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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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国立漫画喫茶

民主党の鳩山幹事長が、アニメ美術館建設は漫画喫茶などの民業圧迫の無駄遣いだと言ったのには笑ってしまった。だれが知恵をつけたのだろう。植物に参政権をやろうという人のレトリックとは思えない名演説だ。

でも、郵便局ぐらいたくさんのアニメ美術館を作ればともかく、お台場に一つ作るぐらいでは民業圧迫にはならない。ただの、天下り先き確保の無駄遣いだ。

役人(?)が、このままではアニメは中国や韓国に負けてしまう、国を挙げてバックアップしなければならない、そのためには賞を作ったりして若い才能をそだてなければならない(うろおぼえ)、というようなことをテレビのインタービューに答えていたが、こんな古くさい利権漁りの理屈をいまだ使うとは、いかに役人が腐敗しているかの証左である。

橋下大阪府知事が苦労して芸術助成金を削っていることは『橋下知事の文化行政』に書いた。その一部を引用しておく。

橋下知事は先に ゙「上方演芸資料館」(ワッハ上方)の移転一部廃止を決めたが、引き続き芸術への補助金削減をするらしい。ワッハ上方は横山ノックが知事のときに作られたのだが、吉本興業のビルに高い家賃を払い、仲間うちで理事のポストを分け合うなど、税金を食い物にしていたのだから、これを廃止するのは誰でも思いつくだろう。しかし、高級な芸術の助成を削るというのは、橋下知事の改革もけっこう本物かもしれない。ワッハ上方のときは、既得権益を守ろうとする文化人が改革の邪魔をしたが、今回は文化人の意見を無視するというのもなかなかの戦法だ。それに芸術への補助金を削るのは経済学の原則にあっているのだ。


せっかく地方が「お笑い」の助成を廃止しようとしているのに、国が「アニメ」の助成をしてどうする。

そもそも、落ち目の産業を助成する国家プロジェクトなんていうのは成功した試しがない。第五世代コンピューターも、トロンも日の丸プロジェクトは全部失敗している。最近では、たしか液晶の国家プロジェクトがあった。ソニーが参加しないで、サムソンと組んだけれど、助成を受けたチームも受けなかったソニーも両方とも失敗した。ある程度成熟した産業は、結局生産コストの低い方が市場を支配する。

アニメも同じだ。いくらソフトの独自性と言ったも、中国の安い労働力にかなうわけがない。そもそもジャパンアニメのソフトパワーというが、もとはといえば日本の漫画パワーだろう。漫画家は国の助成なんかもらわなかったし、賞も仲間内の賞だった。ただ、出版社が金儲けのために頑張ったのだ。

芸術になろうとしたのはアニメのほうだ。賞をやったり批評したりと、さんざん、おだてたので舞い上がって、自分が芸術家だと誤解して、なにやらオカルト紛いの説教を始めたアニメ作家もいる。これじゃ、駄目になるわけだ。

アニメを面白いと思ったことは一度もない。若い頃、なぜアニメが面白くないのか、『鉄腕アトム』の漫画とアニメをくらべてみたことは以前にも書いた。それから、みんながもてはやすので『エヴァンゲリオン』をGEOで借りて見たけれど、もちろんつまらなかった。(注)

サブカルチャーとハイカルチャーが等価だなんて大きなお世話だ。どちらも助成なんか必要はない。そんなことをするよりも、著作権法を変えることだ。なぜ、文字情報が引用できて、映像の引用が許されないのか。小説が引用されて、売れ行きが減ることはないように、映像が引用されても売り上げがへることはない。

それから、アニメ美術館のアーカイブ機能はとうぜんネットに任せるべきだし、クリエイティブ・コモンのような運動も進める必要がある。規制を撤廃したほうが、経済への刺激効果はずっと大きいと思う。

注:http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-294.html
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2009.05.28[Thu] Post 21:00  CO:0  TB:0  経済  Top▲

与謝野馨が政策金融改革を否定

寝る前にYoutubeをチェックしたら、与謝野馨が参議院予算委員会で、政策金融改革は誤りだったと、NHKニュースが伝えていた。あわててネットを探したら、asahi.comに記事があった。

 与謝野財務・金融相は10日の参院予算委員会で、小泉内閣時代に政府系金融機関の統廃合や民営化を進めた政策金融改革について、「(改革)当時は世界が順調に成長していくという前提の経済学で、世界が同時に不況になることをまったく想定していなかった。間違いだった」と述べ、改革に誤りがあったとの認識を示した。自民党の西田昌司氏の質問に答えた。(3/10)

岩崎慶市氏が産経のオピニオン欄で与謝野馨が政府紙幣発行を「とるに足らない話だ」と切って捨てたことを賞賛したことについては、すでにブログで批判した。それよりおどろいたのは、ちょうど高橋洋一と長谷川幸洋の対談本『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』を読んでいて、その中で高橋氏が財務省は政策投資銀行の完全民営化をやめて、元に戻そうと企んでいると言っていたからだ。

日銀は市場にハイパワードマネーを供給するのを嫌ってCPを直接購入しない。そこで、財務省が政策投資銀行に特定の大企業のCPを購入させている。これは財務省が天下り先確保のために政策投資銀行の完全民営化を阻止しようとしているのだと、高橋氏は言う。政策投資銀行と大企業の両方の天下り先を確保できるのだ。「かんぽの宿」一括売却に総務相が介入するのと同じたくらみなのだ。

与謝野馨は財務省のマリオネットだ。財政通とは聞いてあきれるキシャポッポ。
2009.03.11[Wed] Post 01:08  CO:0  TB:0  経済  Top▲

良い公共投資と悪い公共投資

前回のエントリー『産経新聞は朝日新聞よりアサヒってる』で言い忘れたが、良い公共投資が駄目なのは、悪い公共投資と同じように国債で調達した財源を使うからだけではない。たとえそれが政府紙幣の発行益を財源にしても駄目な理由が二つある。

一つは、岩崎氏「国家の10年先を見据えよ」とか「場当たり策を繰り返すな」とか「効果を基準に政策を絞り込め」というが、将来的にどんな分野が成長するかは財務省が判断できる訳がない。これはただ役人が天下りをしている大企業に無駄な公的資金を注入することになるのだ。

二つは、これは流動性の罠に陥ったデフレ状態という水風呂に今すぐ熱湯を注がなければならないということだ。10年も水風呂に入っていたら心臓麻痺で死んでしまう。チョロ火で追い炊きをしている暇はない。今すぐ熱湯を注げと高橋洋一氏は提案しているのだ。

わたしは構造改革とリフレの間で、いったいどっちが正しいのか長い間迷っていたが、田中秀臣の『経済論戦の読み方』を読んで、リフレ派になりました。それと、池田信夫のストーカー紛いのリフレ批判を読んだことも大きいけれど。
2009.03.10[Tue] Post 19:32  CO:0  TB:0  経済  Top▲

産経新聞は朝日新聞よりアサヒってる

産経新聞が自社の特別記者千野境子を人事院に押し込もうとしていることはすでに書いた。そうしたら、今日(3/8)の産経新聞の『日曜経済講座』に論説副委員長の岩崎慶市氏が「政策はまっとうな議論で」というタイトルで、とてもまっとうとは言えない文を書いている。こんな文章を書くのは岩崎氏が霞ヶ関(財務省日銀)と癒着しているだけではなく、「学部レベルの経済学」(2ちゃんねるで覚えたw)も理解していないからだ。

岩崎氏は財務省の代弁をしているようだ。公共投資だけでは不景気から脱却することができないことは、もはや経済学のコンセンサスになっているにもかかわらず、相も変わらず、悪い公共投資ではなく、良い公共投資があると言い張っている。

これは構造改革主義の「悪いデフレと良いデフレ」の変種であって、恐慌の罠からは今すぐ抜け出すためにどちらも役に立たない。岩崎氏のいうような10年先を見越した構造改革では罠から抜け出すことはできない。罠からは今すぐ抜け出さなければならない。

道路ではなく、羽田空港を拡充しろとか、中小企業支援ではなく、環境新エネルギー技術の研究開発に投資しろとかいうが、その財源を国債発行で賄うなら、マンデル・フレミングの法則で景気刺激の効果は期待できない。もちろん国債を相続税減免や無利子とセットにしても事情はさしてかわらない。

問題はデフレギャップを解消するためには財政政策ではなく、金融緩和政策が必要だが、金利をゼロにしても、デフレ下では実質金利はゼロにならない。それなら日銀がお札を刷って、国債を買えばいいのだが、日銀はバランスシートが悪くなるといって、買おうとしない。だから政府紙幣を発行しようというのだ。

岩崎氏は「政府紙幣」発行に関してはほとんど嘘に近いでたらめをいう。明治の太政官札はむしろ成功した例だと考えられるし、当時は今と違って貨幣制度が江戸幕府からの移行期にあり、幕府幣制と藩札、不換紙幣と兌換紙幣、中央銀行の成立、為替制度の混乱など激変の時代であり、そのことを考えれば、むしろ明治維新は、その財政金融政策によって富国強兵を成功に導いたといえるだろう。それを失敗だったとは財務省日銀の言い訳に与するものだ。そして、岩崎氏は変なことを言う。

いまも政府紙幣は先進国に例のない「一国二通貨」を生むことになり、重要な国家統治機能の一つ「中央銀行の独立性」を破壊しかねまい。

硬貨は政府発行貨幣だから、日本はいまでも「一国二通貨」だ。しかし、交換レートが一対一の固定だから、二通貨制度に見えないだけだ。でも、シニョレッジはそれぞれ自分のポケットに入れている。

「中央銀行の独立性」というのも変な言葉だ。中央銀行の独立性には「手段の独立性」と「目標の独立性」があって、日銀がもっている独立性は手段の独立性だ。岩崎氏がどういう意味でつかっているのか判らない。日本銀行のHPには、政府からのインフレ圧力にまけない独立性だと説明しているが、デフレのままにしておく権利など日銀にはない。いまのままでは、ただ日銀の行益を守っているだけで、国益を損なっている。

「中央銀行の独立性」が国益を損なった例がウィキペディアに出ていたので引用する。

 中央銀行の独立性がもたらした弊害の最悪の事例として、第一次大戦後のドイツにおけるハイパーインフレーションが挙げられる。当時のドイツの中央銀行であるライヒスバンクは政府からの独立性は高く、中央銀行の総裁は終身制であり、議会に罷免権はなかった。
 そのため私企業の手形割引を濫発して通貨が大増発され、1兆倍のインフレが発生。日常の経済活動遂行にも障害が発生した。そのとき政府はハイパーインフレ抑制のためにライヒスバンク総裁の罷免を考えたが、終身制を理由として辞任しなかった。
 その後1923年に総裁が急死し、銀行家シャハトの協力によりレンテン銀行(Deutsche Rentenbank )が設立され、政府が新しい総裁を任命し、新しい通貨のレンテンマルクの発行によりインフレが収束した。

我が国では福井総裁がファンド投資のスキャンダルを起こしたにもかかわらず、政府がインフレ圧力をかけていることを幸いに、日銀の独立性を守るという大義名分で、辞任しなかったのである。

岩崎氏はしきりに政府紙幣の償却のことをいうが、政府紙幣は債券ではないのだから、償却する必要はない。ただ、インフレという形で償却されるのだ。だから、インフレが起きなければそのままほっておけばいいということになる。流動性の罠にはまっているときにちゃんとコントロールすればハイパーインフレがおきることはない。だから、政府紙幣の発行は、日銀が国債を買って焼却(償却ではない)すれば同じことだ。

わたしは素人だけど、岩崎氏が財務省日銀の言い分をそのまま書いているということぐらいは察しがつく。その証拠に

「政府紙幣について『とるに足らない話だ』と切って捨てた与謝野氏」

の写真がデカデカと出ていたことでも判る。産経新聞は朝日新聞よりアサヒってる。
2009.03.09[Mon] Post 22:46  CO:0  TB:0  経済  Top▲

経済学を必修に

YOMIURI ONLINEに、「横浜市教育委員会は2010年度から、学習指導要領で選択科目の日本史を全市立高9校で必修にする方針を固めた。」(1/20)の記事があった。

もちろん自国の歴史を学ぶのは良いことだが、現在の日教組そだちの教師たちに日本史を教えるのはむりだろう。教師のなかでも社会科の教師はとびきり質が悪いのである。彼らは、たいていはフランス革命に夢中で、自由平等博愛を賞賛するけれど、その合理主義が政治テロばかりか市民の虐殺に至ったことにふれようとしない。

そして教師たちは経済学を知らない。「市場」を知らない。憲法は教員免状の取得に必修だが、経済学は知らなくて良いらしい。市場は希少な財およびサービスを合理的に分配するのはもちろんだが、自由や倫理に深く関わっているのだ。

経済学の知識が多少でもあれば、マスコミ報道の偏向ぶりに、惑わされることもない。近頃の変な報道の最大のものは「派遣切り」だろう。労働三法のことは(小)中高(大)と繰り返し聞かされるのだが、労働サービスが市場で取引される商品だということは教わらない。教わることは教わるのだが、それは、労働者は資本家に搾取される奴隷だという理論だった。もっとも、労働市場の機能を麻痺させる法律をせっせと作るよりいっそのこと奴隷制を導入した方が効率的なのかもしれない。実際にノーベル賞受賞者のそういう趣旨の研究があるそうだ。(池田信夫Blog

いま、いちばん必要なのは教員免許取得に憲法ではなく「経済学」を必修にすることだ。もちろんマルキシズムは経済学ではない。
2009.01.22[Thu] Post 14:30  CO:0  TB:0  経済  Top▲

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