山本篤選手 走り幅跳び銀メダル
山本篤選手が北京パラリンピックの走り幅跳びで銀メダルを取った。その跳躍をテレビのニュースで見て、義足のほうの脚で踏切をしているように見えた。踏切は利き足でやらないと力が入らないのではないかと気になって、他のニュース番組で確かめると確かに義足で踏切をしている。それでは義足のバネの力を利用しているのではないかと疑問に思った。すると毎日JPニュースでつぎの記事をみつけた。
3回目の跳躍で、左脚の義足に体重が乗った気がした。山本は「『来た』と思った」。そのまま左脚で踏み切ると自己ベストの5メートル90には届かないものの5メートル84の好記録。この種目は記録がポイント換算されるため、順位は2位に。「結構良い記録だったので相手にプレッシャーを掛けられた」。他選手のミスも相次ぎ2位に入った。 00年に交通事故で、左脚の太ももから下を失った。かつては右脚で踏み切っていたが、04年の記録会で歩幅があわなかったため、たまたま左脚で踏み切ったところ、従来の自己ベストを約1メートルを超える好記録が出た。 助走のスピードを生かすには「踏み切る脚は足首とひざをロック(固定)しないといけない。だが、義足の脚だとあらかじめ固まっており、ロックせずとも、地面からの反発力に体を乗せれば良い」。大会を連覇したドイツ選手も義足を付けた脚からの踏み切り。世界のトレンドに乗った山本の跳躍でもあった。(毎日jpニュース) 踏切の脚は膝と足首をロックしなければならないというのは本当だろう。しかし、反対側の脚だけで跳ぶわけではない。どちらにしろ、両足のバランスが大切なことは100メートル競争の山本選手と優勝した選手の走りと比べればわかる。山本選手は左右のバランスが悪く上体がよじれているけれど、優勝選手はまったく健常者と変わらないバランスで走っている。たぶん日本は競走用の義足の開発にお金を掛けていないのだ。お金を掛ければ山本選手は一秒ぐらい記録をよくすることができるにちがいない。そうなれば走り幅跳びと100m競争では義足を履き替えることになるに違いない。 なにもパラリンピックに難癖をつけているのではない。 パラリンピックもオリンピックと同じように堕落しているなといいたいだけだ。義足の開発は、水着の開発と同じだし、そもそも、パラリンピックとオリンピックの違いは体重別や男女別のようなものだ。障害者の差別がなくなり、健常者と同じように真の社会参加ができるようになったと喜ぶべきだろうか。たぶんそうではなく、健常者と同じように腐敗する権利を獲得できただけではないか。 そもそも、男女別に競技するのは差別ではないか。なぜ、シンクロナイズド・スイミングには男子がないのか。あんなものは男の子がやるもんじゃないというなら、それこそ差別だ。そもそも男と女をどこで区別するのか。女らしいとか男らしいとかで決めるのか。あるいは外性器の形状できめるのか。ふたなりはどうするのだ。いまは、染色体検査をするらしい。以前は男性疑惑がよくあったが、今は予め検査してあるのだろう、性チェックはほとんど話題にならない。それなら性染色体異常の人はどうしているのだろうか。かれらはオリンピックに参加する権利はないというのか。男性としてならいいのか。女性は男性と異なる性染色体の型という理由で特別枠を作っているなら、XXYの染色体のひとも特別枠をもらっていいではないか。XX染色体とXY染色体がXXY染色体を差別しているのだ。ところでXYY染色体の超男性はどうしているのだろう。 それとも、すでにパラリンピックにはそういう人たちのための参加資格が出来ているのかもしれない。それなら性染色体が正常な性同一性障害の人たちはどうしているのだろう。スポーツは楽しむぶんにはいいけれど、そこに名誉やお金がからんでくると、差別の発生装置になってくる。もともと差別をなくそうとして始まったパラリンピックがまさに差別の巨大な発生装置になっているのは皮肉なことである。 パラリンピックとオリンピック
『オリンピックの終焉』という記事をアップしたあと、ニュースでパラリンピックの車椅子競争をみた。
オリンピックの終焉
オリンピックの東京招致に反対する。
一度は賛成と言ったが、考えをかえた。 賛成したのは、地方との逆格差を解消するために東京のインフラを整備しろということだったが、その考えはかわっていない。静岡県に居を構えて2年がすぎるが、地方が東京より豊かであることははっきりとわかる。これは静岡県ばかりではないだろう。 反対の直接のきっかけは、石原慎太郎都知事が、北京のボランティアの学生は親切で礼儀ただしいけれど、日本の若者は2ちゃんねるに夢中でなっとらんと言ったことだ。石原は以前もヘギョンちゃんが礼儀ただしいと褒めていたけれど、いったい何を考えているのか。全体主義の国家だものそのぐらいの訓練はお安いご用だろう。長野で赤旗振って日本人に暴行を加えた中国の若者のことを忘れたのか。大江健三郎はかって紅衛兵の目は澄んでいたといっていたけれど、ウヨクもサヨクも愚者が言うことは同じだな。2ちゃんねるのほうがまだましだ。 それよりおおきな理由はオリンピックが終わったということだ。終わったという表現が正しいのかどうかわからないけれど、見ていてなんか変だなーとかんじるのだ。オリンピックはそもそも国別対抗大運動会なのだろうが、それがどうやらぐじゃぐじゃになっているのではないか。国別運動会なら自国の選手を応援するのが楽しいのだろう。 卓球を見ていたら、どこの国も中国人がプレイしている。どういうわけかというと、中国では代表になれない選手が帰化してオリンピック代表になるらしい。かれらは帰化した国に同化しているのだろうか。 ボルトをはじめジャマイカの短距離選手は優秀なDNAをもっているという。これでは国別ではなく、人種別ではないか。陸上競技はどこの国の代表も黒人選手が増えている。 DNAではなく、ドーピングと訓練(調教?)でオリンピックマシーンを作る作戦もある。今から言っておくが、このままいけば、いずれ遺伝子組み換えの選手が現れるだろう。 人種とか国家というものがいずれなくなるとサヨクたちは考えているのだろうが、たぶん歴史はそうかんたんには終わらない。宗教的な対立はますます激しくなっている。 オリンピック憲章には、「人種、宗教、政治、性別、その他に基づく、国もしくは個人に対するいかなる形の差別も、オリンピック・ムーブメントヘの帰属とは相入れないものである。」と書いてあるが、皮肉なことに、オリンピックは運動能力による第五の差別を作り出したのではないか。 もっと、奇妙なのはパラリンピックだ。はじめの頃、彼らの姿は感動的であった。しかし、いまはそんなところは微塵もない。肉体の限界まで使って戦っている。健常者のオリンピックとかわらない。 そのうちドーピング違反者が出るだろうと思っていたが、とっくの昔に違反者がでたそうだ。いつからドーピング検査が導入されたのだろう。 いまでは義足の開発競争になっているらしい。健常者だってシューズ開発の競争しているのだからおなじことだ。ニョウボは「電池を使っちゃいけないのかしら」と不謹慎なことを言っていたが、そのうちF1みたいにうるさいレギュレーションができるだろう。 福祉ではなく競技になったのは、お金や名誉が手にはいるようになったからだ。すべてがオリンピックと同じになった。障害が出場権を得るための特権になってしまったのだ。こうなれば、二流選手が外国に帰化するように、意図的に障害者になる二流選手もいずれ出てくるだろう。 障害者に特権を与えるなら、肉体的に劣等な黄色人種のためのオリンピックを作ったらどうだろう。 ともかくオリンピックの商業化や政治化が問題にされているが、いまやスポーツの腐敗はとどまるところをしらない。まずはオリンピックを廃止することからはじめよう。はやくしないと、人類の破滅だとひそかにおそれている。 北京五輪の開会式にだまされた北京五輪の開会式がやらせだらけだという。少女がクチパクだったとか、巨人の足跡の花火がCGだったと非難されている。 ショーの中味は、たぶん朝日新聞などは絶賛していたのだろうが、自分たちが破壊した中国の伝統をいまさら執拗に見せられても、退屈なだけだ。どうしたって文化大革命のほうがショーとしては見応えがあったと言わざるをえない。 それから、ついでに告白しておくとシンクロナイズドスイミングではついつい 井村さんが指導している中国を応援してしまった。こういうところが日本人の駄目なところかもしれない。ところで、女子柔道の78堋教薹莨,蚤咾魏薪戮皺薪戮蘯郊垢坊襪喞召靴討い芯妖朕心の対戦相手は卑怯な奴だったなぁ。 オリンピック東京招致に賛成する(1)これまでオリンピック東京招致には反対だった。といっても反対する積極的な理由があったわけではなく、開催できるなら開催しても良いと思っていた。ただ、北京の次の次に二度目の東京に招致するのはむりだし、そんなことに膨大なお金をつぎ込むのはやめて、新東京銀行を整理することが先だろうと思った。ところが、東京が一次選考を最高点で通過したと言うニュースを聞いて、それなら招致運動をするのも無駄ではないかもしれないと思ったのだ。 |
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Author: 安積 桂 カテゴリー
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