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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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森村泰昌と松井えり菜

今日の産経新聞の文化欄に『森村泰昌・なにものかへのレクイエム』(東京都写真美術館)と『松井えり菜展』(山本現代)の展評が掲載さいれていた。四年前にブログを始めた頃、『森村泰昌と松井えり菜(1)(2)』という記事を書いていたので懐かしくおもった。

記事は「なぜ、そんな気持ちの悪い絵を描くのか」という批判的な記事だった。ずいぶんと批判的なコメントがあったが、とくに松井えり菜の記事には、もっと批判的だった松井冬子の記事のコメントさえ賛否両論だったのに、どういうわけか罵倒するコメントがたくさんあり、なかには脅迫まがいのものもあった。

あのころは展覧会めぐりを始めたばかりで、まだ、絵画とは何か、なんとしても突き止めてやろうと意気込んでいたので、つまらないものを理屈をつけてあたかも芸術だと言われるとどうも腹がたって反論したくなったのだ。いまは、もうそんなこともない。いろいろな考えがあるだろうが、ただ私には関係のない事だと思うようにしている。ケチくさいことだが、わたしには芸術にとって重要なことだとおもうのだが、文化行政と称して税金を使うことはやめてほしい。このことはいずれ論じたいと思っている。

ともかく、森村泰昌についてはもういいだろう。今度のは女装ではないようだが、どのみち模倣することの批評性とか、PCとか、引用とか、現代のイコンだとか、なにやら適当なことを言うのだろう。女装編は、白色人種の女性に変装したオスの黄色人種が恍惚としているという白色人種から見ればアブジェクションな快感を感じたのだろうが、今回の男性編はせいぜい学園祭の仮装行列程度の楽しみだろう。

松井えり菜の方は相変わらずの確信犯ぶりだ。(和)氏の展評がすべてを尽くして遺漏がない。

  けばけばしくてグロテスク、画面を覆うぬめり感。松井えり菜(昭和59年生まれ)が描く絵画はそんな印象がある。
 たとえば油彩の「MEKARA UROKO de MEDETAI!」。キャンバスをふすま仕立てにした作品。
 自身をモデルにした若い女性の顔が大きく描かれる。目はうつろで、口を開けた恍惚(こうこつ)の表情。口の中の粘りけのあるツバや口元のうぶ毛、鼻毛さえも描く徹底ぶりだ。背後は無数の星がきらめく宇宙かと思いきや、その中をマンボウやタコがいる。宇宙と海が混ざり合い混沌(こんとん)とする。リアル過ぎて嫌悪感を抱く人もいるだろうが、その執拗(しつよう)な描写も松井らしさといっていい。
 作者はぬめっとしたものが好きらしい。湿り気を持ったキノコやウーパールーパーを好んで描く。ウーパールーパーは発泡スチロールで立体も制作。それを持って世界各地を旅しながら自身とともに写真に収める。
 人間関係がドライになりつつある社会にあって、絵から発するある種のねっとり感は、親しみを抱かせ、安心させてくれる。5月1日まで。(和)   産経ニュース(4/21)


最後の結論にも異論はない。アブジェクトなものが癒しになることはおおいにあるだろう。

前回、松井の『エビチリ大好き』のことで言い忘れていたけれど、松井の絵具の処理技術は優れている。




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2010.04.22[Thu] Post 01:44  CO:0  TB:0  -松井えり菜  Top▲

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