『沈まぬ太陽』若松節朗監督★☆
日本映画が終わったことを象徴しているような映画だ。これでは韓流に負ける。
そもそも経営者が悪で労働組合が善という図式は時代錯誤だろう。日航の問題は天下りと労働組合が国営企業を喰物にしたという話だ。そのことは今回の日航再建の騒ぎでみんな知っている。外国企業に売り渡すのが一番良かったのにやっぱり今回も改革は中途半端なものになった。ナショナル・フラッグだから潰せないと前原大臣がいったのには笑ってしまった。 労働組合は安全をたてに待遇改善を要求し、天下り経営陣はナショナル・フラッグだといって私腹を肥やしていた。そのことを知っているわれわれには恩地の苦悩がいっこうに理解できない。 『白い巨塔』の田宮二郎演じる財前五郎には野望があった。頓珍漢な正義感を振り回す渡辺謙は田宮二郎にはとてもかなわない。あのころまだ日本映画は輝いていた。 『アバター』 ジェームズ・キャメロン監督★☆
TSUTAYAのDVDで見た。もちろん3Dではない。
ジェームズ・キャメロンは『ターミネーター』を見てファンになった。『エイリアン』もリドリー・スコットではなく、キャメロンが監督をした『エイリアン2』の方が好きだ。ところが『ターミネーター2』では、ターミネーターが人類の味方になって、しかも、感情や良心まで持ち始めたのにはがっかりした。映画は悪役が魅力的でなければ面白くない。『タイタニック』も敵役が紋切型なのはいいとして、愛する女性のために犠牲になるというクライマックスが歌舞伎みたいにテンポが遅くなるのは、映画としては失敗だろう。 文明人が未開人を略奪するというPC的状況を背景にしたラブストーリーと考えれば、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のパクリといってよい。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』では北軍の兵士が結婚するのがインディアンの娘ではなく、インディアンとして育てられた白人女性だというのは差別ではないかと批判があったけれど、『アバター』では地球人と肌が青く尻尾がある、身長3メートルの異星人のナヴィとセックスをする。最初は、地球人ジェイクとナヴィのハイブリッドで、ナヴィの容姿をした遠隔操作用の肉体のアバターを通してだが、ストーリーの最後では、アバターではなくジェイク本人がナヴィの娘とセックスをする。 女性上位なのはジェイクが下半身不随だからだろうが、それならアッチの方は大丈夫なのかと心配になるが、ナヴィ族はヒーリングの超能力をもっているので、あれはセックスではなく治療の儀式だったのかもしれない。 それはともかく、いくら似ているからと言って、尻尾のある身長3メートルの異星人と交尾をすることが、果たして可能なのだろうか。もちろん獣姦だってあるのだから、尻尾があって肌の色が違って少し大きいだけの、しかも、言葉も話すナヴィ族と交尾したからといって異常性愛とは言えないわけだが、どこか釈然としない。 これが人種差別反対のメッセージであることもよく分かるのだが、それだけいっそう釈然としない。 『アバター』 ジェームズ・キャメロン監督
旧臘、『ターミネーター4』と『エイリアン・イン・キューブ』をTSUTAYAの宅配便ではなく、GEOのレンタルで借りてみた。両方とも途中で見るのをやめた。
『ターミネーター』も『エイリアン』も監督がジェームズ・キャメロンのものが面白い。第二作の人間的なターミネーターより、第一作のターミネーターの方が悪役に徹しておもしろい。『エイリアン2』はシガニー・ウィーバーがパワー・ローダーに乗って「come on!」と叫んで戦うところはゾクゾクする。 そのジェームズ・キャメロン監督の3D映画『アバター』が劇場公開されている。ネットで予告編を見たが、なんだかデズニー映画みたいでがっかりした。3Dでみても同じことだろう。 むかし、赤と青のセロファンのメガネをかけてみる立体映画があったが、すぐになくなった。こんどの3Dは新式だというが、赤青フィルターのかわりに偏光フィルターや液晶シャッターを使っただけで、見にくいことにはかわりなく、たぶん遊園地の出し物としてしか成功しないだろう。 二枚の写真を使ったステレオ写真がリアリティのないことからわかるように、モノや空間が三次元に見えるのは両眼視差だけではない。モノが立体に見えるのは私たちの身体空間とモノが連続的な空間に存在するからだ。3D映画もステレオ写真とおなじように、映像の想像空間と観客の身体空間は分離されており、同一空間に見えるのは錯覚なのだ。フライトシュミレーターの映像は2Dで、そのかわり動揺装置で映像空間と身体空間の連続性を生んでいる。 3Dにしてわざわざ見にくくする必要はない。『007カジノ・ロワイヤル』の冒頭アクションや『インディ・ジョーンズ』のトロッコのシーンを思い出せば分かるように、面白い映画は2Dでも面白いのであって、わざわざ3Dにするひつようはない。 半世紀まえにセロファン・メガネをかけて大井金星座で立体映画の西部劇を見た。もっか冥土の土産に『アバター』を3Dで見るかどうか思案中である。 『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』 松岡錠司★
松岡錠司はこの映画で第31回日本アカデミー賞(2008年)最優秀監督賞を受賞したということだが、退屈なあまり途中で見るのをやめた。マルチタレントとして成功した美大生の自慢話にしか思えなかった。
読んではいないのだが、たぶんリリー・フランキーの原作は自慢話にならないように書いてあるのだろうが、そういう配慮が映画化するとかえって自慢話になってしまうのではないか。 たとえば内田百里砲麓慢話のようなところがひとつもないけれど、ボケ気味の黒沢明が映画化する自慢話っぽくなるようなものかな。 『復讐・運命の訪問者』★・『アカルイミライ』★☆黒沢清監督
『復讐・運命の訪問者』(前編)が『復讐・消えない傷痕』(後編)と同じ監督の作品とは思えない。前編がつまらないのは、シナリオが黒沢ではなく、高橋洋だからか。どちらにしろ黒沢清の前編と後編では映画の撮り方がまったく違うのだ。ネットを調べたけれど、『運命の訪問者』の批評はほとんどなかった。
『アカルイミライ』はどうしようもない映画だ。ムカツイたりキレたりする若者の話だろう。ムカツイたりキレたりするのは構わない。でも、「深い意味なんかないんだよ」式の解釈を要求する思わせぶりが多すぎる。そう思うのは映画を愛していないからだというだろう。たしかにそうだ。主人公にはまったく感情移入ができない。まるで三面記事を読んでいるように退屈だ。 唐揚げが小さいというのも、クラゲ川いっぱいに流れていくのも、アンテナを壊すのも、面会室の階段も、白いシャツを着たチーマーの行進も、どれもわたしには魅力を感じない。たぶん斉藤環や宇野常観ならうまい解釈を見つけてくれるのだろう。しかし、いくら内容を深く解釈しても表層の形式に魅力がなければ映画は退屈だ。 DVDを返却する前に、もしかしたらと面会室の階段を数えてみたらやっぱり13段だった。もちろん何の意味もないけれどね。 |
フリーエリアプロフィール
Author: 安積 桂 カテゴリー
最 近 の 記 事
最近のトラックバックコメントブログ内検索RSSフィード |