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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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ルソーの植物遠近法について

エルヴィン・パノフスキーは『〈象徴形式〉としての遠近法』の中で、遠近法は世界が理性的で秩序だったものだということを象徴していると言っている。そうすると、我々は遠近法で描かれた絵を観賞するとき、その理性や秩序の美を感じればいいのか。

それならレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》はどうだろう。弟子たちの大袈裟な身振りはともかく、部屋の空間は、ウソ臭いし、第一わたしにはちっとも面白く無い。その遠近法の分析図を見せられても、それがどうしたという他ない。もっと、分かりやすい例はホッベマの《並木道》だ。この作品は中学の図画工作の教科書の載っているから誰でも知っているにちがいない。人が作った並木道だでれど、直線的な建造物ではなく、樹木や泥道が消失点に向かって遠くまで続いているのは美しいといえば美しい。しかし、これもひどく人工的な風景に見えはしないか。

巧みに遠近感が描かれているからといって、絵画が面白くなるわけではない。私がこれまで面白いと思った遠近法の絵をブログから二つ挙げ、ブログの一部を引用する。



ゴッホ《草むらの中の幹》  『没後120年 ゴッホ展』



一番、ゴッホの風景画の秘密がよくわかるのは、最晩年の《草むらの中の幹》(1890年)だ。

この風景画も近景中景遠景で出来ている。ど うもゴッホは遠視ではないかと思われるほど、近景が大雑把に、遠景が細かく描かれている。上にあげた風景画はどれもその傾向があるけれど、《草むらの中の 幹》は草地のゆるやかな斜面に木の幹が左の二本の太いものから右上へ五六本並んでいる。キャンバスの上の縁に沿って、小道があり、白い花を咲かせた潅木が 奥の方にみえる。樹木の上部の枝葉はどれもキャンバスの上の縁で切られている。このことが、小道からの斜面を奥のほうまでつづく下草の広がりをより魅力的 なものにしている。




アンリ・ルソー《エデンの園のエヴァ》 『ルソーの〈植物遠近法〉』



ルソーにも平面的なところがあるけれど、ピカソと違って、この作品の魅力は、遠近法と月の逆光の処理、そして葉と葉の重なり具合が微妙にチグハグでありな がら、丁寧に塗られた絵具がなんとも官能的なところにある。他にルソーの風景画が二点あったが、どちらも面白くなかった。《エデンの園のエヴァ》の魅力 は、ルソーの「ジャングルの絵」に特有の遠近法にある。

建造物なら線遠近法で描ける。遠くのものは小さく、近くのものは大きく描く。しか し、植物は似たような形態の大きなものや小さなものがある。大きいからと近くにあるとは限らない。小さいからと遠くにあるとは限らない。そもそも基準とな る直線がなくて、曲線ばかり、枝も葉っぱも絡まっているし、すき間があるし、前後重なりで遠近を表すけれど、その重なり具合もはっきりとしない。しかもル ソーは空気遠近法を使わない。近くのものも遠くのものも同じ明確な線と色で描く。前の葉と後ろの葉が同じ平面で接している。

そこにシュールレアリズムのトリックとは違う、不思議な空間のイリュージョンが生まれる。わたしはこれを「ルソーの植物遠近法」と名づけることにする。ジャングルのシリーズのなかでもこの《エデンの園のエヴァ》は植物遠近法の最も優れた作品のひとつである。




ここで、我々は遠近法に関する何らかの結論をだそうというのではない。ただ、優れた遠近法というのは、理想や秩序の象徴ではなく、むしろ、空間の不連続や捩れのようなものを表わすのではないか。ここで、われわれは、例によって、マチスと藤枝晃雄に解答を探すことになる。

つづく

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2011.10.28[Fri] Post 23:11  CO:0  TB:0  -アンリ・ルソー  Top▲

アンリ・ルソーの「BODY SCALE」 (『植物遠近法』その2)

『アンリ・ルソーの「植物遠近法」その1』からつづく

ルソーは風景画のなかによく人物を描き込むけれど、近くの人物より遠くの人物が大きかったりして、遠近感が狂っていることはよく知られている。人物というのは大きさの基準なのだから、それが線遠近法と辻褄があわないと大抵は違和感があるものだが、ルソーの人物は不思議な空間のイリュージョンを生み出している。

植物遠近法で描かれている『エデンの園のエヴァ』も、ジャングルの真ん中に裸のエヴァが大きな赤と青の花をもって立っている。エヴァの身体尺度から見ると花も葉も大きいことが判る。頭が大きくて髪がながく胸が小さい人体デッサンの稚拙さが、異国風の植物と呼応して、原始的で無垢な雰囲気を与えている。

ジャングルの中のヌードを描いたルソーの作品に大作《夢》があるけれど、《エデンの園のエヴァ》は小品ながらルソーの遠近法の魅力が存分に発揮されている。
2010.04.03[Sat] Post 00:44  CO:0  TB:0  -アンリ・ルソー  Top▲

アンリ・ルソーの「植物遠近法」その1

『ボナールの庭、マティスの室内』展で見たマティスの『リュート』のことは既に述べた。スカートにさした「テーブルの影」の不思議な魅力についてだったけれど、もう一つ目を惹いた作品があった。ルソーの《エデンの園のエヴァ》だ。

何度か順路を戻って《エデンの園のエヴァ》見たが、どこに惹かれるのか判らなかった。ただ、ブリジストン美術館で見たピカソの《生木と枯木のある風景》を思い出した。そのときのブログ記事から引用する。

もう一枚は『巨匠ピカソ』展ではなく、その帰りに寄ったブリヂストン美術館の『都市の表象と心象-近代画家・版画家たちが描いたパリ』展で見た《生木と 枯木のある風景》だ。次の展示室に移る端の壁に掛けてあり、「あれぇー変な絵がある、ルソーみたいだ」と一瞬、思ったけれど、すぐに家がキュビスム風で、 全体が平面的な印象に変わった。切り抜きのような雲、山、家並み、池、草地、樹木がコラージュのように重ねられている。キャプションをみるとパブロ・ピカ ソだった。(「『巨匠ピカソ』展」

ルソーにも平面的なところがあるけれど、ピカソと違って、この作品の魅力は、遠近法と月の逆光の処理、そして葉と葉の重なり具合が微妙にチグハグでありながら、丁寧に塗られた絵具がなんとも官能的なところにある。他にルソーの風景画が二点あったが、どちらも面白くなかった。《エデンの園のエヴァ》の魅力は、ルソーの「ジャングルの絵」に特有の遠近法にある。

建造物なら線遠近法で描ける。遠くのものは小さく、近くのものは大きく描く。しかし、植物は似たような形態の大きなものや小さなものがある。大きいからと近くにあるとは限らない。小さいからと遠くにあるとは限らない。そもそも基準となる直線がなくて、曲線ばかり、枝も葉っぱも絡まっているし、すき間があるし、前後重なりで遠近を表すけれど、その重なり具合もはっきりとしない。しかもルソーは空気遠近法を使わない。近くのものも遠くのものも同じ明確な線と色で描く。前の葉と後ろの葉が同じ平面で接している。

そこにシュールレアリズムのトリックとは違う、不思議な空間のイリュージョンが生まれる。わたしはこれを「ルソーの植物遠近法」と名づけることにする。ジャングルのシリーズのなかでもこの《エデンの園のエヴァ》は植物遠近法の最も優れた作品のひとつである。



『アンリ・ルソーの植物遠近法②』
2010.03.16[Tue] Post 23:13  CO:0  TB:0  -アンリ・ルソー  Top▲

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