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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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『DEATH NOTE』大場つぐみ原作

「ブックオフ」で『デス・ノート』を一巻から十巻まで買ってき読んだ。前回、買いに行ったときは見つけられなかったので、今回は店員に場所を訊いた。漫画を読むなんて久しぶりだけれど、3時間かけて読んだ。

取り立て感想はない。映画版は、キラの藤原竜也の魅力が生かされていなかったが、Lの松山ケンイチのキャラが楽しめた。漫画版はキラもLも魅力がない。Lの目の回りにクマができているのには興ざめである。

宇野常寛は九十年代の古い想像力を代表する主人公は『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジで、ゼロ年代の新しい想像力を代表する主人公は『DEATH NOTE』の夜神月だという。「いじけて引きこもる」碇シンジに「受け入れて立ち上がる」夜神月が対照されているわけだ。

いったい「サブカル批評」はこんなことばかりやっているのだろうか。漫画に人生論なんていらない。面白かったら面白いところを、つまらなかったらつまらないところをきちっと教えてくれるのがサブカル批評の役目ではないか。

というわけでいくつか感想を述べておく。まず、Lがキラと相打ちの形で死ぬ映画の結末のほうが断然面白い。悪を倒すために自分の命を犠牲にしたのだが、それは女子供でも(もちろん差別してます)できる自爆テロではない。死神を欺くための賭なのだ。それも賭に勝とうとも負けようとも、自分は確実に死ぬ賭なのだ。この賭はLの強さであって、弱さではない。

サブカルチャーは強いだけではヒーローになれない。正義の味方であるにこしたことはないが、それだけでもヒーローの資格がない。ヒーローになるには、安心感がなければならない。はらはらどきどきさせてはならない。こいつが現れると、何となく観客がほっとする。こういう映画のヒーローに例えば『アンタッチャブル』のショーン・コネリーがいる。

もちろんカポネ役のロバート・デ・ニーロに、俳優として位負けしないと言う意味ではない。ショーン・コネリーが演ずる老警官の死を覚悟した知恵と身のこなしが、観客に心地よい安心感を与えてくれるということだ。そう言う意味では、映画でLを演じた松山ケンイチはみごとにヒーローを演じている。それにくらべ、漫画のLもライトもヒーローではない。

漫画で安心してみていられるヒーローといえば「ゴルゴ13」だろう。ヨツバの役員のなかにいるキラを始末するためにミサの「色香」を使うのは、いかにもベタで、面白くない。それより、ヨツバに狙われたELF保険会社の重役がゴルゴにヨツバの内部にいると思われるキラの殺人を依頼するほうが、ずっと面白いだろう。ヨツバの役員七人があつまった会議中にゴルゴが隣のビルから、狙撃する。もちろん、そのまえに誰がキラかわかるような仕掛けをしておくのだ。

漫画版がつまらないのは、何よりも話がだんだん複雑になってきて、つじつまを合わせるために、「DEATH NOTE」の使用規則がどんどん増えてくることだ。しまいに死神にもいろいろ掟があって収拾がつかなくなっている。漫画なんだからもっと楽しくわくわくさせてほしい。

それにしても、サブカル批評家は、根拠がないとかトラウマだとか、あるいはセカイ系だ、決断主義だ、ヒキコモリだ、データベース消費だ、動物化だと、神学論争に熱中していったい何をいいたいのだ。でも、こんなことぐらいでは驚かない。美術評論なんてもっとヒデェんだから。
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2009.12.03[Thu] Post 22:51  CO:0  TB:0  漫画  Top▲

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