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中谷ミチコのトリックとイリュージョン

中谷ミチコの《そこにあるイメージⅠ/Ⅱ》の少女が観者の左右の動きに応じて観者を追いかけてくるように見えると多くのブロガーが感動している。確かに面白いけれど、これは簡単なトリックなのだ。

どの角度からみても《モナリザ》が観者の方を見ていることは、モナリザの神秘的な微笑と相まってよく知られている。しかし、これは何もモナリザにかぎったことではない。どんな肖像画でも、人物がこちらを見ていれば、観者が見る位置を変えても、肖像画の人物はこちらを見つづける。それは肖像画が平面に描かれているから、観者の見る角度が変わっても、肖像画のイリュージョン空間の方向はかわらないからだ。これは、彫刻や人形などの立体像と比べてみれば判る。正面を見ている彫刻の右側に観者が移動すれば、右の横顔が正面にきて、彫刻の視線はもとのままだから正面ではなく観者の右方向を見ることになる。立体は観者と作品の空間がつながっているので、当然そうなる。

ところが《そこにあるイメージ》の少女は凸ではなく凹に彫られているので、観者が少女の右に移動すると、立体とは反対に少女の左側が広く正面に見え、結果的に少女は観者を追いかけるように頭を右に向けたようになる。視線も同様に右に向く。

この作品に不思議な魅力をあたえているのはそれだけではない。オプティカルなイリュージョンがあるのだ。 顔は凹面に描かれているのだが、顔は凹んでいるわけではなく、凸に見える。我々の視線は凹んだ面に焦点が合っているが、顔はその凹面よりも浮いて見える。それは知覚されたものではなくイリュージョンなのだ。

彫刻のリテラルな立体感と絵画の立体のイリュージョンを融合したような作品がある。それは例えばエヴァン・ペニーとロン・ミュエクを比べれば分かるだろう。ミュエクはリアルな人形を巨大にしたり縮小したりしてイリュージョンを生み出しているけれど、ペニーは平面的にすることで、人形に絵画的なイリュージョンを与えている。両者がともに写真的なリアリティーを持つのにたいし、シュテファン・バルケンホールは荒削りの木彫に絵具で文字通り大まかに肖像画を描いている。また、かれは版画のように浅く彫った板に絵を描いている。どちらもノミの跡や筆の跡が残されていて、彫刻的なイリュージョンと絵画的なイリュージョンが見事に融合にした作品になっている。

中谷ミチコの凹彫のアイディアは確かに独創的ではあるが、それはオプティカルなイリュージョンにとどまっており、むしろ少女の描写の表現主義的な面が強く出て、ややもすれば通俗的な挿絵になってしまう危険はおおいにあるように思われる。
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2010.04.09[Fri] Post 23:38  CO:0  TB:0  -中谷ミチコ  Top▲

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