴきゃぴと若い娘のように振る舞っていたが、ついに大河ドラマの脚本を書くまでに出世したのは喜ばしいことだ。ニョウボは見なくたってわたしはしばらく『篤姫』見るつもりだ。

家定がハリスとの接見で、歌舞伎の見得を切ったのを、将軍が能ならわかるが、庶民の芸能である歌舞伎はおかしいと、小谷野敦が指摘しているのはもっともである。NHKがもちろんチェックしているのだろうから、時代考証よりも視聴率を重視するNHKの方針のためだろう。薩摩時代の幼なじみとの初恋は見ていて恥ずかしくなったが、江戸に来ての家定とのやりとりはなかなかよくできたトレンディ・ドラマだ。しかし、家定亡きあとの篤姫の魅力がどうなるやら、田淵久美子のお手並み拝見である。期待しています。

2008.06.17[Tue] Post 17:15  CO:0  TB:0  ニョウボ  Top▲

「先生、僕に『絵画』を教えてください!」

以下、ニョウボが書いたものです。前回の池田満寿夫とちがって、今回は好きな会田誠についてです。

会田誠の作品は楽しい。理解ができるように思えるし、絵がしっかりしていて安心してみることができる。複雑に見える理論もなさそうだし、そのときの気分という無責任さもないし、なにかを他人に訴えようとするつもりもなさそうだし、正直そうだし。子供の時の絵だといって展示してある絵は、実はすでに中年の自分が描いているのに、まるで疑わせないからすごい。大人が子供の絵のまねをしてもできないのが普通なのに、それができてしまう。と言うことは、そのまんまなのかなー、とも思う。小学校時代にわたしの一番きらいだった教科書の表紙、それが「書道教室」だったから、あの作品を見たとき、悲鳴をあげて喜んだ。作者がなにを思ってあの作品を描いたかは知らないが、それは私には関係ない。そして、あのどうしようもない会田誠氏の ”抽象画”を見たときはまさかと思い目が丸くなった。横にあるキャプションを読んでホッとした。そして、今回、「美術手帳」五月号「先生、僕に『絵画』を教えてください」 を読んだのだ。

ほんとうは岡崎乾二郎に先生になってほしかったがことわられ、中村一美、松浦寿夫さんと断られたと言っているのだが、、、、ほんとかなー。あんだけからかった後に、まともに面と向かってお話ができる? それだけ度胸がある?
彦坂氏は会田氏を「謙虚な人」と言っているから楽ちんかなーと読んでいくと、ところがどっこい、彦坂氏の言うことは納得できずに冷や汗をかき、話を続けられずに、そこにボケの古谷氏のさらにピントはずれに当惑して、それでも辰野氏に危うく救われて、結局はなーんにも求めるものは得られないまま講義は終わったような感じですね。
なおも苦しく四人でお絵かきをして、はいごくろうさまでした。

で、いったい会田氏はなにをしたかったのかなー。やっぱり人間は生きていくためにその世界の人々のご機嫌をとる必要性を感じたのかしら。そのへんになると会田氏はわからない。でも、「セザンヌは結局、何者なんですか?」の一言でやっぱりと思うのだ。「なぜあんなに(批評の)言葉がついてくるのかがわからない」のです。 やはり会田誠は誠実な人なのかなー。
                               
2008.06.13[Fri] Post 23:48  CO:2  TB:0  ニョウボ  Top▲

池田満寿夫

以下、ニョウボが書いたものです。不穏当な表現があったので一部訂正削除しました。
 これからも登場する予定です。よろしくお願い致します。なお、プロフィールの画像はニョウボのエッチングに差し替えました。

*        *        *

 《池田満寿夫-知られざる全貌展》☆

 池田満寿夫の「知られざる全貌展」を東京オペラシティーアートギャラリーで見た。もともと気が進まなかったのだが、銅版画の勉強のためにと思って見に行った。でも、ギャラリーに入った途端、落ち着かない気分になった。ぐるりと一回りしたが、どれもが誰かの作品に似ている。まだ二十歳まえの習作からして誰かに似ている。それが版画になってからも変わらない。相変わらず誰かに似ている。どこかピカソ的で、どこかクレーのようで、そしてヤンセン、アンディー・ウォーホール、リキテンシュタインなどに似た色、線、構図がある。そしてしばらくしてから思うのだ。ピカソはこんなはずがない。クレーはまさかこんなではないと。
 頭が混乱してくる。ピカソ的な作品の前に立ちじっと見ていると、そこにはピカソではなく、ただの少し器用な作品が現れてくる。これは模倣でもパロディでもない。ちゃんと池田満寿夫の作品になっている。だからなおさらイライラ落ち着かない。すべての作品でこのようなことが繰り返される。ともかく見終わったけれど、やれやれすっかりクタビレてしまった。
 カタログを買って、解説をよんでみた。池田満寿夫は多くの画家の影響を受けてきたとある。「ポップ・アートのモチーフを盗用しながらもモチーフを料理し、動物や鳥、虫などと同じように擬人化しているのである。 それは、必然的に、画面に・・・・」という解説を読んで納得した。池田はたぶんピカソやクレーをポップ・アートとして盗用したのだ。だから、ピカソやクレーがやろうとしたこととは関係なく、表面的なデザインだけを似せている。見ていてやっぱり落ち着かない。
 もちろん池田は誰の模倣か公言している。それは、自分なりのオリジナルな味付けに自信があるからだ。ピカソを真似してもヤンセンを真似してもリキテンシュタインを真似しても、やっぱり池田満寿夫のおしゃれな感覚はそこにある。だから、わたしは苛つくのだ。こんなのって文学仲間のサロン芸術だ。

*        *        * 

 ニョウボはどうしても星ゼロだと主張するのだが、それじゃあんまりだから星半分にしておきます。
 なにしろ彼女は気持ちが悪い吐き気がするとまでいうのだ。いったい君は藤枝晃雄か!
 私は、星二つ半★★☆でーす。ニョウボは少し池田満寿夫に学んだほうがいいと思う。
2008.03.15[Sat] Post 15:01  CO:0  TB:0  ニョウボ  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。