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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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グリンピースが窃盗

「日本が南極海で行っている調査捕鯨で捕られた鯨肉の一部を乗組員が大量に持ち出している疑いがあることが明らかになった。環境NGO「グリーンピース(GP)・ジャパン」が、乗組員の自宅に発送された段ボール箱に鯨肉が入っていたことが確認できたとして、15日、乗組員らを業務上横領の疑いで東京地検に告発する。」(asahi.com5/15)

なんでも、グリーンピースが証拠品だといっているのは、西濃運輸青森支店から盗んだものらしい。しかも、その盗品を証拠品として検察庁に運び込んだというのだ。不正に入手したものは証拠にならないということはともかくとして、船員が自宅に鯨肉を送ったということだけでなぜ横領になるのかわからない。

窃盗行為も「横領を告発するための行為で違法性はない」とグリーンピースの弁護士は言っているらしいが、まさかそんなことを本当に信じているわけではないだろう。そうではなくて、これはシー・シェパードのテロ行為の場合と同じように、欧米の世論が味方してくれるから、自分たちを逮捕できないだろうとたかをくくっているのだ。

それより気になったことがある。グリーンピースが記者会見したあと、すぐに、水産庁遠洋課の高屋繁樹課長補佐が『大量に持ち帰ったとすれば商売と疑われても仕方がない。土産も無料でということはあり得ない」(太字安積asahi.com)と話していることだ。

なぜ、いつものように官僚的に答弁しなかったのか。水産庁は調査捕鯨が商業捕鯨だと思われることを何よりもおそれているから、こんなことを反射的に言ってしまったのだ。そもそも商業捕鯨なのに調査捕鯨というからおかしなことになるのだ。商業捕鯨なら、漁船員が有料あるいは賃金の一部として鯨肉を分けて貰うのに何の不都合もない。捕鯨の船員が土産として鯨肉をもらうのは昔からの慣習であり、それ自体は問題ではない。それを売って金儲けをすることにも問題はない。

ところが調査捕鯨は天下り利権であって税金が投入されているのだ。鯨類研究所が捕鯨会社に発注しているのだから、たぶん捕獲した鯨肉の管理もずさんなものになるおそれは十分にある。そして、従業員が会社に黙って商品を持ち出したとするなら、それはグリーンピースのいうように横領になる。もちろんこれは反捕鯨とは何の関係もないし、グリーンピースが窃盗犯であることに変わりはないが。

もう一つは荷物を盗まれた西濃運輸の責任である。以前から配送会社の荷物の管理が杜撰なのが気になってた。配送車の扉を開けたまま運転手は車を離れるし、配送所に行くと、荷物がそこら中に置きっぱなしになっている。これでは盗もうと思えばいつでも盗める。西濃はグリーンピースを告訴したというが、そんなひとのせいにすることではすまないだろう。

ネットの情報流出が話題になるが、物流とネットは別々に考えることはできない。今回の事件も一種の情報流出であり、その象徴的意味はいがいと大きいのではないか。

西濃にはいちどひどい目にあっているので、通信販売で注文するときは配送会社をできる限りチェックしている。










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2008.05.17[Sat] Post 15:45  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

多文化主義と反捕鯨

 
  『プリズム:オーストラリア現代美術展』(ブリジストン美術館)2006年10月~12月

   『白豪主義者の偽善』の記事を書いたあと、このオーストラリア現代美術展のことを思い出した。
 ブリジストン美術館に所蔵品のジャコメッティを見に行ったついでに、企画展の『オーストラリア現代美術展』を見た。なにか焦点の定まらないぼんやりとした展示で、気味の悪いピッチニー二の小動物などをちらちら見て、足早に外に出た。ただのつまらない展覧会というだけなのに、ニョウボはしきりに不愉快だったという。なんでも、つまらない民族芸術を現代芸術だと褒めるのは、アボリジニを馬鹿にしているというのだ。

 馬鹿にしているかどうか判らないが、あらためて、この展覧会を企画した『日豪交流年』のホーム・ページをみると、この展覧会がずいぶんと政治的なショーだと言うことが判る。以下ホームページから引用する。

「オーストラリアを代表する35人の現代アーティストのプリズムを通して、オーストラリアにおける多様性と視点の豊かさをご紹介する現代美術展。一見とても奇抜で、何故このような表現がされているのかすぐには了解できないような現代美術の最前線様々な文化的背景を持つアーティスト達の作品から、新しいオーストラリアを発見して下さい。
 テーマは「アイデンティティー」、キーワードは「プリズム」。イマンツ・ティラーズ、パトリシア・ピッチニーニなど、国際的にとても高い評価を受けている作家達の、新作2点を含む約73作品が一堂に会する大変貴重な機会です。多様な視点から過去を振り返り、現在を語り、未来を思うこれら作家達は、その想いを絵画、写真、彫刻、DVDといった媒体に託して私達に何を語ろうとしているのでしょうか。」(太字は安積)

 多文化主義というのだろう、アポリジニという言葉は使っていないが、ナチの「退廃芸術展」と同じように、これは政治的な意図をもった展覧会なのだ。

 同じ頃、ニュージーランド大使館の後援で『マーオリ-楽園の神々-』(東京国立博物館)展が行われていたが、こちらは民俗学的な視点から展示されていて(なかには署名入りの新しい作品も並べられていたが)、多文化主義的PCの主張は感じられなかった。おそらく、オーストラリアとニュージーランドでは、人種問題の事情が違っているのだろう。

 いずれにしろ、オーストラリア政府は自分たちがかって犯した人種差別を許してもらおうと、とるに足りない装飾芸術を、かって弾圧した先住民の文化だからといって、現代美術の列に加えてもてはやしている。これは、人種差別を是正するために、さらに人種差別を重ねることにならないか。

 多文化主義は、『アフリカ・リミックス展』『カルティエ現代美術財団コレクション展』でも見たように、かならずしも異文化への寛容的態度を意味するものではなく、ただ自国の人種政策の失敗を糊塗するためでしかないようにも思える。

 この展覧会は日豪友好協力基本条約(1976年)の締結30周年を記念する『日豪交流年』の行事の一環として行われたものにもかかわらず、豪政府は自国のことばかり主張して、相手国の食文化にたいして一顧だにしないという人種差別まるだしの態度なのだ。もし彼らがほんとうに人種差別を反省しているなら、アボリジニのハンティングを思い出させるような、あんなビールのコマーシャルや、テレビ番組のジョークはやらないだろう。いったい、外務省は、こんな一方的な日豪の友好のためにいくら使ったのか。

 話が脱線したが、わたしが言いたいことは、多文化主義を持ち出して、つまらない民芸品や模様をアートだというのは、もう、やめにしようということだ。
2008.03.17[Mon] Post 20:43  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

捕鯨と外務省

捕鯨問題がますます訳が分らなくなっている。訳が分るのだが、みんな誤魔化されている。捕鯨問題の根本は日本鯨類研究所他の天下り利権の問題なのだ。水産庁の役人が自分たちの利権を確保するために反捕鯨テロを利用しているのだ。
 シーシェパードのテロは水産庁の仕組んだものだという珍説を述べておいたが、これは珍説ではなく、真説だということが判ってきた。水産庁の思い通りにことが運んでいる。おそらく彼らは祝杯を挙げていることだろう。天下り利権は当分安泰だ。

 外務省はアフリカやアジアなど12カ国を招き、捕鯨への支持拡大を訴えるセミナーを都内で開いて、鯨が増えすぎると魚類が減少すると主張したらしいが、これは日鯨研の戦術そのままだ。小野寺外務副大臣は科学的見地から冷静に議論すべきだと訴えたたらしい。こんなことをしても、また、金で発展途上国の票を集めているといわれるだけだ。反捕鯨運動が人種差別と結びついていることを自覚しているのだろうか。役人たちの利権構造を守るために協力しあっているだけではないか。

 アフリカアジアの国を招き会議を開くのが、大東亜戦争から続いている人種差別との戦い(ちょっと大げさW)だと自覚しているならいいのだが、外務省にそんな自覚があるはずもない。それは駐豪日本大使の山田さんが豪州テレビの突撃インタビューの差別的ジョークに何の反論もしなかったことでもあきらかだろう。従軍慰安婦問題は言わずもがなである。

 とにかくシー・シェパードは水産庁の罠にハマッタようだ。日本の官僚マフィアの陰謀には気をつけましょうね!
2008.03.04[Tue] Post 13:35  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

庖丁解鯨

3.5インチのフロッピーを整理していたら、鯨のことを書いたエッセイが出てきた。世間は、今頃、くじらのことで騒いでいるが、僕なんて十年前にすでに鯨を懐かしむ文を書いていたのだ。これは某雑誌に持ち込んで断られものだ。懐かしいので、縦書きを横書きにして、そのままここに載せる。

   *    *   *


 夏の土用の昼下がり、魚屋に鰻を買いにいった。
 わざわざ自転車の乗って、子供の頃に遊んだ商店街に買いに行ったのだけれど、二軒ある魚屋のどちらにも鰻は売っていなかった。解凍した魚や干物が並べてあるだけで、魚屋はひっそりと静まりかえっている。
 帰りにスーパーに寄ると、輸入ものの鰻を山のように積み上げ、土用丑の日の幟を立て、売り子が大きな声で客を集めていた。長焼きというらしいが、串に刺していない長いままの蒲焼きの巨大な山を見たら、とたんに食欲がなくなり、スーパーを出た。途中、蕎麦屋でビールを飲んで、そのまま鰻を買わずに家に帰った。
 むかしは夏の土用ともなると、魚屋が、店先に大きな俎板を出し、鰻をさばいて、蒲焼用の串刺しにしていたが、それを見ていると飽きるということがなかった。
 ウナギを樽から掴み出し、目打ちをし、背を開いて、骨を取り、内臓をこすり取って頭を落としてと、まるで踊るが如く見事にウナギが串刺しにされてしまうと、鰻が漫画のようにニョロリと逃げださなかったことに、ちょっとがっかりするのだが、それより魚屋の巧みな庖丁捌きに感嘆し、また次のウナギが樽から掴み出されるのを胸をドキドキさせながら見てしまうのだ。
 荘子に庖丁解牛の話がある。料理人の丁が牛を解体するのを見て、文恵君がその技に感心したという話だが、その最初の部分を岩波文庫から引用する。

  庖丁が、文恵君のために牛を料理したことがあった。手でさわり、肩を寄せ、足を ふんばり、膝立てをする彼のしぐさのたびに、さくさくばりばりと音がたち、牛刀の動きにつれてざくりざくりと響きわたる、それがみな音律にかなって快よく、〔殷の湯王の時の名曲〕桑林の舞曲にも調和すれば、また〔堯の時の名曲〕経首の音節にもかなっていた。(金谷治訳)

 庖丁の動きは舞うようであり、牛刀の切る音は古い名曲の調べのように美しいというのだ。
 庖丁が、自分の好む所のものは道なり、技よりも進ると、近頃の料理人のような自慢をするのは愛嬌として、文恵君が庖丁の技に感嘆したのは、わたしが魚屋の技に感心したのと同じことだろう。
 牛は鰻より大きいというなら、牛よりもっと大きいものを見たことがある。小学生のとき神田の交通博物館に見学にいったのだけれど、そのとき映写室で見せられた科学映画が南氷洋の捕鯨船団の記録映画で、その中にシロナガス鯨を解体するシーンがあったのだ。
 シロナガス鯨は地上最大の動物で、荘子の開巻劈頭に出てくる数千里もあるという魚の鯤にはかなわないにしても、牛と比べれば、百倍も大きい。
 船尾から引き上げられたシロナガス鯨が白い腹を見せている。甲板がそのまま俎板だ。薙刀のような庖丁を鯨の腹にあて、一気に走って腹を縦に切り裂くと、白い脂肪層がぱくりと口を開き、そこをすかさず別の庖丁人が横に切れ目を入れてから、脂肪と肉の境目に庖丁を滑り込ませれば、厚い脂肪層がまるで寒天のようにふるえながら、撓みながら甲板に倒れ落ちていく。
 これは日本の古くからのいさなどりの技を受け継ぐものだろう。ほんの数秒か数十秒のシーンだったけれど、わたしは息を呑んで、画面を見つめた。あまりに感動したので、そのことは秘密にして誰にも言わなかった。動物を切り刻むのを見て、恍惚となるなんてひどく悪いことのような気がしたからだ。
 しかし、庖丁さばきや料理するのを見て楽しむのは、何もわたしだけの秘密の楽しみではない。
 源氏物語の常夏の巻に、夏の暑い日に釣殿で夕涼みしながら、桂川でとれた鮎などを目の前で調理させ、それを眺めながら酒宴を催すところがあるし、徒然草には、百日の鯉を切って修練をしたという庖丁者、園の別当入道の庖丁術をみんなが見たがる話もある。
 庖丁式ならテレビの正月番組で見たことがある。座敷に大きな俎板を置き、鯉を料理したのだけれど、まず、儀式ばった仕草で俎板の前に座り、着ている物のあちこちを引っ張り、手を挙げたり広げたり俎板に載せたりと忙しく、やっと庖丁を握ったのでやれやれこれで始まると思えば、こんどはその長い庖丁とこれも火箸のように長い箸をあちらに置いたりこちらに置いたり、ひっくり返したり、はては半紙を二枚に切ったりと肝心の鯉はなかなか切らないで、こんなに前置きが長いのだからきっと目にも鮮やかな庖丁さばきを見せてくれると期待させるが、結局、最後までぎょうぎょうしいままに、鯉をおろすというより、ぶつ切りにして、俎板のうえに何かのお呪いのように並べたのには呆れ返った。
  始めから終わりまで一度も鯉に手を触れないのは手柄といえば手柄だが、料理はいつだってリズムであり、音である。わたしが見たいのは、てきぱきと仕事を片づける職人技であって、芸道の奥義ではない。
 板前の役をするとき、自分の愛用の庖丁を持ってスタジオ入りするという俳優をテレビで見たことがある。その俳優は、魚の横腹をぺたぺたと二・三度叩き、鰓を人差指で開いて、そこへ庖丁をまごまごと入れていた。
 なぜ、ディレクターは必要でもない庖丁の場面を入れたのか、いれるなら、ピアノの場面ように代役を使えばいいものを、庖丁なら下手でも、ばれないと思ったのだろうか
 料理番組はときどき見る。とくべつおいしいものを食べたいわけではなく、料理人の手際の良さを楽しむために見るのだけれど、近頃の料理番組は、あらかじめ切って置いたもの、煮て置いたものを使う。料理するというより、料理の手順を説明をするだけで、一向に楽しめない。
 ほかにも、タレントがB級グルメの店屋ものに挑戦するショー番組や、男性文化人が自慢の料理を作り、それを友人知人と食べながら、食文化や芸術について語るという教養番組もある。もっとひどいのになると、街角で若者を捕まえ、むりやり料理を作らせて、その無知を笑って楽しむという番組まである。
 だから、二人の料理人が腕を競う「料理の鉄人」が始まったときは、さっそく、酒とつまみを用意して、テレビの前に座った。しかし、どうも面白くない。
 なにより音とリズムが悪い。二人の料理人が何人もの助手を使って、同時に四・五品の料理を作るので、キッチン・スタジアムとやらは文字通り火事場と化す。そこにテレビ・カメラが入り込み、作りかけの料理を次から次へと映し出し、それが誰の料理やら、何の料理やら判らないままに、アナウンサーとレポーターと解説者と試食者がそれぞれ勝手なことを喋る。
 包丁の扱いが乱暴で、なかには長い包丁を持ち出して振り回すのもいて、危なっかしくて見ていられない。そのうえ料理人が汗をかく。その汗がしずくになって落ちる。皿に盛るとき箸も添えずに素手でやる。ボールにサラダとドレッシングを入れて手でかき回す。それだけではない、ソースに指を突っ込んでそれをベロリと嘗める。おおかた、フランス人の真似で、その方が味が良く判るぐらいのことは言うつもりだろう。
 わたしは庖丁解鯨の図を想像する。南氷洋の捕鯨船の上がいいのだが、それでは船酔いするだろうから、シロナガス鯨を生捕りにして、東京ドームまで運び、そこで解いてもらうのだ。
 わたしはそれを見物しながら、まず、ビールを飲む。あとは何でもいいのだが、一往は尾身の刺身で白ワインを飲み、赤身のステーキで赤ワインを飲む。それから、小学生の頃、父の田舎に行ったとき、伯父が田圃から掬ってきた泥鰌で泥鰌汁を作ってくれたのだけれど、その中に黒い皮の付いた鯨の脂身が入っていた。それをもう一度食べてみたい。
 紀国屋文左衛門なら出来るだろう。しかし、捕鯨禁止になってずいぶん経つのだから、もう解体の技術は残っていないかもしれない。あるいは調査捕鯨として細々と技術が守られているかもしれない。どちらにしろ、そんなことをしたら自然保護団体が大挙してやってくるだろう。
 どこかにシロナガス鯨の解体の一部始終を記録したフィルムが残っていないだろうか。なければ、交通博物館で見た科学映画でもいいから、もう一度、庖丁解鯨のシーンを見てみたいと思っている。

                                                   (1997年7月)
2008.02.26[Tue] Post 23:37  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

シー・シェパードのテロは人種差別ではない

 反捕鯨運動はもともと人種差別の問題ではない。シー・シェパードは日本人を侮っているだけだ。ドイツの緑の党がやった原発反対運動でもテロがあった。でも、人種差別ではない。それとおなじように反捕鯨運動は人種差別ではない。それがあいにく食文化や動物愛護だったので、彼らの進化論主義的差別意識にスィッチが入ってしまったのだ。
 捕鯨問題を人種問題ではなく、経済の問題としてとらえることが大切だ。
 この問題は、鯨という資源の配分の問題であり、鯨を食料資源と考える日本と観光資源と考える豪州が争っている。資源配分の問題は市場で解決すべきであるが、両者ともに市場を歪めている。日本は補助金や天下りによって、豪州は鯨を資源としてではなく、崇拝の対象とすることによって。原理主義は市場の否定である。
 水産庁は市場を歪めているだけだが、シー・シェパードは市場を否定している。全く解決方法がないようにみえる。
 差しあたって日本がやるべきことは、水産庁の腐敗をただすことだ。日本鯨類研究所などを即刻廃止することだ。補助金天下りを止めて、捕鯨を市場に任せることだ。
 緑の党はまったく反市場的に原発の漸次的廃止に成功した。しかし、同じ環境問題として原発の見直しが始まった。反原発運動だって反捕鯨運動以上に狂信的でテロもやったのにだ。
 いまアフリカでは象が増えて困っているそうだ。日鯨研のいうことが本当なら、そのうち鯨が増えて海が困ったことになる。もちろん困るのは日本人でも豪州人でもなく、鯨や魚を食べて生きている人々だ。
 
2008.02.14[Thu] Post 19:57  CO:0  TB:0  反捕鯨  Top▲

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