ART TOUCH 絵画と映画と小説と

もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--[--] Post --:--  CO:-  TB:-  スポンサー広告  Top▲

『カンディンスキーと青騎士』展(三菱一号館美術館)

この展覧会の一番の目玉は《印象Ⅲ(コンサート)》(1911年)だろう。

しかし、私が一番つよく惹きつけられたのは、《コッヘル---まっすぐな道》(1909年)だ。

《印象Ⅲ(コンサート)》は、シェーンベルクのコンサートに行って、その印象を絵画化したものだという。彼は共感覚の持主だったそうだが、多くの評論家がカンディンスキーの『芸術における精神的なもの』の絵画理論にもとづいて評論を書いている。たいていは、形態と色彩の心理学を文学的修辞に書き換えたものだ。

画家の絵画論ほどアテにならないものはない。自分で描いて、自分で言っているのだから、間違うはずはない。以前にも書いたけれど、岡本太郎が「芸術は爆発だ!」というので、彼の絵を見たらやっぱり爆発していたなんてことがあった。

《印象Ⅲ(コンサート)》はまったくの抽象画とはいえない。グランドピアノや観客や柱らしきものが識別できるからだ。しかし、これがコンサート会場を描いたものだと知らなければ、それらの対象を識別するのは難しい。

わたしは、この絵がシェーンベルグのコンサートの印象を描いた作品だと言うことを知っていた。実際に見れば、抽象画あるいは具象画、どちらにも見える。どちらか一方が、正しい鑑賞の仕方ということはないだろう。ちなみにニョウボは抽象画だと思って見ていたそうだ。

カタログの解説からの引用。

この絵における、右上から画面半分を覆いつくさんばかりに圧倒的な黄の色面。これが、カンディンスキー個人の芸術の進展においてのみならず、近代絵画の歴史において決定的な一歩を記すものであったと言っても、20世紀絵画のその後の展開を見れば過言ではないであろう。今もこの絵がもたらす新鮮な驚きと他に類のない視覚体験が、この作品の重要性を私たちに訴えかける。


おそらく、キュビスムなど抽象画の萌芽期という時代背景を考えれば、音楽を色と線で表現するというのはたしかに画期的なものだったにちがいない。

黄色の色面について述べた箇所を引用。

とはいえ、黒と白、その他の幾つかの色を重要なアクセントとしつつも、圧倒的な面積を占めて全体に浸透せんとする黄色こそが、この絵に破格の大胆さと鮮烈さ、流動性を与え、この絵画の平面を、強度を持つ色彩の発現の場としている。黄色はコンサート会場を支配していたであろう音楽の聴覚的な印象を示しているのであろうか。カンディンスキーは『芸術における精神的なもの』のなかで色彩が精神に及ぼす作用について述べ、黄色が「観者に向かって、時には圧倒せんばかりに迫ってくるその作用」、「輪郭を飛び出し、周囲にその力を撒きちらす作用」を持つと記した。彼は色彩をしばしば音響とのアナロジーにおいて語ったが、「その強烈さが高まるとき、黄は、しだいに高く吹き鳴らされるトランペットの鋭い音色が、とくに際立つ、ファンファーレの音色のように、響く」と述べている。(Y.H.)


色彩の象徴的意味なら、ゲーテの色彩論にもあるとおり、特段珍しものではない。津上みゆきの《View》の色彩にも様々な象徴的意味を読み取ることはできる。いかし、《印象Ⅲ》は《View》と比べると形と色の部品が関係を持ち全体の構成を作っている。色相差も明暗差もあり、形態や線も変化に富んで、アンバランスとバランスがどちらか一方にかたよることもなく、いわば動きのあるバランスを作っている。

これは、「バウハウス」時代の幾何学的な構成に繋がっていくような抽象だ。バランスだとか色彩のリズムだとか象徴性だとか、アマチュアが考えるような表現主義的な抽象画になっている。勿論これは誇張なのだが、そう感じたのは、この絵のまえに見た《コッヘル---まっすぐな道》があまりにも強い印象を与えたからだ。

《コッヘル---まっすぐな道》は第二室『ムルナウの発見---芸術総合に向かって 1908-1910年』に展示されていた。反対側の絵を見ていて、振り返ったとき、その絵が目に飛び込んできた。絵の大きさからみて、随分と離れた位置なのだが、筆触の細部が見えないだけに、いっそうその単純な色面と奥行きがイキイキと見えた。

試しに近づいてみたけれど、離れてみたほうがはるかに良い。第二室の展示作品は、厚塗りの短い筆触で、印象派とフォーヴィスムを混ぜたような、色彩豊な絵が多いのだが、離れてみると主題の細部が消え、色彩がバラバラになって、抽象画のようになる。それに比べ《コッヘル---まっすぐな道》は輪郭線をハッキリと描き、その中を一色で平面的にぬっているので、構成が単純で、遠くから見ても、画面がバラバラになることはない。

画面の中央に空色の道が濃青色の三角の山の方に真っすぐ伸びている。空色の道の両側に補色の黄色い畑があり、その上に、左側は三角の赤い丘、右側は茶と赤と緑の畑、そしてその畑の向こうにオレンジの家がある。全体に平面的でキュビスムの影響がみられる。奥行きを表わすはずの道は途中で切断され、セザンヌのテーブルのようにキャンバス表面にせり上がって見える。

ところが、離れてみると、道や畑や山、そしてオレンジ色の家が、浅いけれどきちっとした奥行きの中に収まって、決して平面的な描写にはなっていない。また、みどりやオレンジや空色を使って、赤青黄の三原色を巧みに配色しているのは、カンディンスキーの鋭敏な色彩感覚を示している。なかでも、青い山につながる空色の道は、この派手な色彩の画面を安定させている。

第二室の中で、《コッヘル---まっすぐな道》は特異な作品である。他に似たような作品があるのかどうかしらないが、このあとカンディンスキーは表現主義的な抽象から、バウハウス時代の幾何学的抽象へ、そして、パリ時代の有機的抽象へと展開していく。残念ながら、バウハウス時代とパリ時代のの作品は本展では展示されていない。しかし、カンディンスキーの作品は、《コッヘル---まっすぐな道》が製作された1909年前後のまだ具象性が残っている作品が優れているのではないか。

抽象画には表現主義とキュビスムの流れがあると言われているが、カンディンスキーは二つの流れに影響をうけながら、最終的には、精神的なものを表現する抽象画に進んでいったのだ。そのカンディンスキーの抽象画への歩を余す所なく示して、『カンディンスキーと青騎士展』は、今年いちばんの展覧会だった。




スポンサーサイト
2010.12.12[Sun] Post 14:56  CO:0  TB:0  --カンディンスキー  Top▲

Log in*/RSS*】  Design 「AZ+」Plugin Template...  Page Top▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。