ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

ジェフ・クーンズのいさぎよさ


ジェフリー・ダイチは、ウォーホルはキャンプで、ジェフ・クーンズはキッチュだと言う。

上の写真の真ん中に大きなイルカのビニール玩具があり、そこに下着姿の女性が跨っている。人と戯れるイルカは癒し系のキッチュだろうし、下着姿の女性もピンナップガールの定番だ。《Gazing Ball》 と同じ、クーンズお得意のDouble Kitschになっている。

会田誠の《滝の絵》の少女はクリスチャン・ラッセンのイルカで、滝は日本の懐かしい田舎の風景だと会田自身が言っている。そうであるなら、これもダブル・キッチュということになりそうだが、そうはならない。二つのキッチュが合わさって一つの癒やしの風景になっている。「大衆に媚びを売って女々しいイラストまがいの絵」と、会田が言うとおりかもしれないが、キッチュとは少し違うような気がする。確かにイラストまがいではあるが、まぎれもなく、会田誠の少女になっているからだ。

一方、村上隆の作品はキッチュを利用したものが多い。《マイ・ロンサム・カウボーイ》がそうだし、《フラワー》シリーズはキッチュそのものだ。近作の「五百羅漢図」や「円相」は現代的な装飾性が加味されているけれど、本来、kischyな主題だ。羅漢は仏教の聖人だし、円は書の悟りなのだが、そのままでは、ただの古風なジャポニズムであり、現代美術の戦略的ジャポニスムとしては弱い。(注)

村上隆のキッチュにはクーンズのいさぎよさがない。戦略的ジャポニスムはどうしても屈折したところが必要になる。その点、クーンズはアメリカン・ポップだから鷹揚にかまえていればよい。

クーンズのいさぎよさは、上の写真作品の落書きに良く表れている。最初に見たときは何が描かれているか分からなかったが、何度か見ているうちに女性器のイタズラ書きだとわかった。日本で言えば東京都の紋章に似た女性器の落書きだ。会田誠の《ミュータント花子》の男性器や女性器は、ヘタウマであって落書きではない。『マイクロポップ展』の有馬かおるの《ムンクはさけべおれはがまんする》は、股間を勃起させた全裸の男なのだが、明らかに便所の落書きのパロディ(ハイアート化)になっている。

有馬かおる自身が、芸術の本質は落書きだと言っている。ハイカルチャーとサブカルチャーに差異はないというポストモダンのお約束なのだろうが、新聞紙のちぎったものを支持体にしたり、男の足首を鎖に繋いだり、キャプションにムンクを持ちだしたりと、何かとハイ・カルチャーめかしているのは、アート後進国の日本としては致し方のないことか。このままでは、日本の現代美術は、ジェフ・クーンズのアメリカンキッチュに永遠にかなわないだろう。


注:村上隆の《円相》シリーズは、悟りを意味する禅の書画だが、その中に、仏教の「九相図」とキリスト教の「メメント・モリ」が含まれている。

スレッド:絵画・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

スポンサーサイト
2015.11.18[Wed] Post 17:05  CO:0  TB:0  ジェフ・クーンズ  Top▲

「キッチュ」とは何か? : ジェフ・クーンズの『ホイットニー美術館回顧展』

ドイツの庭には白雪姫の小人のような陶器の人形(Gartenzwerg)が飾ってあるのをよく見かける。いわゆる、キッチュだという。安物の代用品ということだろう。



ブログを書くようになって、クレメント・グリーンバーグの『アヴァンギャルドとキッチュ』や石子順造の『キッチュ論』を読んで、「キッチュ」が何か分からなくなった。どうも現代アートでは、サブカルチャーやポップ・アートと絡ん、キッチュはガルテン・ツベルクほど単純ではなさそうだ。

『美術手帖』の《ジェフ・クーンズ特集号》の中で、ジェフリー・ダイチが「ウォーホルはキャンプで、クーンズはキッチュだ」と言っているのを読んで、わざわざ『ジェフ・クーンズ回顧展』のカタログをAmazonで買った。《GAZING BALL》という展示がある。ゲイジングボールというのは、アメリカの郊外の住宅の庭先に飾ってある大きなガラス玉のことで、まさにアメリカのガルテン・ツベルクだ。それを、これもキッチュのギリシア彫刻の石膏レプリカの上に載せてある。まさに、《ダブル・キッチュ》なのだ。




ジェフリー・ダイチが言う。「クーンズが取り上げるのは、(ウォーホルと)同じ(ように)芸術とは呼びにくいものではあっても、一般家庭にあるポーセリンの人形や風船動物の飾りなど、より身近でキッチュな、ほとんど美的価値をもたない物体ばかりでした。彼はこうしたオブジェをあらためて芸術の俎上に載せることで視覚文化のより入り組んだ様相をあきらかにしました。」(『美術手帖』)と。回顧展の作品を見れば、クーンズがダイチのいうキッチュの原則にきわめて忠実であり、キッチュに手を加えてオリジナルものを創造しようなどという野心は持たないことがわかる。キッチュはキッチュのままだ、ただ大きくしたり重くしたり磨き上げたりすることで、安物でも代用品でもなくなるけれど、美学的にはキッチュはキッチュのままだ。しかし、そこに現代芸術の「純粋性」があらわれるといえば言える。

それは、《MADE IN HEAVEN》も同じことだ。ポルノはもともとキッチュだが、それを磨き上げてなおさらキッチュにした。男はアーティストで身体はボディビルで鍛えてあり、二枚目で前髪がちょっとホツレている、女はポルノ女優でしかもニョウボで花嫁衣装のレースの下着とくる、これ以上のキッチュがあるだろうか。エロティックでないかわりに羞恥嫌悪も起こさない。キッチュなポルノはキッチュのままだ。どこの家庭にもあるだろう、だって、夫婦がコスプレしているんだもの。

とは言っても北斎春画にはかなうまい。北斎は「線が描ける」。線はあらゆる絵画のレトリックを浄化してくれる。そして、いま、ニョウボは、北斎の漫画春画と格闘している。ジェフ・クーンズの「素直さ」には負けるが、絵を見る幸せでは、たぶん、負けないだろう。








2014.12.17[Wed] Post 15:14  CO:0  TB:0  ジェフ・クーンズ  Top▲

「ウォーホルのキャンプ」と「クーンズのキッチュ」 ジェフリー・ダイチ 

BT4月号の「ポップ・アート特集」とBT10月号の「ジェフ・クーンズ特集」を比べると面白い。編集長の岩渕貞哉は「ポップ・アート特集」は楠見清に任せて、書き手は日本人ばかりだが、「ジェフ・クーンズ特集」の方は、評論インタビューなど英語からの翻訳だ。そのためか、ポップ・アート特集は難解なのに比べて、ジェフ・クーンズ特集は非常に分かりやすい。それまでクーンズは勿論のこと、ウォーホルのポップも本当のところ理解できなかったのだが、この特集号を読んで、日本のポップを巡る現代美術の混乱の理由が分かってきたような気がする。

なかでも、クーンズの友でもありアート・アドバイザーでもあるジェフリー・ダイチのインタビューは説得的だ。楠見清はポップ・アートは見た目より、思想やコンセプトが重要だというのだが、ダイチはそんな表象文化論的な事は言わない。そもそも、クーンズ自身が、「僕の作品をはじめて見た人は、作品の中にアイロニーを見るに違いない……でも、僕にはそんなものは見えない。アイロニーとはとてつもなく批評的な観賞を生むものだ」(jp.wiki 出典不明)と言っている。

ダイチはウォーホルとクーンズに共通するものとして「芸術文化と大衆文化の関係性」をあげている。まず、ウォーホルにはキャンプな表現があるという。キャンプは、珍しいものと大量生産品とを区別せず、複製に対する嫌悪感を超越すると、スーザン・ソンタグは言う。さらに、キャンプが「大衆文化時代のダンディイズム」だというところは、まさに芸術家ウォーホルにピッタリではないか。自動車事故は現代の文化的出来事であり、マリリン・モンローや毛沢東などのスターの選択にも「悪趣味に関する良い趣味」が感じられる。

一方クーンズが取り上げるのは一般家庭にある美的価値の無いキッチュだとダイチは言う。初期においては《空気ビニール玩具》や新品の《電気製品》、《広告ポスター》など、どちらかと言えば、安価なレディ・メイドだった。次第に、ポーセリンの人形や風船動物の飾りなど、同じキッチュだが、素材を変えて大きくて重くて制作費もかかるオブジェを制作するようになる。もはやそれはどこにでもある安価な大量生産品ではなく、重くて大きくて少数生産の高価なオブジェである。それは高価だから、誰でも買うことは出来ないし、一般家庭に飾ることは無理だが、キッチュは相変わらずキッチュのままだ。キッチュを楽しむために、キャンプのような特殊な趣味や態度はいらない。褒め言葉の「クダラナイ」も無用だ。普通の人々が誰でも楽しむことができる「芸術」なのだ。

《Cat on a clothes line》は物干しに吊るされた毛糸の靴下から子猫が首と手を出している。これをあるアメリカの評論家()が「攻撃的なほど男根主義的でもあり、無垢でもある」(at once aggressively phallic and innocent)と日本人の好きそうな表象文化論的なことを言っているけれど、大袈裟な、なんにでも性的な隠喩を読み込むのは表象文化論の悪癖だ。一般家庭の普通の人々に聞いてみれば、アメリカ人でも日本人でもみんな「可愛い!」と言うだろう。ためしに、本屋のペットコーナーで猫の写真集を覗いてみれば、同じような可愛い猫であふれている。

会田誠は「キャンプ・タイプ」で、村上隆は「キッチュ・タイプ」と言えるのではないか。どちらもまだウォーホルやクーンズには遠くおよばないけれど。




スレッド:art・芸術・美術 / ジャンル:学問・文化・芸術

2014.10.23[Thu] Post 13:46  CO:0  TB:0  ジェフ・クーンズ  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。