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もとは美術展評のブログ 絵画と映画と小説と、そして哲学を少々

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天明屋尚展「闘魂」 ミズマアートギャラリー

久しぶりに東京にやってきて、ミズマアートギャラリーで天明屋尚展を見た。ミズマはなんど来ても、場所がわからなくなる不思議なギャラリーだ。

天明屋尚は東京現代美術館の『 「日本画」から/「日本画」』展で見たはずだが、あのときは町田久美と松井冬子が印象に残って、天明屋のことは記憶にない。でも名前だけはそこらじゅうで見て知っていた。

二階のギャラリーに入ると三方の壁に絵が掛けられているが、どこか変である。同じ部屋で、同じように日本の伝統文化と現代風俗をミックスしたような山口晃や山口藍のイラスト画も見たのだが、天明屋の絵は、両山口にくらべて、どこかとってつけたようなところがあり、たとえば、ガンダムやFIFAのポスターに見られるのと同じちぐはぐな感じがする。

戦士がまたがった牛は甲冑に身を固めているのだが、どうしても民芸品の牛のように見えるのは、もちろん意図的にそう描いて、挑発しているのだろうが、そうであるなら尚更のこと、コミカルとシリアスの案配を巧みに処理する技巧が必要なのではないか。

ウィキペディアを見ると、天明屋は「権威主義的な美術体制に対して、絵で闘うことを宣言し(た)武闘派」だというのだが、そこに描かれた男たちはゲイ雑誌の挿絵のようにみえる。褌をした裸の尻はとても正視にできないようなヤクザな猥褻感がするし、入れ墨は肉襦袢のようだ。

裸の男が二本の長い日本刀を両手に高く掲げている構図は、私の美的感覚を逆なでするのだが、私のその感覚こそが、天明屋が戦おうとしている権威主義的感覚だというかもしれない。しかし、この構図のほうこそ使い古されたサブカルチャーの反権力の図像ではないか。結局のところ彼は権威主義的なジャーナリズムの美術制度に守られて、海外のジャポニスム向けの戦略を展開していることになる。これでは、「権威主義的な美術体制」と戦うことはできないだろう。
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2008.11.10[Mon] Post 16:09  CO:0  TB:0  -天明屋尚  Top▲

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