ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

蕭白におけるカラーとモノクロ : フッサールの図像意識

蕭白の絵は、カラーの部分とモノクロの部分が混じっているので、どちらを見ればいいのか迷うことがある。

なぜ、こんなことになるかというと、「絵画を見る」ということは、知覚した「図像客体」をもとに描かれた「図像主題」を想像しているからだ。

灰色の身長5㎝の子どものモノクロの写真を見るとき、ピンクの肌をした、身長120㎝の血の通った子どもを見て(想像して)いる。

むかし、商品のジュエリーだけカラーにした広告写真を見てギョッとしたことがある。灰色の肌をしたモデルが死んだように見えたからだ。

《モナリザ》もカラーの中にモノクロがあるけれど、あれは空気遠近法のため、遠景がモノクロに見えるのだ。しかも、グラデーションがあるので違和感はない。

蕭白にもモノクロの遠景がある。薄く描かれているのは、水墨画の技法である。

ところが蕭白には近景の人物をカラーにしたものがある。なかには、子どもと女性だけを彩色し、男性はモノクロのままにしてある。

さらに、おどろいたことに、唇や小物だけを彩色したものがあり、江戸中期にすでに広告写真の技法を使っていたことになる。

これ以上は、言わない。絵画は「知覚に基づいた想像」であること、そして、想像するか、知覚にとどまるかは、作品ごとに、二者択一ではなく、絵画内部の「関係」によって変わる。

同じことが抽象画に関しても言えるのではないか。


スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

スポンサーサイト
2016.04.03[Sun] Post 14:18  CO:0  TB:0  絵画意識  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。